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自分の頭で考えろって言うけれど

最近頭を殴られるような体験をした。

わたしがファンの某女性が
「映画何見ればいいですか」
「本は何を読んだらいいですか」
というこの世に溢れ返っている質問について、
ある話の中で
「そういう質問は、
『自分はどうやって稼げばいいですか?』という質問と同レベだ」
と断罪した。

少し補足が必要だろうか。

最近このnoteにも
「わたしがフリーランスになるまで」
「今月のライターの収入報告」
「わたしのやりたいことの叶え方」
など、会社員からの華麗な転身術なる投稿が目立つ。

個人的にはこのコロナ禍をきっかけに、
どこでも仕事って出来るんじゃん!
もっと自由に出来るんじゃん!
好きなときに仕事って出来るんじゃん!
と、一部の人に許された特権だと思われていたものが
大衆化したように思う。

SNSでキラキラした人が大いに可視化されて、触発されて、
「もしかしたら自分にもできるかもしれない」
と心を躍らせ、
それは勘違いかもしれないし、
成功の一歩かもしれないのだけど、
なんでもない普通の人たちにもSNSという望遠鏡が手渡されて
キラキラしたように見える人たちとの距離感がバグってしまった。

距離は適切に認識しておくべきなのだ。

かく言う私もその一人だ。

SNSで身近な人の活躍を見れば
「わたしだって、こんなもんじゃない!」と思ったりした。

キラキラした理想と、
地味な会社員の現実を行き来するうちに
キラキラした生き方を模索する人もすごく増えたし、
キラキラした生き方を伝授する人もすごく増えた。
そこには承認欲求と、
未来への迷いと、
現状への不満が渦巻いている。

そんな現状を見かねて
「もっとみんなちゃんとして?!
生き方は人に教えてもらうことじゃないし、
好きなことも、仕事の仕方も、考え方も
全部自分の頭で考えるべきことなんじゃないの?」

と一石を投じた。
いや、10石くらい投じている。

その石が私にもあたったのだ。
けっこう痛い。

「わたしから見れば、
映画は何を見ればいいですか
本は何を読めばいいですか
って、どうやって稼いだらいいですか、と同レベの質問なんだけど」

という石はクリーンヒットした。

まじか。
めっちゃ聞いてた。

だって、
自分に自信ないし、
自分より優れている人が何を読んで、何を見て、
どう感じるのかめっちゃ気になるし、
同じものを見て、同じように思えたらめっちゃ安心する。

だって自分より優れてると思ってる人と同じ感覚だったんだもの。

逆に違えば、
私がその人より何が足りなくてそう思えなかったのか、が気になる。

その能力を補えば、私はその人に少し近づける。
そんなことばっかり考えてた。

でも、それは自分の頭で考えることを放棄している
ということにはもうずっと前から気が付いていた。

だから、他人から良い大学出てるって思われても、
私はバカだよって言っているし
そのバカだよっていうのはとことん思考力がないことを言っているのだ。

だけど、
いつどこでそんな自分の感覚を絶対的なものだと思えるのか
逆に不思議でならない。

天才になれない多くの人は自信がないし流される。
それではいけない、とわかっていながらも、
どうしていいかわからない。
自分の足で立つ筋肉がない。
もうもはや流してほしい。

でもその人は別に自分が天才だと言ってるわけじゃない。
自分の人生、自分で考えて生きないでどうするの、
と喝を入れているのだ。

でもやっぱり、どうしたらそんな喝を入れれるような人になれるのだ。
自分の言葉に力があるのだ。
どう生きてくればよかったのだ。
と思ってしまう。

今からは、今からの時間の使い方を変えていくしかないのだ。
それは絶望的だけど、同時に希望でもある。

考える訓練をしていくしかない。
自分の足でちゃんと立とう

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