フェミ「表現規制は生ぬるい。内心を規制しろ」:月曜日のたわわ 日経新聞広告

『通勤電車の中で可愛い女子高生みたら「目の保養」になって元気出る」みたいなサラリーマンの女子高生消費目線は社会的に肯定されてはならない』

これ、ド直球の【内心の自由の侵害】ですね。

もちろん、北守=藤崎剛人がそう思うことも否定されるわけでは無いです。

また、それを表現するのもいいでしょう。
ただ、表現=表に出した場合には他人の内心や表現と衝突する場合がある。

で、今回は自分らから衝突しに行ったのです。
なぜなら、「自分が嫌」ではなく「社会的に許されない」と言ってそれを前提に、と言っているので。
なので、批判されても仕方がない。

ところで、『「通勤電車の中で可愛い女子高生みたら「目の保養」になって元気出る」みたいなサラリーマンの女子高生消費目線は社会的に肯定されてはならないことを前提としたうえで、広告はそれには該当しないという主張している擁護勢』って、いったい誰のことなんでしょうか?

そんな人は居るんでしょうか?

①誰も言ってない論理矛盾を作り上げる
②論理矛盾してる極少数の有象無象の主張を取り上げて、それを「擁護勢」の意見などと全体に敷衍する

いずれもストローマン論法ですよね。

これも「消費」の意義が不明だからでしょ。

「消費」に対象物の価値の毀損・償却が含まれてるなら否定だし、そうじゃなくて自己の内心で扱うだけなら「消費」で全然構わないし、っていう人も居るでしょう。

女子高生を思わせる制服姿の女性(作品を見てない人には設定がわからない)の絵に性的であると感じる人もそうではないという人も居ると思います。

ただ、猥褻では無いモノに対して「性的(に見えることもある)だから悪」という価値判断基準は、最初から機能しない。

なぜなら、「性的」の中身が幅広過ぎるので。

月曜日のたわわの日経新聞広告を批判している人らにも論点の違いはあるが、北守=藤崎剛人氏の主張するような論法の人らは、(個々人によって内容は千差万別だが)「そのような絵を見て性的なものと受け止める」人を自分の中で想定し、そのこと自体を社会的に許されないとし、同時に「そのような絵は性的なものと受け止めろ」と言っているので、内心の強制・内心の自由の侵害を企図しているということです。

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Nathan(ねーさん)
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