出さない手紙
昨晩は声をかけてくれてありがとう。
占い師であるところより、もっと素の部分で伝えたいことがあるなあ、と思い,あなたに手紙を書きます。
どこの誰かもわからないのであなたにこの場所では仮の名前をつけたいと思います。
「咲良」さくらさん。
今からあなたは咲良さんです。よろしくお願いします。
これからいくつか質問をします。それについて答えを咲良さんにも返事の手紙として書いてほしいのです。その手紙は出さない手紙です。
好きな食べ物はありますか?食べたいな、と体も心も動きますか?
一日平均何時間睡眠がとれていますか?睡眠の質は良いですか?
自分の時間を罪悪感なく持てていますか?
自分の時間があったら何がしたいですか?
ホルモンバランスは乱れていませんか?
「~べき、~しなくてはならない」という気持ちは強いですか?
経済的な不安はありますか?
家族やパートナーは優しいですか?
実際に会える人の中に心を許せる人はいますか?
お子さんと自分との相性を良いと思っていますか?悪いと思っていますか?
お子さんとの生活で疲れた時に、どんな回復方法をとっていますか?またはとりたいですか?
お子さんは元気が余っているタイプでしょうか、静かなタイプでしょうか?
お子さんの瞳の奥を毎日30秒覗き込むことをしてみてください。(脳内で安らぐホルモンがでるらしいです。)
「今できる事」と「できない事」を紙に書き出してみてください。できない事のなかに「本当はやりたい事」がいくつありますか?それを現実化するために、何が必要か、体調の良い時に調べたり考えてみることができたら、きっと今の苦痛の沼から出る一歩になると思います。
いつか、あなたからの返信をどこかで会って直接受け取るので、その日まではとにかく生きていてください。
ここから先は、私の過去のお話です。
誰かの体験が、そのまま誰かの救いになるかどうかなんてわかりません。
状況も環境も、ありとあらゆる設定が違う可能性があるのに、私がサバイブした道や方法が正解であるとは言えないのを知っています。その上で読んでください。
私は20歳で長男を出産しました。その時の環境(婚家)の考え方に全く自分の人生観が合っていない事などわからずに、子供を産むことを選択したのです。
初めての出産、初めての子育て、親からの影響(育児観、倫理観、責任感)
産後鬱であったこともわからず(当時、産後鬱の認知度はほとんどなかった)育児ノイローゼになり、婚家との価値観の差に疲弊し、手のひらの皮はべろべろとめくれてずっと包帯がまかれていました。どんどん自暴自棄になり、ストレス発散のために思考錯誤するもうまくいかず、家事労働もできなくなり、昼は部屋の隅で毛布をかぶって泣いて過ごし、夜は泣きながらふらふらと外を徘徊していました。
自己嫌悪、私は子供にとって害悪だ、死のう。
そんな風に毎日思っていました。自分が至らないのだ、この環境になじめない私がいけないのだ、と適応しようと自分を殺し、生きる意味を見失い、周囲の「素敵な、常識的な、ちゃんとした」人に任せたほうが子供も幸せだろうと本気で思っていたのです。
実の親に近況をにこにこ笑って話していても、ぽろぽろと涙が溢れてきて止まらなくなり、「あなたは今おかしくなっている、離婚しなさい」と言われても、(こんなに頑張って適応しようとしているのに、離婚できない、親に迷惑をかけてもいけない)としがみついていました。離婚をすることで後ろ指をさされたり、婚家に逆らうことは絶対的に「いけない」と自分で自分を洗脳していたのです。
「このまま死ぬんだったらインドに行かなくちゃ」
小さいころからの不思議な体験やインドとのご縁があって私は猛然とインドへと行く準備を始めました。24歳の時です。死に場所にインドを選んでいた、という方がその時の気持ちには一番近かったのかもしれません。
この時の渡印の出来事や帰国後の「意識の転換」が私の中に大きく存在していた「離婚への罪悪感」を減らし、選択肢の一つとして、「許されている道」だと思えたのです。
25歳の時にストレス性の痛みで救急車に乗ることになり、やっとこのままでは「環境に殺される」「死ぬわけにはいかない」と大きく踏ん切りがついたのです。我慢をここまですればもういいだろう、と自分で自分を許したのかもしれません。我慢なんて自己満足のひとつで、こんなギリギリまでやる必要ないのに、と今では思えるので生きていてよかったです。
その後、シングルマザーになり、じたばたあがきながら、子供にも多大な迷惑をかけ、葛藤を残し、喧嘩をし、間違いながら、時々正解だったかも?今も一緒に生きています。子供には恨まれているかもしれません、子供には傷がついたかもしれません、私は愚かでわがままで、至らない人間かもしれません、でも、「100%正解」の親子関係、人間関係なんてあるのでしょうか?
罪悪感はもちろんあります。それでも今の自分ができる限りの「最善」を行うことしかできないのだから、その愚かさも罪も、許容することにしました。子供には子供の人生があります。私が倒すべき「敵」で「モンスター」だと思うのであれば、倒して乗り越えて勝手に幸せになってほしい。そう願っています。
長男が23歳になって、なお、昔の事を思い出すと泣いてしまいますが、間違っていても生きることを選択した私はあの時に死ななくてよかった、と思えています。健康的な日常を、ささやかな幸せを感じています。
また手紙を書きます。咲良さんへ。
まなか