Twitter呟きまとめ
表面的に「自分は間違う生き物だ」と考えていても、心の中に強く(自分は絶対正しい)という傲慢さがあると、魂は固くなる。
心の底から、自分にはわからないことがこの世にはあり、愚かで、見えているものの幅も神様より狭い(当然)。
なので、間違う生き物で、愚かさがあっても当たり前。
だからこそ、少しでもマシになるようにじたばたすることが大切なのです。
謙虚になることでしか、素直に”やってきた他者”や”目の前の出来事”からメッセージを受け取ることなどできないでしょう。
開かれて、柔らかな魂は、まな板の鯉のような、委ねる気持ち。
そして世界から贈与され、世界に贈与する循環に組み込まれる安心感。
”完璧(完全体)になりたい”と思うのではなく、 全体の循環の一部という存在でありつつ、自分の素材を活かしてもらえる場所で健やかにいることを願う方が健康的です。
十全と自分である、「自ら然となる」は、自分ひとりで完結しない存在であるとまなざすことかもしれません。
自責も他責も批判も必要なく、焦燥感もなく、循環に安住し、健やかにそこにあるだけで至福の感覚を味わうこと。
贈与の円環にぴったりと寄り添えば、リラックスして呼吸ができる。
その毎日が日常であれば、 知ることを楽しみ、変わることを楽しみ、 外側にあるものがどのように自分に作用するのかをしっかりと理解し、自分にとって心地良い作用をもたらすものが何であるのかを意思を持って選ぶこともできるものです。
むやみやたらに貪ることもなく、 回復性や柔軟性を愛し、
強くて、柔らかくて、大きくて、敏捷で、しなやかで、
自分が自分であることに違和感を感じずに、
怖れや期待を過剰に持つこともないのです。
どこを目指して”努力”しているのかが見えていない状態では、苦しさが生まれてくるのも当たり前です。
生きることそのものの遊戯性を愛せるならば、 ひび割れやインクルージョンも美しく見える健やかさがあります。