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「ソーシャル・エクスペリメント」 第1話(全4話)

あらすじ

政府極秘調査「ソーシャル・エクスペリメント」で選ばれた最初のテスト国に選ばた日本とフランス。
ランダムに選択した被験者を5名を事前の説明は無しに、互いの国に送り、自分で衣食住を探しその記録を各国で交換し、パニックに陥った人の行動を予測する今後の研究に役立てようとしている。仕事もバックグラウンドもまるで違う5人がそれぞれ感じた日本での生活、フランスでの生活、そして政府の本当の目的とは? 


ソーシャルエクスペリメント


ソーシャルエクスペリメントとは、人々がある状況や出来事に対し、どう行動するのか実験し、心理的、社会的に研究する分野である。


 政府の発表に寄ると、”昨年の大惨事はパニックに陥った人たちがどのように行動するのか理解が足りなかった為に起きた”と確証した。特に自治体や国を管理する役所の人間がパニックに陥った為に、不可解で非合理的な判断を下し、ひどい状況になっていった。

 パニックに落ち入った人の研究をするために、各国の科学者、脳科学、行動原理学、心理学、人間工学など、ヒトの行動や国の文化に関係するありとあらゆる学問分野において、権威と呼ばれる世界中の科学者たちが知恵を合わせてある共同研究の提案をした。それが政府極秘調査「ソーシャル・エクスペリメント」である。

 ランダムに選択した被験者を事前の説明は無しに、よその国に送り、自分で衣食住を探しその記録を各国で交換し、今後の研究に役立てようとしている。

 最初のテスト国に選ばれたのは日本とフランスだ。

日本全国からランダムに被験者が選ばれた、計三名。フランス国内でも同じように二名選ばれた。被験者は三日に一度、どのような出来事が起きて、どのように対応したか、という日記を送るようにと命じられているだけで、期間も報酬も何も知らされていない。

 飛行機に乗せられ、指定された国で暮らし、三日に一度、状況報告をしてください、という以外には何も規定がない、これが昨年のパニック状態に似た精神状態を生み出すのではないかと研究者は期待している。

人物紹介

被験者1、日本国: 森永 秀太郎 (チル)

被験者2、フランス国: フィリップ・ブエ

被験者3、日本国: 堀内 夏希

被験者4、フランス国: マリ・ロー・シャヴィエー

被験者5、日本国:大竹 明(アキラ) 


本部 苅野先生(マッド)

吉田 稔 研究員


被験者1、日本国: 森永 秀太郎 (チル)

場所:パリ、モンマルトル


 アベス駅から坂をちょっと降りて左に曲がったところのカフェは窓が大きく、日差しがよく入る。昼前は観光客も少なく、ゆっくりとこの日記が書ける。

 アパートに黒いスーツを着た男性二人が訪ねてきたのは先月だ。

 去年の世界大恐慌と呼んだら良いのか、あの時に勤めていたインテリアデザインの会社は倒産してしまった。それからフリーランスで食いつないでいたが、顧客であった他の会社やホテルなども経営が行き詰まっていたので、インテリアデザインなんかに金をかけている場合でもなかったから仕事はどんどん減っていった。

 まだ三十歳になったばかりだったので新しい職でも身につけて転職しようか、と考えていた時に舞い込んできた話だった。あまり説明がなく、政府の新しいプロジェクトの対象だ、と言われただけだった。次の日から健康診断、あらゆる検査をして、翌週には飛行機に乗せられてパリに着いていた。

 パリに着いたのは朝の四時、飛行機を降りて入国審査に向かう。仏頂面の髪の毛がきれいな茶色の警察官にパスポートを渡す。質問されたらどうしよう、なんて答えればいいのか?政府って英語でなんだっけ? ワーク、ガバメント・・でもフランス語では?

 結局、何も質問されないまま、差し出したパスポートにガチャリ、とスタンプを押されて拍子抜けした。荷物を回収して出口へ向かう。空港は閑散としていて店は何一つ空いていなかった。勇気を出して、空港のスタッフに市内に行く方法を尋ねたが、電車もバスもまだ動いていなかった。がっかりしていると、タクシーに乗れば、と言われたが値段は五十ユーロと言われた。市内に到着したところでホテルの部屋も三時からのチェックインだったので始発の電車を待つことにした。

 駅のホームは寒かったので空港と駅の間の待合エリアで二時間ほど待った。子供達は簡単な遊具があるエリアで遊び、笑い声をあげている。朝から元気だな、と思いながら、自動販売機で買った食べ物とコーヒーを口に運びながら見ていた。走り回る子供たちを見ながら、森永はふと子供の頃を思い出した。森永、という苗字からチル、のあだ名がついたのは三年生の時だった。当時、も・り・な・が・チルミル、というキャッチフレーズのCMが流行したので、クラスの子供たちが森永の代わりにチルミル、と呼び出した。そのうち短くなって、チル、と呼ばれるようになった。この子供たちもあだ名がついているのかな、フランスではあだ名をつけるのかな、と疑問に思った。多分、フィリップなら”フィル”とか”フィップ”とか、はたまたチャールズ・ディキンズの小説の様に”ピップ”になったりするのだろうか。

