大勲位菊花章頸飾を受章された故安倍晋三元内閣総理大臣(従一位)
彼の功績と足跡を学び、偲ぶ記事を書きたいと思いました。
SNS上では箇条書き的に「功績一覧」と書かれているものはあっても、その中身(成立時の状況、どのような障壁があったか、もともと存在していた問題にどう対応するものだったか、問題は解消できたのか、評価はどうなってるのかなど)に触れているものに出会う事は少ないです。
これはある意味当然で、国政というのは多数の専門分野から成り立っており、あらゆる国家活動に精通する専門家は居ないですし、ましてや専門家ではない者が半端に理解・論評・評価しきれるものではないからです。
しかし、重要概念の入門的な知識の理解や、「専門家らがどのように評価していたのか?」を知ることはできるはず。
そこで、私自身きちんと理解できているわけではないものについても、安倍氏の死去を受けて書かれた論稿を中心に、功績をまとめてみようと思った次第です。
もちろん、「安倍氏の功績と捉えるのは如何なものか」「安倍政権よりも前の政権時代からの流れがあった」「成立・実行したが不十分・弊害がある」といった指摘が可能なものもあるでしょうけど、「安倍氏の功績」という要素を抜きにしても重要な事実を取り上げる意義はあるだろうと思い選んだものも含まれます。
「これも功績だ」「この功績の説明にはこれが良いのではないか」というものがあればコメント欄等にお願いいたします。
※新聞の引用は紙面によるものが多いですが、リンクを貼っている場合にはWEB記事上のタイトルと異なる場合があるのでご了承ください。
※リンク先が変更されていた場合、政府機関であればWARPで検索すれば出て来るはずです。
※英文和訳は戦略用語などの専門用語に関する素養が無い者が行っているということを念頭に呼んでいただければ幸いです。
◆北朝鮮による拉致問題の認知・被害者取り戻し
「安倍政権」の功績ではありませんが、北朝鮮による拉致問題の認知・被害者取り戻しは、安倍晋三という政治家の存在抜きでは実現されなかっただろうと言えるほど、その貢献度は高いです。
「拉致問題に関わるのは大きなタブーだった」
このことは2001年に増元照明 氏が当時の荒川区議斎藤裕子に宛てた手紙で、社民党の土井たかこ議員(当時)に拉致問題に協力をお願いするメールを出し、本人に直接会って返事をお願いしたが返事をもらえなかった、という事実などからもわかります。社民党は以下、反省の念を記しています。
平成9年(1997)には家族会=北朝鮮による拉致被害者家族連絡会が発足した直後に安倍氏は仲間を募って「北朝鮮拉致疑惑日本人救援議員連盟」(旧拉致議連)を立ち上げました。
その後の2002年10月、小泉純一郎政権下で官房副長官だった安倍氏が拉致被害者を北朝鮮の要求通り北朝鮮に出国させようとする外務省に反対して小泉総理に進言した結果、5人の被害者の帰国が実現しました。
2004年5月の日朝首脳会談後には蓮池氏・地村氏の子供が「帰国」、7月には曽我ひとみ氏の夫ジェンキンス氏とその子供が帰国しました。
小泉総理の判断力の結果・功績であることは間違いないのですが、安倍氏の貢献度は無視できません。
その後、目立った進展が無いことはまことに残念ではありますが、日本政府として、安倍政権として何もしていなかったわけではありません。
認識誘導的な報道記事がたびたび出ていますが、注意すべきです。
※2023年7月7日追記:「救う会」=北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会の会長である西岡力 氏と産経の阿比留記者による「安倍晋三の歴史戦」においてこの辺りは詳しく書かれています。
第一次安倍政権時代の功績概要
第一次安倍政権時代の功績と言えるものを並べると
◆教育基本法改正
◆朝鮮総連の固定資産税免除減免措置の撤廃
◆拉致問題解決のための北朝鮮への短波放送開始
◆防衛省の設置(防衛庁からの格上げ)
◆海洋基本法成立
◆国家安全保障会議(日本版NSC)を創設
◆国民投票法成立施行
こういったものが思い浮かびます。
たった11カ月ですが、重要な項目が立ち並んでいます。
◆教育基本法の改正
教育基本法の全面改正についてはその理念的な記述について論じられることが多々ありました。
“教育の憲法”とも称されていた教育基本法は、占領中に成立した点や内容が「コスモポリタン的」等と批判されることがありましたが、安倍自身、旧法を評価していないわけではありませんでした。
この認識は「教育基本法改正法成立を受けての内閣総理大臣の談話」にも表れています。
