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「あなたは友達」と思えること


留学に来て半年が経った。

半年経ったけど、私は大丈夫?ちゃんとここでしか得られないこと得られてる?
ここでの学びを実にできてる?


そんな風に感じる時期になってきた。


学校が始まった初週のアクティビティ「焚き火」

私が通っている学校はデンマークの成人学校フォルケホイスコーレ(以下フォルケ)という教育機関。
学位がもらえる訳でもないので試験も評価もなく、欧米だと主流ないわゆる「ギャップイヤー」の一環として来る人が圧倒的に多い。

高校を卒業して大学に行き、その後新卒でどこかに就職する、という日本の中の正規ルートのようなものはデンマークにはほとんどなく、
各々のやりたいことやレベル感に応じて自由に人生の選択をしているそう。
私の学校にいる唯一の日本人先生によると、デンマークは「やり直しが効く社会(システム?)」だそう。


そんなフォルケはデンマークに約70校存在するが、その中でも私が通っているのは、エグモントホイスコーレ(素敵な記事があったので引用させていただきました)というところ。
約4割の生徒がなんらかの障がいを持っていて、残りの生徒は彼らのアシスタントとして日々働きながら、一緒に授業を受け、同じ寮で生活を共にしている。

フォルケの中でも、
アシスタントとして働くこと(=障がい者はアシスタントを雇用すること)生徒として学校に通うこと混ざり合うという点では、少し特殊な学校である。


odderの街におでかけ

今学期(2025ねん1〜6月)は、デンマーク人が200人ほどいる中で、日本人留学生は8人、
そのうち2人が日常生活を送る上でちょっとしたヘルプを必要とするため、私を含む6人が2人のアシスタントとして在籍している。

インターナショナルな学校ではないので、インターナショナル生として在籍しているのは、私たち日本人とウクライナからの留学生2人(彼らはヘルプを必要とする障がい者)のみである。


簡単にこの学校に所属する人を分類すると、

① 先生とスタッフ:授業をする先生だけでなく、設備などを担当する人、キッチンの人、掃除や医療的なことをしてくれる人、私たちは生活をする上でたくさんのスタッフに助けられながら過ごしている。ちなみに一人だけ日本人教員がいて、彼女が私たちのコンタクトティーチャーでもある。

② ヘルピングティーチャー:学校側に雇用されて働いている。主に障がいを持つ生徒が授業に参加できるようにヘルプをすることが役割。彼らが授業中は同時進行で私たち日本人留学生に英語通訳をしてくれる。

③ ボス(生徒1):何らかの障がいを持っており、日常生活を送る上でヘルプが必要。ボスと呼ばれるのは、自分のアシスタントを「雇用」し「給料」を渡す、というデンマークのBPAシステム(障がい者へのパーソナルアシスタント制度)に則っていることに由来する。

④ イーネストーネ(生徒2):何らかの障がいを持っているが、日常生活を送る上でアシスタントを雇うほどのヘルプは必要としない。イーネストーネとはデンマーク語で「自立」を意味する。②のヘルピングティーチャーが1人につき1人のイーネストーネを担当をしている(多分)。

⑤ アシスタント(生徒3):よくヘルティーと混同してしまうが、アシスタントは日常生活の介助はするものの、同じ生徒なので授業選択も空き時間も生徒としての生活が確約されている。ただし③のボスのアシスタント業はあるため、日によって過ごし方は異なる。大体ボス1人に対してアシスタントが2〜4人つき、そこで一つのグループとしてシフト制で仕事をする。

⑥ 日本人留学生(生徒4):分類するなら③と⑤に分けられるが、感覚的には少し違うのであえて⑥を設けた。日本人はみな学生ビザとして留学しているため、基本アシスタントであっても賃金が発生するような働き方はできない。そのため、「謝礼」としてボスたちから最後にお金をもらう。
また、授業は全てデンマーク語で行われるため、障がいの有無に関係なく、日本人は基本英語通訳を必要とする(=ヘルティーを必要とする)。ヘルティーが通訳の役割も果たしてくれるが、彼らの仕事は主に障がい者の授業参加のヘルプなので、周りの生徒に通訳をお願いすることもしばしば。