 そんな事を考えているうちに、ようやく始発が動き出した。RERのB線に乗ると四〇分ほどでパリの北駅に到着し、その足でモンマルトルの方まで向かった。モンマルトル、を選んだのはピカソやゴッホが住んでいたという芸術家の街に興味があったからだ。空港で買ったSIMカードのおかげでインターネット検索ができ、泊まる場所は決まった。

 三月の頭のパリは寒かった。北駅から歩いたら二十分と書いてあったから、時差ボケの体に鞭を打ち、節約のため歩いて向かうか、と歩き始めたがモンマルトルへはすんなり歩けるような道ではなかった。石畳の坂道にスーツケースが鉛のように重く感じる。インテリアデザイナーとして現地に泊まり込みで出張することが多かったからスーツケースには多少お金をかけて頑丈なものを買っていたが、それでも石畳のガタガタする急な坂道を登ったり、降りたりする中でスーツケースが傷ついてしまうんじゃないか、タイヤがもげてしまうのか、少し心配になった。

 ホテルはモンマルトルエリアとしては格安、といっても一泊、五十ユーロした。気に入ったらもう何泊かしても良いし、とにかく一泊だけ予約しておいた。思いのほか綺麗なホテルだったので、その場でもう二泊予約した。まだ空いている部屋はなかったが、昼には部屋が用意できるからと言われ、そのまま周辺を散歩していた。その時に見つけたカフェがここだった。

 そして今日が日本を出発してから三日目、すなわち日記の提出日だ。

 このカフェは居心地は良いが、コーヒーが高い。いや、厳密に言うとカフェオレが高いが、カフェ、というエスプレッソだけ頼むと二ユーロで済む。カフェオレは四ユーロ八十セントもするからカフェを二杯飲んでもお釣りがでる。

 それだけではなく、カフェを頼むと水も一杯もらえるので、時間的にはさらに粘れる。

 イタリアに行ったことはあったがフランスは始めてだ。イタリア人は、フランスのコーヒーは薄くでおしっこみたいにまずいぞ、と言っていたが、そんなことはない。確かにイタリアのコーヒーの方が濃い気がする。でもこれはこれで十分うまい。

 このカフェのさらに良いところはクロワッサンが極上だ。ホテルにも朝食サービスがあったが、八ユーロと言われたからやめておいた。今回の研究に参加することでの報酬額も聞いていなかったから節約できる分は節約しておいたほうが良いと思ったからだ。

コーヒーとクロワッサン、それから水が一杯ついて四ユーロ。日本円にしたら五百円を超える。それで二時間も粘るのだから良いとしよう。

 太陽が背中に当たり、じんわりと汗ばんできた。外に出ると肌寒いが、カフェの中は大きな窓が虫眼鏡のような役割をして、森永の背中をジリジリと焼いている。

 日記の指定フォーマットに目を通す。

 質問事項にエッセイ方式で答えるようになっている。

「フランスに来てストレスに感じたことは何ですか」

「その時にどんな考えを持ちましたが(解決策)」

「日本とはどのように違うと感じましたか?」

 項目がズラズラと並ぶ。


 とりあえず、朝四時に到着した便が不便だった、と感想を述べた。交通機関もないそんな早朝の便に乗せてどうすれば良いのだ。ホテルだってタクシーに乗ったところでホテルもチェックインできないし、日本みたいに治安がよくないからその辺で寝ようと思っても寝れない。

 パリに向かう電車の中で寝てしまいそうになったが、スリが多いと聞いていたから寝ないように必死に起きていた。それもストレスだったな、とパソコンに打ち込む。

 北駅を出たところの広場もひどいものだった。物乞いがいっぱいいて、全員がスリに見えてしまう。北駅を出てモンマルトルまで歩く途中の道はなぜかウェデングドレスを売っている店が多く、去年別れた彼女を思い出した。

 彼女は瞳という名前だった。その名の通り、瞳が綺麗な子で付き合って二年近く経っていた。周りからは三十になるんだからそろそろ、と言われていたが、なかなかプロポーズする気にならなかった。しばらくしてから瞳から別れよう、と言われた。瞳は証券会社に勤めていて、踏ん切りのつかないチルを「損切りした」と、周りの同僚には言っていたそうだ。今は取引先を通じて知り合った人と付き合っているらしい。話に寄ると、結婚を前提に付き合っていて、付き合い始めたと同時に結婚式場を予約したのだという。

そんなことをぼんやり思い出していると、

「何語で書いているの?」

店員がパソコンの文字を指しながら聞いてきた。彼女は日本人にはないアフロに近いようなカールがかかった金色のクリクリの髪が窓から入る光に当たり、ルネッサンス絵画の天使のように美しく光っている。

「ジャパニーズ。ディスイズ、ジャパニーズ」つたない英語で返事をした。

「あなたはライターなの?」と聞いてきた。「ノー」と言った後にどう説明するべきか迷ったが、日記だと言えば良いのか、「ディスイズ、マイ、ダイアリー」と答えた。

 ふーん、という音を立ててその場で話が終わってしまった。チルはパソコンに目を戻す。

 しばらくすると、「チョコレート食べる?」とカフェの端に置くようなチョコレートを3つくらい机に置いてくれた。「あ、メルシーボクー」とありがたく頂く。ただな物ばかりもらっては申し訳ない、とまたもう一杯カフェを頼んだ。これも彼女の目測だったのか、それとも単なる親切心だったのか。