それ以前の問題意識や安倍内閣で引き継がれた経緯については【残る学習指導要領の問題点と課題 追悼 安倍元首相 一般社団法人全国教育問題協議会】などが詳しい。
改正反対派からは「愛国心の押し付けだ」のような反論が多く為されましたが、自虐史観が圧倒的であった当時の世相で教育基本法の理念部分の改正は非常に重要なものでした。
教育基本法改正についてはこうした理念的な主張の側面だけがクローズアップされることが多いですが、実務的な観点からも重要な条項があり(障碍者の教育の機会についての支援、国と地方公共団体の相互協力など)、決して抽象的な理念に拘泥したものではないということが言えます。以下、新設された条文のごく一部を引用します。
参考:教育基本法改正旺文社 教育情報センター 19 年 1 月
◆「在日特権」朝鮮総連の固定資産税免除減免措置の撤廃
あまり有名ではありませんが、安倍政権時代に朝鮮総連の固定資産税免除・減免措置の撤廃(=本来の法的要件判断を行うこと)に取り組んだということを菅義偉元総理が述懐しています。
厳密には菅義偉氏が総務副大臣・総務大臣時代の平成17年から平成19年の話なのですが、以下書かれています。
◆北朝鮮への拉致被害者救出のための短波放送開始
北朝鮮への拉致被害者救出のための短波放送に関しても第一次安倍政権の功績は無視できません。
「しおかぜ」による国内からの短波放送が始まったのは第一次安倍政権発足後に拉致問題対策本部が設置されたことがきっかけというのが分かります。
さらに、NHKから拉致問題を取り上げる番組を放送させる「命令放送」も実施されました。
※当時の放送法33条1項による。平成19年改正法によって「要請放送」となり(現行法65条)、以来、毎年度国際放送の実施を要請。
日弁連などが代替案を示さずに反対(改正後の声明を見ても個別具体的な事項に関する放送を繰り返させることが問題とする趣旨で、要請すら反対)していますが、そういう空気感をものともせずに実施したことの意義は大きいと言えます。他にどういう組織・団体がどういう主張をして反対していたのか、ネットで検索してみるといいでしょう。
◆防衛省の設置(防衛庁からの格上げ)
防衛省の設置(防衛庁からの格上げ)については防衛庁設立時から議論がありましたが、具体的な検討項目として挙がってきたのは小泉政権時代の第164国会。ただし、改正法案は継続審議となりました。
その後、衆院選を経た第一次安倍政権時代の第165回国会において可決成立したという経緯になります。
小泉政権時代の流れを第一次安倍政権がしっかりと受け継いだと言えます。
◆海洋基本法成立
これを「安倍政権の功績」と呼んでよいのかはわかりませんが、事実経過からして安倍晋三氏の存在は無視できないでしょう。
◆国家安全保障会議(日本版NSC)を創設
国家安全保障会議(日本版NSC)を創設したのも安倍政権下であり、安倍氏の主導によって行われました。
日本版国家安全保障会議 (NSC) の機能的特徴 小谷賢
なお、2019年10月には経済班設置準備室が用意され、翌年4月に発足しています。
前国家安全保障局長の北村滋 氏が民主党政権期に厳しさを増した安全保障環境、中国・北朝鮮・ロシアの軍事プレゼンスの強化を踏まえて以下述懐しています。
話の内容が前後しますが、以下で述べる第二次安倍政権時の評価とは切っても切れない内容を北村氏が話しているのでこの段階で紹介します。
「前文」に書かれている内容の原文は以下。
本体については複数媒体で確認可能。
◆国民投票法成立施行
日本国憲法第96条第1項では憲法改正の要件が定められていますが、その具体的な手続については国会法68条の2〜6で国会による改正の発議の方法が定められている以外には規定がありませんでした。
特に憲法改正発議後の国民投票に関しては具体的な手続を規定したものが何も存在してませんでした。
そこで成立したのが【日本国憲法の改正手続に関する法律 平成19年法律第51号】であり、本法が成立・施行することで憲法改正の道筋が付けられたことになります。
これ自体が国家運営を前進させた明確な事例であると言えます。
潰瘍性大腸炎の症状悪化による辞任、自民党の下野、そして再挑戦
その後の平成19年(2007年)9月12日、安倍氏は持病である潰瘍性大腸炎の症状悪化によって総理大臣辞任を余儀なくされ、9月25日に内閣総辞職。
安倍氏は麻生政権下の自民党の衆院選大敗を経験、民主党への政権交代に伴い下野するも、その後、新薬による寛解を経て自民党総裁に返り咲き、2012年12月に第二次安倍政権を発足させます。