マイノリティーであるということ、
日本ではあまり経験することのなかった立場になった時、私はどう振る舞うのか。

みんなが親切じゃないということではなく、
自分とは何なのか、エグモントでの日々はとても考えさせられるものばかり。


毎週火曜日は日本人のみの授業の日。Aarhusの美術館に行った時。


その上で、実際に私が今でも思い出しただけで嬉しくて泣いてしまいそうになるエピソードを一つシェアハピしたい。

登場人物のことを知らなくても、その状況を想像できるように努めます。

ある金曜日、まだ学校が始まって間もないころ、
もっとお互いを知るためのレクリエーションが行われた。


全校生徒約200名を15個ほどのグループに分けて、先生たちが主催するさまざまなアクティビティを行った。

先ほど説明した生徒の分類で言うなら、
ボスもイーネストーネもアシスタントも日本人も、みんなまぜこぜになって分けられていた。

当然まだ学校が始まって間もない頃なのでお互いに知り合っていることはほぼなくて、
デンマーク人同士でも「はじめまして」の緊張感が漂っているのを日本人ながらに感じ取った。


私が参加したグループが最初に行ったのは「名前覚えゲーム」だった。


ルールはシンプルで、輪になって1人ずつ名前を言う。
その時に、自分の名前を言った後に、自分の名前の頭文字と同じ動物の名前を言い、その動物の動きを身体や声で表現する。
そして、前の人が終わったら次の人は前の人の分と自分のを言うという感じで、
最後になればなるほど記憶するのが難しくなるゲームだった。

例えば私なら、
「私はひなた、羊、メェ〜」(日本語の場合)
みたいなことを1人ずつ回していく。


名前が覚えにくいデンマーク人の名前も、
「あの人はマウスをやってたな。ってことはMから始まるから…」と動物の動きから名前が想起され、
確かに名前を覚えるのには良いゲームだなと思った。


ただこのゲームを開始した時、私はきちんとルールをわかっていなかった。

自分の番は5番目くらいで前の4人分を覚えることはできたが、
肝心な自分の番の時どんな動物でもいいと思い、適当に思いついたので「ペンギン!」と言ってチョコチョコ歩いた

一瞬みんなが固まったような気がしたけれど、
にこやかに何も言わず続いていった。


そして8人目くらいになった頃、
「待てよ、これよく考えたらみんな名前の頭文字と同じ動物言ってない?」
と察した。

動物の名前も全てデンマーク語で行われていたので、全く気がつかずにやっていたけど、
よくよく考えると1人だけおかなしことをしていた。

ルールはちゃんと英語で説明してくれたが、
それを「こういうのはとりあえずやってみれば分かるからいいや」と思って適当に聞いていたのが仇となった。


ごめんなさい、私全く関係ない動物にしちゃった」と言ったら、
みんなも「オールオッケーだよ」と言ってくれ、
先生は「逆に覚えやすかったわ、ハハハ」と笑ってくれた。


「恥ずかし〜」と思いながらそのまま続けると、
いよいよ最後の1人になった。

先生やヘルピングティーチャーも入れると約20人分の名前と動物を覚えなければいけない、
最も大変な最後の番が、A君というデンマーク人のイーネストーネの男の子だった。

彼はいつだって陽気で明るくて、
彼が楽しそうに話している声が聞こえるだけで「A君いるなぁ」と存在がわかる

とにかく彼はなんでも率先してやることが大好きで、
生徒なのにキッチンのスタッフと同じエプロンを着て配膳をしたり、
生徒なのにプールの授業では監視員が着る赤の制服を着て、
生徒たちに「まだ入っちゃいけない!危ない!」と指示をしたりしている。


朝7時半。眠たい顔をしたみんなに笑顔で「グッモ〜ン!」と挨拶してくれる。


私は彼に注意されるのが楽しくて、
わざと先にプール入ったり、わざとパンをたくさん取ったりして怒られにいく。

毎日の朝会では前の方にどっしりと座り、
みんなで歌を歌った後には必ず、「Tak for sangen allesammen!(Thank you for the song everyone!)」と叫ぶ。
みんなで歌う機会がフォルケではとても多いが、
彼のその一言がない時は物足りなささえ感じる。

あれで全てが締まっている感じさえする。


また彼は木曜日になると、みんなが寝ぼけ眼のまま食堂で朝ごはんを食べているところに、
マイクを使って大きな声で
「みんな、今日は金曜日だよね〜?!」
と投げかける。
それに対しみんなが「Nej~!(No~)」と返す。

デンマーク語なので何を言っているのか毎回きちんとはわかっていないが、彼はそのルーティンを毎週木曜日の朝、楽しそうにやっている。
みんなも毎週そのコールアンドレスポンスを楽しんでいる。