 二時間後にはこの三日間に起きた内容を全て書き終えた。お金を置いてメルシーと言いながらカフェを出る。昼時のモンマルトルは観光客があちらこちらで食事休憩をするためにレストランを探している。モンマルトルはクレープが有名だと聞いたので、昨日はレンストランに行って食べてみた。メインの食事としてもデザートとしてもクレープを食べるのだ。そば粉でできたクレープに卵やハムが入って、ナイフとフォークで食べる、そしてデザートのクレープはヌッテラというチョコレートペーストが入っているタイプを薦められた。それも美味かった。

 毎日ランチにそんなお金をかけれる身分でもないので今日はパン屋さんで買ったサンドイッチを、公園のベンチに座って食べた。サクラクール寺院の裏手に回ると観光客も少なく、公園のベンチはガラガラだった。まだ肌寒かったが初日と違って今日は暖かいコートを来てきたので大丈夫だった。

被験者2、フランス国: フィリップ・ブエ

場所:羽田空港


 なんと!ワンダフルな!

 羽田空港に着陸したエールフランス便を降りて、入国審査の前にトイレに行っておこうと、空港内のトイレに寄った。軽く着替えをするつもりで個室に入ったらなんと着替えをする用の台がある。そして便座はほんのり暖かく、便座の右手にはたくさんのボタンがあったので一つずつ押してみた。音が出たり、尻を洗ってくれたり、ボタンを一つおすごとに「オーララー!」と歓喜の声が出てしまう。

 友人のミシェルは日本が大好きでよく、日本の逸話を話してくれた。トイレが素晴らしいというのも一つだったが、ここまで綺麗で素晴らしい個室トイレを見たことがない。

 六十にもなってこれが初めて来るアジアの国、という事実に少し恥を感じたが、正直アジアにはこれまで全く興味がなかった。働く会社では五週間の有給がもらえるが、家族四人で行くとなると、やはりヨーロッパの南の方か北アフリカのエジプト、モロッコ、チュニジアなどしか現実的に行けなかった。アジアの先進国は航空券が高い上に、ホテル代もかかるのでちょっと手が出せなかった。

 このプロジェクトに参加してくれ、と頼まれた時には家族に反対された。「日本なんかに行って何するの」と言われたが、今の会社に勤めてもう二十年、もう転職もしないだろうし、このまま人生が終わってしまうのも悲しかった。だから反対を押し切って日本に行くことを決意した。

 入国審査では指紋を取られたり、写真を取られたりして少し不可解な気持ちになったが、フランスに来る外国人も同じようにされるのだろう、と考えるとまぁ気持ちが落ち着いた。バスに乗って東京に向かうのが良い、とミシェルが言っていたから新宿駅までバスに乗った。運転手は帽子に白い手袋をしていてなんともプロっぽい感じがした。フランスのバスの運転手と違って運転も丁寧だった。

 新宿駅からホテルまでは歩いていける距離のはずだったが住所を見ても全く分からない。南口にバスが着いたが、ホテルのウェブサイトでは東口から徒歩五分と出ていた。だから駅の中に入ってざっと見渡したが東口に出れるような感じでもなかった。

 道ゆく人にプリントアウトした紙を見せながら東口に行きたい、と説明すると電車の改札を刺される。そうではない、電車には乗りたくない、東口に行きたい、というとまた改札をさされた。

 しょうがないから駅の人に聞いた。そしたらまた改札をさされた。小さい切符を渡され、改札を通ると東口、という表示がようやく見えてきた。スーツケースを引っ張りながら人混みの中を通り抜ける。携帯を見つめながら歩く若者の足にスーツケースがぶつかった、”Pardon"と言いながら振り向くと、彼からも申し訳なさそうに”ソーリーソーリー”と言いながら頭をペコペコと下げながら歩き去っていった。フィリップは自分からぶつかったのに謝られた事にびっくりしながら、東口の改札へと歩いていく。

 ようやく改札から出ると、また迷路のような道が待っていた。道に名前が付いていなく、番号ばかりだからきちんとホテルに歩けているか不明だった。カップルに声をかけて指してもらった道をまっすぐ進むと着くはずだったがいくら歩いてもホテルが見えてこない。

 サラリーマン風のスーツを着た男性に声をかけると彼は全く英語が喋れなかった。OK OKと言いながら、フィリップの腕を掴み、着いて来い、と言っている。「ディスウェイ」と言いながらちょっと歩くとホテルに着いた。チェックインを済ませて、狭い部屋に到着すると共にどっと疲れた。時計を見ると、新宿駅に到着してから一時間近く経っていた。徒歩五分のはずが一時間も迷っていたのかと思うとバカバカしくなった。トイレを開けてみたら狭かったが、空港と同じく、ビデやおしり洗浄のボタンがいっぱい付いていたから嬉しくなった。


被験者3、日本国: 堀内 夏希

場所:バスク地方


 堀内夏希はTGVの窓から田舎の風景を眺めていた。いろんな色の緑が混じった広い敷地に農家の家がポツンと立っていて、牛や馬、羊が放牧されている。前に座っているお母さんが動物をさしながら、フランス語で「あれは馬、あれは牛」と、言っているのだろう。おしゃぶりをしている三歳くらいの子供はお母さんの指差す先をみながら、興味深々に聞いたと思ったら、またすぐ自分がいじっていた生地の沢山貼ってある本へ目を戻す。

