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「立法事実」論の射程と誤った用法の乱用

「立法事実」論の誤った用法の乱用が国会やSNSで行われており、現実の立法に際して影響した事例がある、ということを数年来指摘していますが、ここに来て重要な局面を迎えている国家の問題があるので、改めてそのような言説の影響力を削ぐ必要があると思い、解像度を上げた説明を試みます。

「立法事実」論の射程

【論究ジュリスト29号(2019年/春号)憲法訴訟における立法事実論の現況と展望 御幸聖樹】や、【立法システムの再構築 第3章 立法の「質」と議会による将来予測 宍戸常寿】では、法学界の各々が明確な言辞によって、「立法事実」の輪郭を浮かび上がらせている様子を紹介しています。

伝統的乃至は厳密な定義ではなく、その性質、意味内容の理解に資する言及の仕方として、以下の指摘が見られます。

  • 純然たる事実ではない

  • 単なる「生のデータ」などではない

  • 抽象的な事実を抽出・構成し、立案者において再構成された理論的・規範的なものである

  • 科学的認識ではなく規範的評価の問題だった

  • 将来予測、蓋然性の要素を含む

他、薬事法違憲判決や森林法違憲判決にもみられる言い回しを整理すれば、「立法目的達成のための手段として合理性又は必要性があるかどうか」「立法目的とそのための手段との因果関係の想定の妥当性」といった考え方をするのが「立法事実」論であると言えます。具体的な事実・社会状況は、それらを支える事実として機能し得るもので、時にはその変遷によって法令の合憲性を失わせることがあるにとどまります。

【立法システムの再構築 第3章 立法の「質」と議会による将来予測 宍戸常寿】において宍戸は、立法事実論が「目的ー手段の関係で理解することを前提にしている」ことを指摘し、大石眞の「特定的・個別的な政策課題を追求する立法又は補助金などをともなう産業育成的な立法」と異なり、「国民生活の基礎を形づくる包括的・総合的な立法」は立法評価になじまないとする論稿を引きます。

その上で、「生活関係・領域に内在する事物の本性に由来する法制度や、事実と区別された意味での価値的な決断を実定化する「構成的」な法律については、立法事実に照らした評価や立法者の将来予測を問うのは核心を外したもの」とまで言い切っています。

なお、立法府での立法段階における「立法事実」の意味は、単に「立法の必要性」とだけ答える政府答弁もあり、許容性は度外視している素振りがあります。

「立法事実」論の誤用とその乱用

他方で、「立法事実」については「現実に生起している具体的な社会状況が存在していなければ、立法事実は不存在である」という誤解に基づく認識操作が行われています。過去にはその誤解に基づいて立法が為された例もありました。(立法を支えている具体的事実が変遷した場合とは異なる)

そして、現在進行形で「立法事実」の誤用がひっそりと行われている領域の一つとして、皇位継承ルールに関する議論の場があります。SNSを見てもこの論法を真似て言説を拡散している者がみられます。

これに対しては、そもそも皇位継承のルールという国の形を選択する事項・国民の権利義務と関係ない事項や、身分行為を可能にする法制度については立法事実論の出る幕ではない、という事を冒頭リンクの記事に書いてます。

その上で「想定される対象者の母数が僅少だと蓋然性は低いから立法事実は無い」という論について敢えて言えば、そんな制度はいくらでもあり、例えば民法上の永小作権は現代ではほぼ使われないものですが、「立法事実の変遷があったから」などとして規定が無効になるわけではありません。

そもそも皇位継承のルールとして現在議論されているのは、最初から対象者が極めて限定されている話、対象者が限定されている事が問題なので広げましょうという話です。なのに、「対象者が僅少だから」と言って立法が許されないというのは本末転倒です。

他の制度で考えてみれば、自治体のパートナーシップ制度がありますよね。
あれは自治体の条例や措置として行われてますが、「制度制定前に、パートナーシップ制度に登録する人が何人居るか、予め具体的なカップルの意思を確認しなければならない」などということをを考慮することは無いです。そこで「立法事実ガー」とか言わないです。使われる場面じゃ無いからです。

立法事実論は、単に適用対象となる者の出現する蓋然性を見てるのではありません「蓋然性」だけ切り取って理解するのは間違ってます。その法令が目指した目的と手段の因果関係の想定が妥当かどうか?の中で何らかの蓋然性が考慮される事があるだけです。

敢えて立法事実論風に皇族と旧皇族男系男子との養子縁組について語る

敢えて立法事実論に論じるとすれば、旧皇族男系男子との養子縁組の場合、目的は皇位継承者の確保。手段は皇族と旧皇族男系男子の養子縁組、それによる皇籍復帰。皇籍復帰した者に皇位継承権を付与するか、その男子孫から付与するかはともかく、皇位継承者の確保という目的に適う手段というのは論を待たないでしょう。

これを「現時点で養子縁組する意思を有する旧皇族男系男子の存在或いはその出現する蓋然性」を立法事実論として語るのは、仮想的な立法事実論としてもおかしい。

旧皇族男系男子以外の国民との養子縁組を認めないのは、皇位継承ルールが男系の血統に基づくことが憲法上規定されているからであって、平等原則は何ら関係が無い。だから同じ身分行為でも同性婚訴訟における立法事実変遷論のような話にはなり得ない(地裁判決で挙げられていた「立法事実」は国籍法違憲判決の立法事実変遷論のように過去及び現在の具体的事実(社会状況)であり、立法の目的とその手段との合理的関連性を繋ぐ基礎となっているものと扱われているように見受けられる)。むしろその存在の特殊性から皇族との養子縁組の関係においては平等原則の埒外なのが旧皇族男系男子なのだから。

元々、一般国民は可能なのに皇族では皇室典範で禁止された養子縁組を、皇位継承ルールの範囲で(特例的にせよ一時的にせよ)復活させるものです。一般国民と同様に平等を問題にする立場なら、皇族だけが禁止されていることがそもそも平等原則違反ではないのか?

そして、皇位継承ルールにおいて「立法事実」に相当するものを仮の立論として言及するならば、ほとんどが「皇室の伝統」【皇位継承ルールの先例】ではないのか。養子縁組が明治の典範で禁止されたのは、当時の皇族方が多数存在しており、このまま皇族が増え過ぎると皇室を維持し品位を保つことが困難になることを危惧したものであるところ、現在の状況はこのままでは皇室が消滅しかねない危機的状況であるという大きな違いがあり、この状況が立法事実となると言い得るんじゃないでしょうか。

以上


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Nathan(ねーさん)
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