この間発生した東日本大震災からの復興支援に対する安倍氏の取り組みについては第二次政権時代の行動と合わせて紹介することとします。
第二次安倍政権時代の功績概要
第二次政権時代の功績・政策実行の前提となる動きについては以下。
◆米国上院下院演説・オバマ大統領の広島訪問等、日米関係の醸成
◆河野談話以来の慰安婦問題に対する対外発信の軌道変更
◆FOIP=自由で開かれたインド太平洋構想の提唱(戦略)
◆QUADの構築
◆集団的自衛権の行使容認
◆特定秘密保護法成立・施行
◆テロ等準備罪成立・施行
◆TPP締結、CPTPP発効
◆経済政策=アベノミクス(第一の矢=金融政策を起点)
◆東日本大震災の復興への取り組み
◆新型コロナへの初期対応確立
ここで論じ切るにはあまりに重要かつ膨大な項目ですが、一つ一つ見ていきます。
◆米国上院下院演説・オバマ大統領の広島訪問等、日米関係の醸成
この話は現在の日米関係や日本国の先の大戦に関する認識に対する欧米諸国による評価・信頼関係に関連し、FOIPやQUADが受け入れられた土壌の一つとして論じられることも多いので最初に指摘します。
米国連邦議会上下両院合同会議における安倍総理大臣演説 平成27年4月30日
これは画期的な出来事であり、「英語演説で世界を沸かせた総理大臣は伊藤博文と安倍晋三だけ」と評されることもある異例の演説でした。
この演説単体での効果とは到底言えないでしょうけれども、日米関係の改善・進化にとって明らかに一つの象徴的な出来事でした。
その後、オバマ大統領(当時)が米国大統領として初めて広島市を訪問し…
外務省 オバマ米国大統領の広島訪問(概要と評価) 平成28年5月27日
次いで、安倍総理がハワイの真珠湾を訪問し、各種演説・ステートメントの発表が行われました。
外務省 安倍総理大臣のハワイ訪問 平成28年12月28日
こうした動きの積み重ねによって、日米関係や日本の国際関係が次のステージに進む礎となっていったと言えるでしょう。
同様に戦後70年談話によっても国際社会の信頼獲得の成果があったとする指摘もあります。
アメリカの老舗シンクタンクCFRではSheila A. Smithが「おそらくもっと注目に値するのは、トランプ政権への移行をナビゲートする安倍の能力だった」と評しており、米国民主党の大統領から共和党の大統領に変化するなかでもアジアの地政学について助言することを優先したことを指摘しています。
◆河野談話以来の慰安婦問題に対する対外発信の軌道変更
欧米諸国による信頼関係に関連するものとして無視できないのが慰安婦問題についての日本政府の姿勢の変更です。
政治家が慰安婦問題について議論すること自体、大きなタブーだった。
これは論を待たないでしょう。閣議決定ではない河野談話と記者会見の席上での河野洋平議員の発言が朝鮮半島にとって都合の良い形で伝播していき、小中高の教科書では「日本軍による強制連行」があったかのような記述がありました。
このような論調に迎合した学校教育や報道が「自虐史観」を生み、たとえば旧統一教会=家庭連合による贖罪意識への付け込みが行われる素地となる世論が形成されていたことは、ほとんどメディアに現れることはないが公然の事実でしょう。
第二次安倍政権発足直前の党首討論会は複数回行われていますが、同様の趣旨の発言は報道もされていました。
これは11月30日の11党での党首討論会中の発言にみられます。
慰安婦問題・河野談話については10分35秒あたりから。
この発言の2年後、朝日新聞が吉田清治の証言記事の撤回を発表し、謝罪。
慰安婦問題の簡易的な年表は以下。
◆1983年~慰安婦問題:吉田清治証言という嘘を発端に1993年、金学順(キム・ハクスン)が女子挺身隊として強制連行されたと事実誤認の主張で慰安婦問題が加速
⇒2014年12月、朝日新聞が吉田証言記事の撤回を発表・謝罪
※ただし英語媒体では不審な動きが継続している
⇒2020年前後、金学順証言を報じた朝日新聞記事を書いた植村隆の記事に事実誤認があると裁判所も認定、2021年には最高裁で植村の「捏造」認定が確定
◆1993年:慰安婦問題に関する河野談話。日韓政府の合意のもと、道徳的責任の趣旨で慰安婦慰労金資金を拠出。「女性のためのアジア平和国民基金」を作り慰労金事業。しかし、韓国挺対協の反対で元慰安婦の基金受領を妨害。2002年、韓国内での慰労金支給を終結。
◆2015年慰安婦合意:安倍政権がアメリカを証人として「最終的且つ不可逆的に解決」
⇒日本が「和解・癒やし財団」に10億円を拠出するも韓国は日本との協議なしに解散を表明。韓国側の不履行状態