 パリから電車に乗ってボルドーに向かっている最中だ。飛行機を降りて、空港で一泊してから翌朝のTGVに乗った。飛行機でも行けたんだろうが、≪世界の車窓≫的な旅に憧れて、電車で向かいたかった。ボルドーで何泊かした後にまた電車に乗って、大西洋に面したバスク地方の街を一つ一つ、スペインの国境まで観光する予定だ。

 バスク地方とは、フランスの南西とスペインの北の地方を指す。フランス語、スペイン語とバスク語が話されている、らしい。パリには何度か仕事で来ていたので、せっかくフランスに行くのだから違うところに行ってみたい、と思った。仕事で一緒に働いていたフランス人の女性が、家族旅行で毎年、南西のバスク地方に行く、とっても素敵だ、と勧められてツアーでこの地方に来たが、滞在日数も少なかったのでまた新ためて来てみたい、と思っていた。バスク地方の布、バスク織で作られたエプロンがすごく可愛かったのに、買わなかった事に後悔しているから、また行きたかったのかもしれない。バスク地方を勧めてくれた彼女は若くてバリバリ仕事をしていたが、結局アートの世界から離れてしまって、連絡がつかなくなってしまった。

 夏希は一週間前に行ったこのプロジェクトの面接をぼんやりと思い出していた。性格診断テストのような内容で、百問答え、簡単な数学のIQテストのようなテストを終えて二人と面接をした。どういったプロファイルを探しているのか謎だったが、質問に対して正直に答えたら選ばれたわけだ。

 独り身なので、プロジェクトに参加するのも楽だった。十数年前に一度結婚をしたが、うまくいかず二年で離婚した。幸いにも子供も居ないので、別れるのも簡単だった。両家も結婚式で会った程度で、実家も遠く、離婚してからから一切連絡をとっていない。仕事もアーティストなので展覧会がない限り好きなときに仕事ができる。ちょうど仕事も行き詰まっていたので気分転換にはちょうど良い、と思って出発した。

 前に座っている子供が泣き始めた。パッと母親の方を見ると、落ちてしまったおしゃぶりを新しいものに変えていた。子供が居るって本当に大変だな、と思いながらまた窓の外を見る。

 綺麗な川沿いの景色から遠くには小さな街が見える。必ず街の中心には教会が建っている。教会の数が一つしかなければ小さな街、多ければ多いほど街の規模も大きくなる。

 なんでヨーロッパにはこんなに教会が多いのだろう、と思ったが、日本にもお寺や神社がそれなりにある。違いは、ヨーロッパは建物も古いから、教会と、周りの建物がマッチしているけれども、日本はミスマッチだ。金沢や京都の古い街並みが楽しめる場所以外は昔と今が調和せず、すごく残念だと思う。

 と考えていたらお腹がグゥとなった。そういえばチェックアウトのときにクロワッサンを食べてから何も食べていない。時計を見ると一時を過ぎていた。食堂車のある十四号車まで足を運んでみるか、と席を立った。

 途中、ファーストクラスの車両を通った。私が座っているのはセカンドクラスで、中々心地良い、と思っていたが、ファーストクラスは更に席が広く、横四列ではなく三列しかないので一つ一つの座席がセカンドクラスより広かった。座っている客も、パソコンを開くビジネスマンやマダム、という呼び方が似合う年配のきれいな女性が足を組みながら本を読んでいる。

 食堂車には立ち話をしながら窓の横にあるテーブル席でサンドイッチを食べているカップルがいる。注文カウンターには六十代くらいの女性だろうか、サンドイッチを指しながら乗務員に質問している。オニオン、と言っていたかもしれない、けどフランス語だから全く分からない。

 すぐ終わるかと思っていたが、サンドイッチが決まったら今度はデザートは何か、と聞いているのだと思う。と思ったら二人とも笑い出した。どうでもいいので早くして欲しい、と後ろをみたら私のうしろに更に二人並んでいて、苦い顔をしている。

 ようやく自分の番になったので、後ろの人をあまり待たせないよう、さっとサンドイッチを選び、カフェオレ、をお願いした。カフェ・オ・レはフランス語でミルクコーヒー、カフェ・ラ・テはイタリア語でミルクコーヒーという意味なので、基本的には違いがないはずだが、日本のカフェでは両方があったので、フランス人のアーティストが日本に来たときに驚いていた。

 サンドイッチは半分ぐらいしか具が入っておらずパサパサしていたし、コーヒーもいまいちだったが、もう一時間もすれば到着するので到着したら何か食べればいいや、と気を撮り直した。

 夏希は小さい頃から絵や工作が得意で、美術大学を卒業してからトントン拍子に有名になって、銀座で自分の個展を持つまでになった。フランスやイギリスのアートギャラリーにも展示スペースを確保していた。しかし去年の大パニックで個展が中止になり、そのまま六ヶ月以上も何も活動ができなかった。創作意欲もなくなり、ここ半年以上は絵も書いていない。

