キスは人生の種、あるいは綿帽子 - 同居生活の始まり -
明け方になると、恋人が必ずわたしに甘えて胸に顔を埋めてくる時間がある。
出産後母乳が出やすいようにと最近始めたセルフマッサージの効果で胸は以前よりも柔らかいし、出産に備えたホルモンバランスの変化でサイズも上がっているので、我ながらこれに顔を埋めたらたいそう気持ち良さそうだと思う。
子よりも一足先にマッサージの効果の恩恵に預かる恋人。
でもそのあと「鼾がうるさい!」と、わたしからの迫害を受けた恋人は、「ごめんね…」と言ってベッドを抜け出してリビングの床で寝ていたから、柔らかい胸から硬い床への急降下かわいそう。
それなのに寝起きに、「この床は、床の中では最上級!」などと冗談を言っておどけていた。
そんな恋人はしょっちゅうわたしをいい子いい子してくれるし、わたしも恋人をいい子いい子する。
お互いをいい子だと思っているのだから、これは非常に自然な行動だと思う。
彼の子を身ごもれたことを、しみじみ嬉しく思う。もしいつか恋人に先立たれても、この世界に彼に一番近い血をした人が存在していて、それはつまり彼との関わりが絶えることが無いことを意味する。
死ぬまで恋人と無関係になることは無いことを証する存在が、お腹の中ですくすくと育っている。
2018年9月19日
キスは、種なのだと思う。
あるいはどこまでも飛んで行って実を結ぶ綿帽子。
昨年の夏、わたしたちに俄かに沸き起こった恋心が、たくさんお酒を飲んで笑い転げた日の明け方にキスをさせて、ベッドへ誘い、わたしたちはお互いの体温を認め合って結ばれた。
それが始まりで、今や数え切れないくらいの互いの友達がふたりにとっての大切な人たちになり、互いの家族が自分の家族になり、また、お腹には子が宿り、引越しとなれば義母が持てるすべての力と愛を尽くして手を貸してくれ…
驚くほどの人々に関係し、影響を及ぼし合い、助けられている。
すべては、あの日のキスが始まりで。
だから、キスは、人生の種なのだと思う。あるいは、綿帽子。
神様はぜんぶ見てて、運命を知っていて。
例えば、わたしたちがきっかけのキスをした時や、そのキスがあんまり素敵だからわたしが彼の手を引いてベッドへ誘った時も、空からそれを見ていて「うんうん」とか「そうそう、オッケー」と思っていたとしたら恥ずかしすぎるけれど、神様は偉大すぎて恥の概念とかたぶん無いから、まあいいか。
2018年9月26日
たくさんのダンボールと共に恋人がやって来て、ついに同居が始まった。
共に荷ほどきをしていると、今まで彼の部屋に遊びに行っていただけではわからなかった彼の人生や為人が見えてくる。
夥しい数の本、本、本。そして、スターウォーズのフィギュア…!
お前よくぞこんなに集めたなと半ば呆れながらも愛おしくて、出会う前の時間を含めて彼の半生を全肯定して愛してあげたくなる。
手を繋いでキスをして眠りにつく時に恋人は、「至らない者ですが、これからどうぞよろしくお願いします」と言った。
人生の区切りの日に、必ず気持ちを言葉にして挨拶してくれる彼を好もしく思いながら、わたしも、「至らぬところしかありませんが、よろしくお願いします」と言った。
恋人は多忙な中での引越し作業につきほぼ2日寝ておらず、肉体はとても疲れているはずが、性的には大変元気だった。
わたしも愛おしさが溢れてたくさん愛した。「なんていやらしい妊婦なんだ」と叱られながらしてとても感じてしまった。
いつか、こんなふうにわたしたちが若かった日を、年老いた日に隣にいてくれる彼と懐かしむことができたら。
そして、その時には増えている家族とも愛し合えていたら、わたしは本当に、他には何も要らない。
彼に出会えたこの人生へ、感謝の祝杯を捧げる。何度でも。
そのわたしの杯は、いつも溢れるほどに満たされている。
2018年9月27日
仲間の一人の誕生日を渋谷で祝い、わいわい騒いで楽しい夜だった。わたしもグラスに半分だけワインを頂いた。
賑やかな余韻に浸りつつ、井の頭線の各駅停車でのんびり帰る。
渋谷から一駅目の、神泉。そこにある、昨年の秋に恋人とデートで訪れた田舎フランス料理の店を思い出す。
お店の演出で、入店時はなんと真っ暗。お客が増えるたびにテーブル毎に置かれたキャンドルが一本ずつ灯り、僅かな灯りが少しずつ増えていく。
大好きな人との、甘いひととき。
キャンドルがテーブルに映し出したシャンパーニュの泡の影を、わたしは今でも鮮烈に覚えている。あの時の泡は、今も消えずにどこかでひっそりと立ち昇っていると思う。
小さくても確かな重さの詰まった幸せをいつもくれた恋人は、今や夫となり、お腹の子の父親となり、共にコウノトリ学級に参加している。妊婦スーツというものを着て妊娠中の妻の身体の疑似体験をしたり、赤ちゃんの人形に向かい合って、抱っこやオムツ替えや沐浴の練習に一生懸命になる恋人の姿が、隣にあった。
フランス料理の甘いデートや、ロマンチックなキャンドルの灯りや、シャンパーニュの泡とはほど遠い生活になったけれど、わたしたちを取り巻くものの形がどんなに変わっても、わたしの彼への愛は変わらない。