「大切なこと」:Twitterまとめ
目の前の人を丁寧に扱うことで、自分の心も尊厳も大切にできる。
目の前の人を、大切にできないとき、目の前の人だけではなく、自分自身も大切にできていない。 だから、辛くなる。
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誰かが、誰かを“丁寧に扱う”ためには、体力や体調、懐事情、気持ちや思考の面でも、余裕がなくては難しい。
どんなときでも、雑に扱う、扱わない、が生じないようにするためには、意思の力が必要でもある。
目の前の誰かを丁寧に扱うことは、自分を傷つけないことでもある。
ユマニチュード、という行為の概念でもある。
そして、ひとりひとり、本当にそれぞれが、
「どんな扱いを“大切”と感じるのか」が違うので、独りよがりになってはいけない。 縁を繋いだままにしたいなら、双方向で、“知り合う”こと。
自分は相手を特別扱いしているつもりで、それは相手にとっては真逆の意味としてとられることもある。 同じものを見ているつもりで、全く違うものを見ていることが当たり前なのだと考えること。 だから、思い込まずに確認が必要。
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“何かになりたい”と“目指してなる”ことと、 ひたすらにそれに関わっていたらいつの間にか自然に“そうなっていた”は、どちらも大切。
前者は硬さがあり、強い、
後者は柔らかさがあり、しなやか。
両方が合わされば、最強。
“何かになりたい”と志し、目指すのは、植物が上に上にと伸びる姿や、炎が上に昇る姿に似ている。
ひたすらに“そうである”ということは、地面を這う植物が横に横にと根を広げる姿や、水が下に下にと集まる姿に似ている。
ふたつの要素があると、大きな植物になる。
火と水を受けとめる大地があり、 大気がそれらを内包し、循環装置となる。
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“何かになりたい”と感じていても、それが具体的にわからない人は、圧倒的に『ムダ』と『行動』が足りない。
枠からはみ出ないように、
粒を揃えて規格通りになるように、
「NO」をいわないように、
物事を疑わないように、
従順なパーツになるように、 躾られてしまうと、
『ムダ』も『自分のため』の行動もやらなくなる。
それか恐ろしくなり、憧れつつ、妬んだり、憎んだりするようにもなりえる。 時間と経済の余裕が無くなれば、 “社会人”になった後ほど、パーツ化されていく。
今を知り、上手にはみ出て、 自分を知り、伸ばしたい芽、育てたい種を確認すること。
どこまで社会的なパーツであるのか、それを愛せるのか、 どこまで個人的、有機的、野生的な自分であるのか、
そのバランスを確かめること。
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「大切な人」を大切にできていられるならば、幸せを感じられるのかも。 「大切な人」とは、 自分を含め、自分に関わる人、縁のある人のこと。
そして、「大切にする」が相互であること。
誰しもが、自分と、自分に関わる他者からは逃れることができない。
互いが互いの“機能”として、働きかけてしまう。
「大切な人のために善くあろう」という気持ちがなければ、その“機能”は気持ちよく働くことはない。
すごくシンプルなのだけど、とても重要なこと。
何が「自分を大切にすること」で、
何が「相手を大切にすること」なのか、
それを知ること、実行することは、とても(シンプルなのに)難しいのかも。
あなたを大切にすることって、どんなことなの?という関わり方が、愛だと思う。