河瀨直美の東大祝辞は「価値相対化」なのか?
「河瀨直美の東大祝辞は安易な価値相対化だ」
という指摘があります。
しかし、彼女は自らが所属する日本国による「侵攻」を全て「拒否します」と言っている時点で、「日本は悪」としています。
しかも、ロシアに関しては今般のウクライナ侵攻の話なのに対して、「日本の侵攻」に関しては将来発生するあらゆる状況の「侵攻」に対するものを指して言っています。
その上で、「ロシアは悪と言うのは簡単」「その国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら」「「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?」と言っています。
このように、「相対化」のように見えて実はそうではない。
「日本は何をしても悪だが、ロシアはウクライナで民族虐殺をしていようが、正義かもしれない」と言っている。
つまり、河瀨氏の祝辞は結局、「ロシア側にもウクライナ侵攻に一分の理があることを認めろ」と政治的主張をしているにすぎない。
「相対化」どころか、ロシア側のナラティブに引き付けた主張です。
だからこそ悪質な主張なんです。
「全体を読めば妥当だと思った」と言っている人に限って、文節ごとの最大限の好意解釈をしているだけで、「~拒否することを選択したいと想います」と主張したことによるそれ以前の主張との整合性について無頓着なのは、いったいどうしたことでしょうか?
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