 昨年のパニックで全部の店が営業中止になり、知り合いのアーティストたちはオンラインで作品を展示したり、売り始めたりした。もちろん夏希自身、ウェブサイトを持っているが、そこで作品を販売する気はなかった。実際に見にきてくれた人に売りたい、という気持ちがあったからだ。色々な会社からポストカードや大量に販売できるように、モチーフをデザインして欲しい、という誘いもあったが、一点物の絵を書くことにこだわり続けていた。有名になって、自分の個展を開けるだけの画力があったから、天狗になっていたんだろう。

 アーティストの仕事はモチベーションがないと、そもそもはじまらない。オンラインで商売をする気がなく、個展をやってくれていた会社もパニックで倒産してしまったから自分の作品を世に出せる場所が無くなってしまった。世に出す機会がなければ作品を作るモチベーションも無くなる。

 この一年、何をしていたんだろう。小さい頃から暇があればずっと絵を書いていたので、ペンを持ってスケッチはしていたけれども、どれも薄っぺらい絵ばかりだった。気持ちがこもっていないものばかりで、とても胸を張って世に出せる作品ではなかった。この電車の景色をみていたら久しぶりに絵を描きたい気持ちになった。リュックに入っていたノートと鉛筆を取り出して、電車から見える、山に囲まれた小さな街の景色を描いてみた。中心には教会、綺麗な木の葉っぱ、近くに流れる川や町を夢中になってスケッチをしてたら隣から声が聞こえてきた。

「Regarde maman, C'est très jolie」

 声のする方をみたら向かいに座っていたはずの子供が隣に座ってじっとデッサンを指差して、お母さんを呼んでいる。ジョリーと聞こえたので、たぶん「綺麗」と褒めてくれたのだろう。お母さんが子供に向かってフランス語で一文を言って、こちらを見ながらじゃましてすみませんね、と言うかのような会釈をした。私は二人を見て、にっこり笑ってからデッサンに戻る。子供も興味深々に見てくる。

 車内のアナウンスが流れた。パッと時計を見るともう到着時間だった。デッサンはなかなかの出来だったので、ノートから破って子供に渡した。「セ・ポー・トワ」

 あなたにあげる。

「Merci」嬉しそうな笑顔が返ってきた。


被験者4、フランス国: マリ・ロー・シャヴィエー

場所:京都


 龍安寺の石庭を見つめながらマリ・ローは自分が何でも知っている、と豪語していたのは間違えだったかもしれない、と悟っていた。こんなに美しい、でも誰が作ったか分からない五百年も前に作られた庭に感動出来るとは思ってもいなかった。

 パリのカルチャースクールで学んだ瞑想、をやってみた。目を半目にし、自然の音と香りを感じて頭を空にする。呼吸に集中して息を吸う、息を吐く。自分が庭の一部のように感じ、体がふわっとしてきた、と思ったら賑やかな中国人の観光客がガヤガヤとやってきたので瞑想は中止した。もう一時間くらいこの庭を見ていたから良しとしよう。

 マリ・ローは政府の経済省で働くバリバリのキャリア・ウーマンだった。このプロジェクトの存在は知らなかったが、選ばれたのは光栄だった。日本は行ってみたい国の一つだったし、プロジェクトの長さも分からなかったので、到着してからとりあえず行ってみたいところを片っ端から回る事にした。

 関西国際空港に到着して、大阪で一泊してから今日は朝から京都に来ている。駅のコインロッカーにスーツケースを預けて、今夜は有名な旅館に泊まる予定だ。龍安寺の前には、金閣寺、八坂神社、清水寺、そして明日は平等院に行く予定だ。

 お寺を一歩出ると、普通の住宅街のような景色が広がる。京都、というと街全体が昔ながらの建築を保っている、と思っていたが、一部のようだ。電柱を取り払う、という工事をしていたと新聞で読んだことがある。確かに電柱の電線は素敵な景色を邪魔している。

 一日歩き回ったせいで、足はクタクタだった。向かいを見るとカフェがあったので一休みするため中へ入った。

 小腹が空いていたので、ケーキとコーヒーを頼む。フランスのエスプレッソのカフェとは違ってアメリカンが出てきた。しまった。エスプレッソを頼めばよかった、と後悔したがもう遅かった。日本のコーヒーはフランスのコーヒーに比べて酸味が合ってあまり口に合わない。

 ケーキは甘すぎず、しっとりとしていて美味しかった。ケーキがふわふわしていて空気を食べている感じだったが、これは厚みがあってどっしりとしたフランスのケーキと違って美味しかった。日本人は有名なパティシエが多いと聞いていたから甘党の自分には期待大な旅だった。

 自分以外にプロジェクトに選ばれた人にはどんな人がいるのだろう。予想では、年齢も職業も、年も、なるべくバラバラに選んだのでは無いか、と思う。面接の前に性格診断テストをしたからなるべく多くのタイプを取り入れようとするのでは無いか、と思っている。少なくとも、自分がこんなプロジェクトをやろうと思ったらそうすると思う。

 マリ・ローの仕事は経済省の中でもプロジェクトの提案と管理、という何でも屋みたいな部署に配属されて早くも五年が経つ。やりがいはあるが、責任も重い。最近ではフリーランスで仕事をする人に対しての社会保障と税金を一律二十五パーセントにする制度に改革したばかりだ。今までは社会保障と税金が別々に回収されており、雇う側も、フリーランスで雇われた側も、手続きをする必要があったので面倒だった。それをフリーランスという枠組みを作り、個人事業主としての登録番号を取得することで今まで雇われる側も雇う側も面倒であった手続きを一気に簡略化して、経済省からも表彰をされた。