私もそれを聞くと、「今日木曜か〜がんばろ〜」という気持ちに自然となる。
もはやA君の声が私の日頃のルーティンになっている。

きっとそういう人は私だけじゃない。

そんなA君が名前覚えゲームで最も難しい最後の番だった

一瞬思い出せない場面もあったが、動物の動きもあったので難なくこなしていったその時、
彼が私の名前を言う時が来た


私はさっき自分が間違えてペンギンと言ってしまったので、
どうしよう、名前はひなたなのに混乱させてしまうかもしれない」と若干心配していた。

すると彼は何の躊躇いもなく、
「ペンギン、ピナタ!」と言い放った。


その瞬間他のみんなは、
私がルールを知らずに間違えてしまったことも、
私の名前が本当は「ひなた」なことも知っていたので、
彼のその自信満々に「ピナタ」と叫ぶ愛くるしさに笑い転げていた

先生にも「お前は今日からピナタだ!」と言われた。


みんなが笑い転げている理由も分かるし、本当に彼の言い方が面白かったけれど、それよりも何よりも、私は1人だけ何だかすごく泣きそうになってしまった。
今これを書きながらも涙が出てきた。


私たち日本人は毎日毎日24時間何を言っているのかさっぱり分からない異国の地で、必死についていこうと努力しながら生きている。

通訳しないと何もかも分からないので、
英語ができる人がそばにいてくれないと参加するのは難しいし、Google翻訳は手放せない。

日本人全員が同じな訳ではないが、
私は周りを気にせずガッツで参加する度胸がないので、情報の断片を頼りにとにかく周りを見て、今何が起こっているのかという状況の推測をしながら日々過ごしている。


分からないしかない世界、
何が分からないのかも最早分からない、
みたいなゲシュタルト崩壊した世界で生きている私にとって、間違えることは日常茶飯事で、
デンマーク語での「ありがとう=Tak」よりも、「ごめんね=Undskyld」の方が身体に染み付いて、条件反射で出るようになった。



そんな私に彼がピナタと断言してくれたことは、
別にペンギンでいいよ、だって君の名前をピナタにすればいいんだから
と私の間違いを正解にしてくれたように感じた。


彼が何を考えてそう言ってくれたのか実際のところは分からないし、
多分あんまり何も考えていない気もするけど、
私はこれからピナタとして生きていきたいと本気で思った。

そのため、とりあえずインスタアカウントの名前をぴなたにした。これからも事あるごとに擦り続けて、このエピソードを伝え続けたい。



日々たくさんの人のあたたかさに助けられていて、言語の壁でくじけることが多い日本人にとって、通訳してくれる人には心の底からありがたいなと思う反面、
A君のようなイーネストーネや障がいを持った人達とは、英語でペラペラ話している訳ではないのに、なぜだか一番救われている気がする。
そして多くを学ばされる。


「おはよう」と言ってハグをしたり、
遠くから名前を叫んで「ゲームしよう!」と誘ってくれたり、
時に「それはダメ!」と叱られたり。


きっと別に私が日本人でデンマーク語ができないなんてことを特に気にもせず、
常に対等に、同じ生徒であり仲間であり友達として見てくれているんだろうなと感じる。

そんなことができる人は世界中探してもきっとそんなに多くはいない。

私も含め、みんな別に嫌いだから距離を取りたい訳じゃ決してないけれど、
どうしたらいいのか分からなくて、とりあえず「この人は外国人」とか「この人は障がいを持っている人」とかフィルターをかけて、自分の中での関わりやすい方法や距離感を選んでいる。


私もデンマーク人のことを「デンマーク人」としか思えない時は、いつまで経っても自分は「日本人」として振る舞い続けるので、その輪の中には入れない。でも当たり前だけどデンマーク人も日本人と同じ人間だし、彼らをフラットに見ることができれば、きっとそんなに気にせずに話しかけられるんだろうなと思う。



彼らから学ぶことは日々無数に存在する。

彼らやみんながくれたたくさんのあたたかさを糧に、私も「えいっ!」と勇気を出したりしながら、周りのみんなと友達になりたい。


そして私が残りの留学生活で得られるものはきっと、いろんな形の「友達」で、エグモントホイスコーレはそれが実現可能な最たるものなんじゃないか、と思い始めた。

みんなで作り上げるシアターコンサートweek


大切にしたい人のことを大切にするために、
大好きな人たちに私はあなたが大好きだと知ってもらうために、
「あなたは私の友達」と言えるようになりたい。

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