Twitterでつぶやいた言葉たち:7
◆愛・恋・結婚など
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「友達」でも、 「恋人」でも、「夫婦」や「親子」でも、その2者の間にある繋がり方や温度や色や意味は、その2者の間でしか生じない特別なものなの。
都度、誠意をもち、相手と自分の化学反応から目を離さずに、柔らかかく繋がり続けることができれば、それが一番なのかもしれない。
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自分の足りなさかげんを、他者で埋めようとしない。 自分の足りなさかげんを“素敵な空き地”(ヴォイド)として、容認し、愛でること。
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その人に愛されたいのに、「その人のために頑張れない」なら、そこは不成立な関係になるのは自然だと思う。
どれぐらい、何を頑張れるのか、差し出せるのか、互いに、それを差し出しあうことで、愛し愛されの循環が生まれる。
愛は相互的なものなので、その人があなたのために頑張れ(ら)ない人なら、どれだけ(自分だけ)差し出しても、それも不成立になる。
キャッチボールや呼吸や、寄せては返す波のように、循環性のある関係でないと長持ちしない。
「してくれることに感謝と満足感がある」 だから 「してあげることに思いやりをこめて、満足させたくなる」 とても良くしてくれる人だから、その人を大切に思う。 大切に思われているから、自尊心が芽生え、愛を感じる。 感じている愛を育みたいから、…と、ループすること。
そして、それが日常として、当たり前になっても、(なったからこそ)丁寧に扱い、壊したくない気持ち、かけがえのなさを感じる。
優しくしたくなる相手が、互いであれば幸せ。
(ときに、パートナーと7割上手く循環させているのに、残りの3割不足を不満に思い、他の行為や気晴らしで補う人がいる。不倫とか。 もし、その「3割担当」に自分がなってしまい、それが自分にも都合が良いならいいのですが、自分が目指すのが健全な愛の交流、循環なら、考えた方がいい。)
パートナーシップにおける不足感、不満足を、誰と、どのように、解消するのかで、愛が育つのか、腐るのか、分かれるのだと思います。
痛さ、辛さ、悲しさ、怒り、失望、 乗り越えたいのか、 乗り越える価値がないのか…
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彼女としては大丈夫だけど、 妻としてはダメ、という交際はある…そして、男性が本気で「妻」を探し、固定しようとするのは30歳以降が多い。 なので、「妻にしたくない彼女」と、30歳直前で別れるケースがあとをたたない…
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不毛だと言われて、普通の感覚の人に理解されなくても、「その人」を想うことで幸せになるならば、それを愛と呼ばずに何と呼ぼう、
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結婚の相手の最低条件は「対話」ができることです。(何をもってして「対話」とするかは、実は個人差がある。)
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「この先出会いはありますか?」 じゃあ、ないんだよ、出会いは自分で作るんだよ!!!
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「自分を(傷ごと)わかって欲しい」と強い欲求がある人は、自分が思った通りの形の愛じゃないと、いくら周囲がいたわりや愛を渡しても「これじゃない!!」と駄々をこねて飢餓感を強めていく。
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誰かに出会うことは、そのまま自分に出会うことと同義。
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風のエレメントの強い人にとっては「理解=愛」ですが、水のエレメントが強い人にとっては「共感的で味方だと信じられる=愛」の傾向です。