安倍政権下では議員の中でも河野談話以来の政府の姿勢を問いただす者が多く出て来るようになります。
そして、平成27年8月14日の戦後70年安倍談話が出されることとなります。
平成31年4月には外務省でも「性奴隷は事実に反する」など対外的な発信の仕方も大きく変わりました。
現時点でも、欧米における戦前の日本に対するナラティブが合理的なものとなるように払しょくされたと言えるか疑問ですが、現在はアメリカ人によって学術的な観点からも再検証が為されているなど、明らかに国際世論に変化が生じました。
◆FOIP=自由で開かれたインド太平洋構想(戦略)の提唱と浸透
FOIP=Free and Open Indo-Pacific=開かれたインド太平洋構想(当初は「戦略」)とそれに基づく国際協調の枠組み構築は、第二次安倍政権の功績として最も重要なものであり、日本国の歴史的に見ても戦略の転換を導いた大業として国内外から評価が高いものです。
FOIPはTICAD VI開会に当たって・安倍晋三日本国総理大臣基調演説(2016年8月27日(土曜日))(ケニア・ナイロビ,ケニヤッタ国際会議場)で示された日本政府の外交方針です。安倍氏は小泉政権時代からこの発想を持っていたようです。
もっとも、日本の大衆向けメディアでこの点がクローズアップされることは少なく、むしろ海外メディアにおいて率直な評価をしているものが見られます。
FOIPの「最重要の当事国」と言えるインドのモディ首相からは「我が友、安倍さん」と題する以下等に採録されている追悼文が出されました。
産経新聞令和4年7月21日7面ではインド全土で異例の追悼が行われたことを受けて、森浩氏によってインドに対する安倍政権下の関わりが紹介されていました。
・新幹線方式の高速鉄道のインド導入
・インドへの原発輸出を可能にする原子力協定を締結
・外務防衛閣僚協議2+2を初開催
・航空自衛隊とインド空軍の戦闘機訓練で合意
・インド政府は21年、民間人に贈られる勲章で2番目に高位のパドマ・ビブシャン章を安倍氏に授与
さて、FOIPは安倍政権の国家戦略・外交戦略の根幹だったわけですが、外交戦略全体について慶応義塾大学の国際政治学者である細谷雄一教授が以下指摘しています。
日本の主要メディアが「アベによる民主主義の破壊」などと言ってる傍から、以下の事実を提示しています。
上掲のディプロマットやモディ首相の文章に現れた安倍氏の認識と一致しているのが分かります。
細谷教授は産経新聞でも以下指摘しており、端的な表現が分かりやすいためあわせて引用します。
細谷教授は、それが可能となったのは「集団的自衛権の解釈変更」や「歴史認識70年談話」での国際社会の信頼獲得があったとみており、トランプ前大統領が2017年秋の訪日時に「安倍氏の力強いリーダーシップを支える」と言ったことを受けて「対米追従の関係を逆転させた」と評しています。
海外からも同様の認識で語られている例としてクリストファー・ジョンストン氏へのインタビュー記事があります。
岸田総理による故安倍元総理の功績についての言及でもFOIPが言及されたように、安倍政権の最も重要な政策であり、成果を生んだものだったと言えます。
FOIPに関する説明、経緯、その後の展開については調べればたくさん見つかりますが、一つの参考として以下を置いておきます。
他にも2013年7月にフィリピンやマレーシアを訪問しましたが、これらの国に総理大臣が訪問したのは第一次安倍政権時の2007年以来だったことについて安倍氏は危機感を持っていました。その後、ASEAN加盟諸国すべてに訪問しました。この意識は菅義偉政権にも受け継がれ、菅総理の最初の訪問先はベトナムとインドネシアでした。
◆セキュリティダイヤモンド構想からQUADへ
第二次安倍政権発足直後の平成24年(2012年)12月27日、"Asia's Democratic Security Diamond"=「アジアの民主主義セキュリティダイアモンド」と題する英語論文がプロジェクトシンジケート上で掲載されました。
オーストラリア、インド、アメリカ合衆国(ハワイ)と日本を四角形に結び、4つの海洋民主主義国家の間でインド洋と太平洋における貿易ルートと法の支配を守るために提唱されたものです。
その後、日米豪印戦略対話、または4か国戦略対話=Quadrilateral Security Dialogue=QUADとして捉えなおされ、インド太平洋構想の中核を形成しています。
QUADについてはFOIPに触れながら他の戦略・外交方針と並べて言及されることが多いですが、以下を挙げておきます。