 高校を卒業してからプレパーと呼ばれる、エリートしか入れない有名大学進学コースを二年終わらせ、大学院で経済学を学んだ。そこから新卒で経済省に入り、出世に出世を重ね、四十歳の若さで今は全部のプロジェクトを管理する部署への配属となった。

 マリ・ローは五年前の事を思い出していた。プロジェクト管理部署に配属される前の部署で一緒だったシャルロットはマリ・ローの四つ下で入社してきて、同じ部署に配属された。ショートカットで気さくな彼女とはすぐに仲良くなって、ご飯を食べに行ったり、飲みに行ったりする仲になり、そのうち恋愛関係に発展した。

 マリ・ローは特にレズビアン、と自覚していた訳でもなかった。男性と付き合ったこともあったけれども、その男性と結婚したい、とかずっと一緒に居たい、子供が欲しいという感情がなかった。シャルロットと付き合い始めた時にようやく、しっくり来た気がした。

 でも付き合い始めてからプロジェクト管理課への昇格が決まって、経済省の中でも反感を買うようになってしまった。昇格したのは、自分の能力ではなく、女性だから、そしてレズビアンだから、優遇されて出世できたのだ、と噂が流れた。多分、同期入社のアントワンの仕業だろう。同期で入社したにも関わらず、自分は白人の男性だから全然出世できない、と嘆いて居た能力の低い男だ。今は女性や黒人の同僚が優遇されて出世している、経済省も部署の多様性、ダイバーシティを取り入れようとはしている。多様な人材を積極的に活用しようという考え方で、部署を出来るだけ性別、人種、宗教などを混ぜて編成しようとしている。

 もしかしたら自分と全く同等の能力、素質がある男性が居たら、私の方が女性だから、という理由で先に出世したということはありえなくもない。でもアントワンはただの出来損ないで、出世できないのは自分の能力のせいだ、と認めることができず、自分は男性だから、白人だから認めてもらえないという風に問題をすり違えている。

 その結果、シャルロットは元の部署で目の敵にされてしまった。「ズルして出世したあのマリ・ローの彼女」として。そのうち、鬱になり、精神科にかかるようになってしまった。今でも休職扱いなのか、それとも辞めてしまったのか分からない。連絡しても携帯番号を変えたのか、そのまま連絡がつかなくなってしまった。

 自分のせいで傷つけてしまったから謝りたい、と思っているが、相手が連絡を遮ってしまうのだからしょうがない。その後も軽く関係を持った女性もいたが、長い付き合いにはならなかった。ぼんやりしているともう時計は六時を回っていた。スーツケースも取りに行ってから旅館にチェックインしなければ。会計を済ませ、外に出ると空が真っ赤になっていて美しい日の入りが広がっていた。


被験者1、日本国: 森永 秀太郎 (チル)

場所:パリ、モンマルトル


 今日でホテルをチェックアウトする予定だが、まだ次に泊まる所を見つけていない。

 夜までに見つからなければまたもう一泊お願いすればいい話だから、とりあえず荷造りしてチェックアウトした。スーツケースをフロントに預けて、とりあえずいつものカフェでコーヒーを飲むことにした。

 今日もいつものお姉さんがいた。「ボンジュール」と挨拶をして、「Cafe?」と聞かれたので「ウィ」と答える。今日はフランス語の勉強でもするか、と日本から持参してきたフランス語会話の初級の本を机に出した。

 コーヒーと水をテーブルに置きながら、「あなた毎日来るけど、この辺に住んでるの?」と聞いてきた。「ノー、アイアム、ルッキング、フォー、アパートメント」宿無しですよ、という。「あら。それなら私の友達が短期でルームメイトを探していたわ、聞いてみようか?」とその場で携帯を出した。うお!ラッキー!!「イエス、イエスプリーズ!」

 あなたの名前は?と聞かれたので「マイネーム、イズ、チル」と答えた。

「Chillね。名前の通りリラックスしてるわね。私はカリーン」そういうとカリーンはクスッと笑った。


 彼女の友達はChateau Rouge駅のすぐ裏、だという。今家にいるから訪ねてみたら、と住所を渡された。「ピンポン押してカリーンの友達だって言ってね。」

 急いでコーヒーを飲み終えてメルシー、メルシー、と言いながら出て行った。

 Abbess駅からChateau Rougeまでは徒歩十分ちょっと。朝九時過ぎだったが、色々なお店が開店準備をしている。肉屋の匂いが鼻にツンとした。多分、ラム肉の匂いなのか、北海道の旅行に行った時に嗅いだジンギスカン店と同じ匂いがした。巨大な肉の塊が店の天井からぶら下がっている。肉屋の従業員はアラビア語っぽい歌を歌いながら肉を切っていた。


 カリーンの友達のアパートは駅の裏を回って、目と鼻の先だった。家の番号のベルを鳴らすとブザーがなる。中に入って見ると薄暗い廊下の先に階段が見える。三〇三号室、なので三階だが、フランスでは一階がゼロ階なので日本でいう四階にあたる。エレベーターもなく、薄暗い階段を登っていった。

