Twitterでつぶやいた言葉たち:6

◆人間関係にまつわるつぶやき

◇自分に安住していない人が、他者と親しくなれるわけがない。


知らなくていいことを、知らないままにいて、
信頼することも「愛」だとおもう。


「相手を自分を同じ気持ちにしたい」という暴力。
「相手を自分と同じ考えにしたい」という暴力。


“仲良くなる”って、ハモれる音を響かせ合うこと、周波数を合わせることであって、同じ楽器の同じ音色に揃えなくちゃいけない訳ではない。
グルーヴが大事。 自分が上手く鳴らせないときは、しっかり休むとよいよ。


「社会適合」をしなくてはいけない、と教育されて育ちますが、 その、適合すべき「社会」が狂っているので、適合しようとして無理を感じるのは健康的だと思っています。


拗らせてしまった人間関係って、割れた花瓶みたいなところがある。
金継ぎすればまた使えるかもしれないし、前よりも美しくみえたりすることもあるけど、前と同じにはならない。不可逆。
例えば、「真面目で正しくてきちんとしている」人が、自分のパートナーや恋人に、正しさで激詰めしてしまって、嫌われてしまうのは、真面目な人はある意味正しいのだけど、嫌われもしょうがない。
嫌われたら、修復にはその「詰め寄りする正しさ」を捨てなくてはならない。

どのような「正当な理由」があるにしろ、詰め寄られた方が感じる主観でしかないのが「好き/嫌い」の基準。 正しいから、愛されるわけではないし、 間違っていても、愛されることもある。
「自分は間違っていない」と無意識に強く念じていると、解決するものも解決しないので、そんな時に占いを頼ってもあまり良い効果は期待できない。


誰かに、強烈に”わかって欲しい”と思っている人は、まずその飢餓感がどこから生まれているかを見て、潤すところから始めるといいですよ。
この世に”完全にわかって”くれる人は神様ぐらいだと思っていた方が、丁度良い。 ”そこそこわかって”くれる人は、信頼や誠意や縁で会えるとは思う。


「自分をわかってほしい」という願望は誰でもあるのだけど、実は、「理解されただけで嬉しくて納得“成仏)」するタイプの“わかってほしい”と、 「わかってくれたら、自分の持っている願望を相手に飲み込ませて、叶えてもらえるはずだ、」と思い込んでいるタイプとがいる。
私個人としては、「私をわからなくても良いので、私の納得できる取り扱いをしてほしい」の方が大切。 実際になされる扱いが、愛だと思うので。


友達がいても、交際相手がいても、結婚相手がいても、本人に自律性が無ければ、自分も周囲もぼろぼろになるのよ、


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