https://www.hudson.org/research/18110-three-legacies-left-by-former-pm-abe-what-comes-next
ハドソン研究所の長尾賢 氏は、安倍首相が「強いインドは日本の最善の利益であり、強い日本はインドの最善の利益である」と宣言し、「強い日本」を作るために自衛隊の多くのメンバーを含む国家安全保障局(NSC)を設立したことや防衛省改革をして自衛隊の社会的地位を高めたと指摘。それとともに台湾の支援に力を注ぎ、安倍氏の2022年4月の論文「台湾をめぐる米国の戦略的曖昧さは終わらなければならない」では、台湾に対する明確な支持を主張したことを挙げ、そのビジョンと実践の遺産があると評しています。
安倍氏が総理退任後も一議員として台湾との協力関係を進展させようとしていたことは台湾パイナップルの件などからもうかがい知れるところです。
「安倍氏は中国からの脅威に対抗するために日本の台湾との関係を変えた」とする見方もあります。
なお、オーストラリアからはQUADが評価されて勲章が授与されています。
安倍総理はトニー・アボット元豪州首相について、総理大臣就任後の靖国神社参拝直後に面会して「日本はいわれなき非難を受けている」と声をかけられ、それ以来連携が進み現在のクアッドに繋がったことを伺わせる話をしていました。
◆集団的自衛権の行使容認する政府見解変更の閣議決定
集団的自衛権の行使容認する政府見解変更の閣議決定とは以下のことです。
国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について 平成26年7月1日 国家安全保障会議決定 閣議決定
政府見解上の表現としては「従来の政府見解の基本的な論理(閣議決定中でも明示されている)に基づく自衛のための措置」の見解変更であり、この基本的な論理について解釈を変えたわけではない、という立場です。
それに合わせ、平成27年9月19日に成立した自衛隊の防衛出動に関する自衛隊法76条1項の改正を含む平和安全法制の整備が行われました。ここの細かい話は割愛します。
この法律案の審議の時期である2015年8月に大学教授が「もちろん暴力を使うわけにはいきませんが、安倍に言いたい。お前は人間じゃない!叩き斬ってやる!民主主義の仕組みを使って、叩き斬りましょう!」などと人格否定までして反対論を展開していたことはあまりにも有名です。
自衛の措置としての武力の行使の新三要件として
①我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
これらを挙げています。
もっとも、日本政府は国際法上の集団的自衛権をフルスペックで行使することは憲法が認めていないという立場であり、「密接な関係にある他国」や「存立危機事態」などの要件があることで、国際法上、主権国家に認められている集団的自衛権の行使要件よりも厳格なものになっています。
国際法上の集団的自衛権の行使要件には援助要請要件がありますが、これは自衛隊法88条2項に読み込まれて要求されるというのが政府見解です。
ただ、細谷教授も指摘するように安倍政権による解釈は「漸進的な革命」なんでしょう。一歩ずつ先に進むための橋頭保と捉えれば良いのではないでしょうか。
憲法改正すればこの範囲が広がるのかどうかは改正の仕方次第であり、きちんと意思を示すべきでしょう。
今思えば、新型コロナ禍が無ければ、持病の悪化が無ければ、東京五輪が開催される2020年に改憲発議が為されていたのかもしれない…と思わざるを得ません。
第一次安倍政権で国民投票法を成立させたことで憲法改正の道筋をつけたのですが、少なくとも自衛隊の法的正当性の論争を終わらせようという安倍氏の発言の趣旨に適う改正については、他国メディアも賛意を示すまでになっています。
ワシントンポストが「米国や他の民主主義国は日本の軍事力の正当性を支持すべきであり、憲法改正案は既に現存する陸海空軍を合法化するだけだ」、という主張をし、日本国の憲法改正を支持するような論調を繰り出すまでになったのは衝撃的です。
◆特定秘密保護法成立・施行
【特定秘密の保護に関する法律(平成二十五年法律第百八号)】は、外交秘密・防衛秘密・テロ防止・スパイ(特定有害活動)防止の4分野について秘密情報を指定して情報管理を厳格化するための法制度。
これ以前からも国家公務員法などによる秘密情報という扱いはあったものの、扱いの厳格さはバラバラでした。