 四階分の階段を登り終えると心臓がばくばくしていた。運動不足だ。奥の部屋が空いているので、カリーンの友達の家なのだろう。「ボンジュール、アイ、アム チム」と言いながらノックをするとドアが内側から空いた。

中から出てきたのは白髪混じりでボサボサ頭の、五十歳くらいの男性だった。「Oh, Come in come in」と英語で入ってきなさい、と言われた。

 彼はフランス人ではなく、アメリカ人だという。名前はTIMだ。ChillとTim、バンドが組めそうな名前だな、ワッハッハと笑っている。

 部屋の中を見渡すとボロさに年季が入ったような薄暗いアパートで、真ん中にあるソファーはボロボロだった。キッチンには汚れがコベリついていて、さらに部屋の薄暗さを援護している。唯一のプラスの面は、広いことぐらいだった。

 友人に彼女や彼氏を紹介されて、全くいい所が見つからず、「包容力がありそうだね」と意味不明な褒め方をする感覚に似ている。

 「Thank you for comingーーーーーー」とベラベラと流暢な英語で喋っていくれるが、話があまり掴めず、何度も聞き返す。理解した限りではアメリカに一ヶ月帰っている間、猫の面倒をみてくれる人を探していたらしい。チャーリーという猫は部屋を見渡しても見つからない。シャイだからそのうちひょっこり出てくるよ、と彼は言っていた。明日の便だが、今日は彼女の家に泊まりに行って、直接行くから、いつでも来ていいよ、と鍵を渡された。家賃は半額だけ頂こうかな、四百ユーロで話がついた。つまり、このアパートの正規の家賃は八百ユーロ、この状態のアパートに十万近く払っていることが信じられなかった。

 とりあえず、汚いが住むところは決まった。モンマルトルからちょっと外れたが、ものすごい低価格で住むところが見つかったのはよかった。自分の仕事が実はインテリアデザイナー、という事は言わないでおいた。インテリアデザイナーなのにこの部屋に住む、自分に少し恥を感じたのと、TIMからじゃあレノベーション手伝ってくれる?と頼まれそうな感じがあったからだ。自慢じゃないが、東京で住んでいたアパートの内装はとにかくオシャレだった。仕事もほとんどがオフィスのデザインやホテルのレノベだったから、ここまでひどい状態からの改装はやった事がない、し、あの状態から変えれる自信もあまりない。

 とりあえず、荷物を取りに行って、掃除道具を買いに行くことから始めよう。

 あの部屋にちょっと居ただけでもシャワーが浴びたくなったが、シャワールームも掃除をしてから浴びた方が良さそうだ。

 そういえば猫はどんな顔してるのか。結局いる間は出てこなかった。動物は好きでも嫌いでもない。けれど猫は散歩に連れて行かなくていい分、楽な気がした。


被験者3、日本国: 堀内 夏希

場所:バスク地方


 ボルドーは思っていたよりも治安がよくなく、あまり居心地が良くなかった。パリも治安が悪いが、なんか雰囲気が慣れず、とりあえず海の方の街に行こう、と地図を開いた。Archachonという大西洋につながっている大きな湾があるので、そこに行ってみようと早速、宿を予約した。電車で一時間弱なので嫌だったらまた移動すればいい。そう思って荷物をまとめてボルドーのホテルからチェックアウトした。

 それにしても、このプロジェクトというのはストレスが溜まる。行き先も自分で決めなければならないし、三日置きに最低でも二時間はかかるレポートを書き上げなければならない。その上、報酬の額も、期間も何一つクリアではない。終わりがいつなのか、どこまでお金を使っていいのかも全く分からない。何も起きていないのに不安で押しつぶされそうになる。

 初めてのプロジェクトだからこんなものなのかな。私以外には他に何人くらいの人が参加していて、どこにいるのだろう、こんな簡単な質問にも答えが出ない。ただでさえ異国の地に飛ばされるだけでもストレスなのに、情報が全くない不安はさらにストレスに加担する。

 あまり考えない方がいいけれども気になる事は気になるな・・とぼぅっとしながら駅まで歩いていたら肩ががん、と向こう側から歩いてきていた人に当たった。

「ソ、ソーリー、パードン」と謝ると、向こうはちらっとこっちを見たが、何も言わずにトコトコ歩いて行った。野球帽をかぶり、ショルダーバックを斜めがけににして携帯をいじりながらまた歩いていった。こちらも前をしっかり見ていなかったから悪かったのに、携帯をいじっていながら人にぶつかっておいて謝らないなんて、若者のくせに。

私もこんなことでプンプンするようになったなんて、さらにおばさんになっちゃったな。

 電車にのり、Archachonの駅まですぐのはずだったが、時間通りに発車したはずの列車は途中で停車してかれこれ十分以上たつ。何が起きたのか全く分からないが、乗客は特に焦った様子もなく、いつものことでしょ、というかの様に座っていた。

 観光客と思われるカップルが、何がおきているのか?と英語で他の乗客に聞いていたが、聞かれたおじさんは口で≪ブー≫というオナラに似た音を出して、フランス語では「知らないよ」という仕草をしていた。またすぐ動くんじゃない?と言っていたが、彼の予言通り五分後には何事もなかったかの様に電車が動き出した。

