夢を持つこと
夢は持った方が良い。
本当にそうなのか。なりたい自分、描いた夢が捨てきれずに苦労をする人も多いのではないか。そもそも夢=立場や職業なのか。そして夢と好きなことは同じなのか。
たとえば音楽が好きで、夢がミュージシャンになることだとします。この夢は具体的なので、なりふり構わずにこれだけを目標に活動すれば叶う確率は高いかもしれない。ただ、それが好きなことが出来て憧れ夢見たものなのかは別です。
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子供がなりたい夢の職業についた人たちと接する機会が時々あるので思うのですが、夢を叶えた人たちは夢の中には居ません。働くという定義の中にいる以上はそれぞれの役割を果す労働者でした。
その役割の中でプロフェッショナルとして高い志を持って活動している人が、夢見た存在ではないでしょうか。そう考えると夢の正体は志そのもののように思えます。
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子供の頃、私は映画監督になりたかったのですが、今は全く別の職業についています。劇団に入って夢の実現を目指した時期もありましたが、常に違和感を持っていて人の心を感動させたいという極めてシンプルな動機と離れた場所に居る気がしていました。
そうなってしまったのは、未熟な私がいろいろ下手くそなだけだったのですが、今ならもっと器用に目標に向かって進めたと思います。そして、夢を叶える方法は他にもたくさんあったとも思います。
実は映画監督になりたいというのは結構ざっくりしていて、単純に映画に感動して、それを作る人になりたいと願ったから映画監督にしていました。本当はシビれるセリフを生み出した脚本家の方を夢見てたかもしれないです。
大人になって視野が広がると見える世界は変わるものです。
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働いている人たちをたくさん見てきて感じるのは、自分に合った仕事をしている人が幸せそうだということです。そして、その人たちは目の前に訪れた選択肢の中で、より自分の好きな方を選んで実績を積み上げてきているように思います。
その好きのベースにあるのが、夢見た中にあった志でないかと私は思うのです。逆に言うと、志さえ見失わなければ何でも夢が叶うくらいの世の中だと思います。
そう考えると、どんな職業であっても、どんな場所にいても、志に背かない生き方なら納得できる気がするのです。夢を具体的に決めて邁進する方が成功に近い人もいますが、そうでなくても夢は叶うのではないでしょうか。
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もしも今いる道に迷いがあるときは、志がどこにあるのかを気にしてみると、本当になりたかった夢見た自分に、また目を向けられる気がしています。
夢は持つものではなく、自分の中にある志から浮き彫りになっていくもの、はじめから誰でも夢を持って生まれてきたのだと私は思います。