そこで、「秘密」の中でも「特定秘密」という扱いのものを設定し、適性評価をクリアした者のみが特定秘密の取扱いの業務を行うなどし、情報漏洩した公務員や一定の要件のもとで取得・知得した者へ刑事罰を設定するなど扱いを統一したものです。したがって、従来の「秘密」の範囲を拡大するものではありませんでした。
国内政策において政権に返り咲いた安倍総理にとって最初の試練でした。
◆安全保障環境が変化
⇒的確に情報収集、収集した情報を基に迅速・適切な判断を行うことが重要
⇒関係国からこれまで以上に質の高い情報を得ることが前提
⇒我が国の情報保全体制が関係国から信頼され、機微な情報の提供を受けられるようにし、情報交換の促進を図る必要
⇒また、国家安全保障会議(NSC)の審議をより効果的・効率的に行う必要
⇒秘密保護の共通ルールを整備し、安全保障上の秘密情報を統一的に取り扱うためのスキームを確立
⇒行政機関における秘密の取扱いに客観性と透明性が高まる
安倍氏の本法に関連する問題意識について、この動画で平将明議員の質問に答える形で語られています。
「日本は戦争をやめろ」「戦争が始まったら、女性の人権が破壊される」「映画が作れなくなる」「小説が書けなくなる」などと荒唐無稽な反対運動があったことなど動画内でも振り返られています。
◆テロ等準備罪成立・施行
特定秘密保護法が秘密情報全般の交換に関するものに対して、テロ等準備罪は犯罪者情報の交換に関するものと言え、TOC条約を締結するため、テロを含む組織犯罪を未然に防ぐために設けられたものです。
この話の対象となる法律案の正式名称は【組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案】です。平成29年6月15日に成立しました。元の法律は【組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(平成十一年法律第百三十六号)】
①組織的犯罪集団の団体の活動として、②特定の犯罪類型について、③二人以上での計画をし、④準備行為をした者、を処罰する内容です。
TOC条約締結と国際協力について
国家機関の情報共有ルートが短縮されたという効果があります。
2017年当時、「共謀罪法に反対!」などとマスメディアでも日弁連でも盛んに叫ばれましたが(成立後も)、「準備行為」が求められる本法に対しては事実誤認もいいところでした。もともと刑法の適用時に「共謀」が認定されていたわけで(共謀しただけの者を処罰するには実行犯の実行行為の開始が必要)、共謀が存在した時点で犯罪が成立する他国の法制度との違いは明らかだったにもかかわらず。
「居酒屋で上司を殴りたいと会話しただけで逮捕?」などという、法律案の名称すら見ていない者の妄想をメディアが大真面目に取り上げていた始末。ワイドショーでも言いたい放題でした。
当時のメディアの認識誘導の手法は以下でまとめています。
◆TPP(環太平洋パートナーシップ)締結とTPP11(CPTPP)へ
元々は2006年に発行されたシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4か国EPA(P4協定)の拡大から始まりました。
日本のTPP締結には国内からも「対米追従!TPPで亡国!」などと言われることがありましたが(いわゆる右派も悪性評判をしていた)、平成25年3月15日安倍内閣総理大臣記者会見において交渉参加することを決定したことを表明し、甘利明議員の尽力もあり実現されました。
2016年に12カ国が参加するようになりましたが、2017年にアメリカが離脱した後にTPPの一部の規定の発効を停止した上で新たな貿易協定を交渉し再開された多国間経済連携協定がCPTTP(包括的及び先進的な環太平洋パートナーシップ協定)=TPP11と言われます。
「経済安全保障の確立」は、国家安全保障会議(NSC)の経済班設立の際にも意識されていました。
ただし、それは「日本国を守る」という観点だけにとどまるものではありません。CSISのマシュー・P・グッドマンは、その世界経済における役割について、より広く安倍氏の遺産であるとして紹介しています。
最初に、安倍首相は就任から 2 か月足らずの 2013 年 2 月にワシントンを訪れ、 CSISで「日本は帰ってきた」と宣言した印象的な演説を行い、当時進行中だった米国主導の環太平洋パートナーシップ(TPP)貿易交渉に日本が参加することに関心を示していることを明らかにした、と言及されています。