 停車の原因をアナウンスしてくれるかと思ったが、車掌さんも運転手も誰も何も言わなかった。そして予定より二十分遅れてArchason駅に到着した。


 ホテルはこじんまりとしたB&Bで、海辺の街、という雰囲気が出ていた。チェックインを済ませて海辺の砂浜まで五分もかからなかった。

 海辺では散歩をしている人や砂浜で日焼けしている人などがぽつぽついた。観光シーズンではないから人が少ないのだろう。湾なので向こう岸が遠くに見えた。船もたくさん出ていたので、対岸に行く為に乗ることができるそうだ。湾の周りには小さな街がここ、Archachonの様にぽつぽつあるんだな、とボート乗り場の地図を見ながら把握する。ホテルの人にどこがおすすめが聞いて、早速明日行ってみようか、と胸が踊った。

 海辺をちょっと散歩してから街の方にも寄ってみる。レストランやカフェ、お店などの向こうに大きな建物がある、と寄ってみるとマルシェだった。色とりどりの野菜や肉、シーフードなどが並ぶ。これ、このバスク地方な雰囲気を待っていたの!やけにウキウキしたのか、美味しそうなリンゴやネクタリン、桃などが並んでいるフルーツをじっと見た。店番をしていた若い男の子がBonjourと挨拶をしてきた。見ているだけです、というのも申し訳ないから綺麗な色のフルーツを何個が指差して買うことにした。一人が一泊する分には明らかに多すぎる量を買ってしまったが、後で器に入れてデッサンでもしようかな、とウキウキしながらホテルへ戻っていった。


被験者1、日本国: 森永 秀太郎 (チル)

場所:パリ、モンマルトル


 スーパーにはあらゆる掃除道具と洗剤が並ぶが、何がどの用途なのか絵を見ながらなんとなく推測する。マルチなんとかと書いているのはどんな表面でも使えるマルチな洗剤なのか。よく分からないのでとりあえず、そのマルチ、トイレ用、キッチン用、の3種類の洗剤と、ブラシやタワシ、手袋、役立ちそうなものをどんどんカゴに入れてレジへ持っていく。

 レジはベルトコンベアーに商品を一つ一つ並べていく。日本だと、集計が終わったカゴにある商品を別のカゴに移してくれ、それをリュックや袋に詰めるエリアがあったり、レジの人が直接、袋に詰めてくれるが、フランスは自分で持ってきた袋やバッグに詰める必要がある。ものすごいスピードでレジに通すので受け取る側もどんどん商品が目の前で山済みになる。そして支払いもしなければならないので山済みになった商品を横目にカードで支払う。支払いをしながら商品をさらに持ってきたリュックに詰め込む。

 レジ袋はお金がかかるので、五アイテムくらいだったら素手で抱えているフランス人も多い。五セントの袋を払うよりは不恰好を承知で歩いた方がいい、と思っているらしい。洗剤は全部カバンに入ったが、バケツとモップは手で持つしかなさそうだ。TIMのアパートまですぐだから大丈夫だろう。

 歩いて帰っていると、またラム肉の匂いが鼻につく。まだ昼ごはんを食べていないせいか、その匂いが腹の奥から胃液を逆流させ、吐き気がした。この匂いに慣れる日が来るのだろうか。

 アパートに戻るととりあえずキッチンのエリアから掃除を始める。掃除用のゴム手袋をはめて、キッチン用洗剤、と書かれている液体をカウンターに満遍なくスプレーし、たわしでゴシゴシと表面をこする。しばらくの間、カウンターをゴシゴシこすっていたが、お世辞にもきれいになったとは言い難い。キッチンが古すぎるのが原因でいくらきれいにしてもあまり綺麗にならない、というオチだった。

それでも掃除を続ける。モップで床を拭き、テーブルや窓は雑巾でふく。シャワーもマルチ洗剤でスプレーをし、排水溝もブラシで綺麗にした。

 掃除をはじめて小一時間たったが、アパートは依然として薄暗く、汚いままだった。床の隅々までモップをかけても、隙間に入り込み、蓄積した長年のホコリはこびりついたまま、多少、表面が清潔になったとしても気休め程度だった。これは掃除の問題ではなく、大掛かりに床を張り替えたり、レノベーションをしないと綺麗にならないだろう。

 綺麗にしても綺麗にならない、という現実に脱力してソファーに座り込んだ。腹が減った、喉も乾いた、アパートを出たところにパン屋があったが、サンドイッチももう飽きた。フランスパンにハムやチーズが挟んであって、四ユーロで買えるのはいいが、パンだけ食べているとエネルギーが湧いてこない。

 日本食が食べたい、ラーメン、味噌汁、生卵にご飯でも良い。軽く醤油を垂らしてガツガツとかきこみたい。

 この辺ではどこで米を買えば良いのだろう。

 醤油は?

 そもそも生卵は食べれるのか?

 スーパーでは卵を常温で管理していたから生で食べるのはよしておいた方がいいんじゃないか。

 とりあえず外に出て、食べるものを探そう。

 財布を持って靴をはいた。

 外に出ると、日が高くあがっている。

 とにかく食べるものを探そうと右に曲がって歩き始める。


 風が吹くと、ラム肉の匂いがした。

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