やはりここでもアメリカ脱退後にアメリカが復帰するための扉を開いたままCPTPPを発足させたことを評価しています。グッドマン氏は2020年の別稿でも指摘したように、CPTPPに加えて"質の高いインフラ "を推進するキャンペーンも特筆すべきだとし、2015年に開始された安倍首相の「質の高いインフラのためのパートナーシップ」と、その後、2019年のG20大阪サミットにおいてチャイナの習近平国家主席を含む他の経済リーダーたちに、6つの「質の高いインフラ投資のための原則」を承認させたことを挙げています。
また、データガバナンスについての国際合意が少ないなか、2019年1月にダボスで開催された世界経済フォーラムで講演した安倍首相は「信頼あるデータの自由な流れ」(DEFT)というコンセプトへの同意を取り付けたことも評価されています。
そして、グッドマン氏は「日本は国際経済において基本的にルールテイカーであり、国際貿易においてしばしば守りの姿勢をとり、新しいルールや規範を支持するためにリスクをとることはほとんどなかったが、安倍首相はこれらの取り組みにより状況を一変させた。米国が世界経済ルールの形成者としての伝統的役割から退いている中で、安倍首相のリーダーシップは極めて重要であった」、と締めくくっています。
なお、安倍元総理はチャイナがメンバーに入るRCEP(東アジア地域包括的経済連携)においても日本が主導的な役割を果たしていく決意でした。
両者の日本国にとっての位置づけが今後どうなっていくのか、FTAAP=アジア太平洋自由貿易圏構想の形成とのかかわりがどうなっていくのかはわからりませんが、以下の記事は参考になるかもしれません。
◆アベノミクスと「三本の矢」:金融政策・財政政策・成長戦略
第一の矢=大胆な金融政策
第二の矢=機動的な財政政策
第三の矢=民間投資を喚起する成長戦略
アベノミクスとは第二次安倍内閣の経済政策を指し、その説明概念として「三本の矢」という表現が用いられました。2013年6月14日発表の「日本再興戦略」で全体像が示されるようになりました。
のちに「アベノミクス」と呼ばれる政策が言及された施政方針演説は2013年2月28日ですが、起点をさらに前と捉える考え方も存在します。
第一の矢は功を奏してデフレマインドをある程度払拭したが、2度の消費増税があったことなどもあり第二の矢は不徹底、第三の矢もあまり…といったところが巷間の一般的評価のように見えます。
ただし、明治大学政治経済学部教授の飯田泰之氏によれば、以下の評価が可能とされています。
では、アベノミクスによって日本経済に関する数値はどうなったか。
上武大学ビジネス情報学部の田中秀臣教授は2020年8月28日の安倍氏の辞任表明の前後に以下振り返っています。
また、「非正規雇用が増えた」ことがまるで悪いことかのように言われることがありますが、そのような見方については多方面から突っ込みが入っています。一例として分析されているまとめとして以下紹介。
消費税増税は安倍氏の意思ではない、ということが飯田泰之氏など多数人が仄聞していることを指摘していますが、増税の流れについては以下でまとめています。
◆東日本大震災の復興への取り組み
平成23年(2011年)3月26日、当時野党議員だった安倍晋三氏は他の自民党員ともに福島に支援物資の供給等の活動を行っていました。世耕弘成 氏も同行していました。
安倍総理は、総理就任直後の平成24年12月29日にまず福島県を、その後の平成25年1月12日には宮城県を、平成25年2月9日には岩手県・宮城県を訪問しています。
第一次安倍政権前の2006年に刊行した「美しい国へ」を改訂し、あらためて2013年1月に発行された著書の増補となる最終章に、文藝春秋2013年1月号に掲載された文章が採録されています。
こうして2013年2月1日に福島復興再生総局が設置され、「5年で19兆円」という復興フレームを見直し、25兆円に増額しています。
国際オリンピック委員会総会において、福島の状況に関して「アンダーコントロール」と主張するなど、国際社会へのアピールも積極的に行っていきました。その後、東京オリンピックの一部競技(野球・ソフトボール)について福島県の競技場で試合が行われることが決定・実施されました。
総理大臣就任後、何度も代わり映えのしない「ジューシー」というセリフとともに福島県の食品をおいしそうに食べる姿をメディアに見せていました。
安倍総理退任後ですが、2021年には米国FDAが処理水の海洋放出に「安全への影響はない」と科学評価、IAEAが海洋放出に技術協力を表明、菅政権時のALPS処理水の海洋放出決定や、米国が日本産の食品輸入規制を撤廃するなど、着実に正常化が進んでいます。
◆新型コロナへの初期対応確立
安倍政権が新型コロナウイルスへの初期対応を確立したことを「功績」と呼べるのかどうかは後世に委ねるべきでしょうが、政権の判断が無ければ成し得なかったことというのは指摘できます。
・入管法5条1項14号の解釈を駆使して外国人の外国からの入国規制を実施
【出入国管理及び難民認定法】=入管法の規定は以下となっています。
新型コロナが日本で流行する前の2020年1月当時、無症状病原体保有者に対しても各種の規制ができるのか?という問題がありました。なぜなら、それまでの政府・厚労省の認識は、「症状が出てから人に感染し得る」というものだったからです。
さらに、感染しているかも不明な人物に対して、感染流行地域から出国したことを理由として「日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれ」を認定することの懸念を伝える者もいました。
しかし、行政手続法上も外国人の出入国に関しては広範な裁量があるとされているため、特段の事情が無い限り感染流行地域から入国拒否する方針が2月1日から実施されました。
このタイミングが遅すぎた・対象地域が狭すぎる、という批判もありました。ただ、当時の微妙な空気感=感染症の日本への蔓延を避けたいが「外国人の人権!(出入国に関してはそんなものは無いが)特別永住権者はどうなるのか!」と悪し様に言いたい人たちの歯に物が詰まったような物言いがあったことは指摘しておきます。安倍政権でなければ、もっとタイミングが遅くなっていた可能性は高い。
現に、これは2020年12月の話ですが、以下のような印象操作報道があったくらいです。2020年以前から存在する情報パンデミックと常に対峙していた。
・3密⇒3Csとして世界の模範として広がった感染対策
日本政府は尾身茂 氏を感染対策のトップに据え、以来ずっと対応をまかせてきました。その人選自体が称賛されるべきです。日本の感染者数に対する死亡者数は、ずっと世界で最も低い水準でした。世界で断トツの高齢社会である日本で、高齢者に対して死亡率の高い感染症に対して、このこと自体は誇るべきです。国民の協力があったからと言えますが、政府の発信を信じようとする素地がありましたし、一部地方行政のように医学的根拠が怪しい手段に飛びつくということは一切しなかった。
新型コロナウイルスの感染予防の対策として、3つの密(3密)として「密閉・密集・密接」の環境に注意すべきという標語が2020年3月に生まれました。
厚生労働省では、これを"Three Cs" として同年3月28日から英語での発信が確認できます。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/newpage_00032.html
以下のようなパンフレットもありました。
https://www.mhlw.go.jp/content/3CS.pdf
⇒ドキュメントプロパティで3月29日作成ということがわかる。
英語圏でも、このThree Cs・3Csと呼ばれる標語が使われるようになりますが、WHOの発信で確認できるのは同年の7月からになります。
このように、日本側が最初に感染対策の肝を提唱し、それを世界に発信し、他国が参考にしたという事案としても「3密」というのは重要なものです。
・ワクチン確保の道筋
6月14日の時点でアメリカのモデルナとイギリスのアストラゼネカのワクチン開発に触れ、同年12月から2021年前半からの接種開始の見通しを立てていました。両国との良好な関係があればこそ、と言い得るでしょう。
◆国葬実施に値する功績を残した故安倍晋三元総理大臣
「国葬が実施された吉田元総理と比較して、安倍は国葬に値するのか?」
これに対する答えとして江崎氏の指摘は重要でしょう。
つまり、安倍主導・日本主導での国際枠組みを構築し、その枠組みを米国など諸外国が支持・維持して現在も続いているということ。こんな事を戦後の国際社会でやってのけた政治家は他に居るのでしょうか?戦前の、列強と渡り合い「当時の国際社会」の一員となり国際社会維持のために奮闘した宰相らと比肩しうるのではないでしょうか?
しかも、自衛隊創設や主権回復、沖縄の本土復帰など、振り返ってみれば時代の流れでほぼ必然的だったような事柄ではなく(大変大きな功績であるのは言うまでもない)、自らの意思で戦略を練り主導してきたと言えます。
◆Appendix:故・安倍晋三元内閣総理大臣を悼む声明・各所の動きなど
To Be Continued…