スーパー・ブルー・ブラッド・ムーン
宇宙からのギフトである恋人と、人気のない箱根の森の中で夜空を見上げ、「スーパー・ブルー・ブラッド・ムーン」なるものを観ている。
記念すべき初の遠出とも言える、一泊の温泉旅行に来ているのだ。
雪の多い冬だ。大雪の新宿から高速バスに乗り、迎えの車に乗り継いで辿り着いた旅館は、和洋の統合された心地よい空間で、小さいけれど隅々まで清潔で、いかにも恋人らしいチョイスだと思った。
料理も絶品ばかりで、いつものようにいろいろ感想を言い合いながら頂き、料理に合わせたワインも進んだ。ほろ酔いのわたしたちに給仕してくれた男性が、今夜の月はいくつもの珍しい現象が重なった満月の皆既月食で必見なのだと教えてくれた。
そこで食後に、浴衣姿に足元は旅館のサンダルという出で立ちで、まだ雪の残る宿の庭に出た。圧倒的な静けさの中、月ではない別の惑星かと思うようなへんてこな色をした満月がぽっかりと浮かんでいた。
わたしはそれを「皮を剥きたての巨峰」と例え、恋人は「ヅラがズレてしまい赤面してるおっさんの顔」と例え、どちらもまったくロマンチックなことは言えなかったけれど、天文学的にものすごく貴重な条件の元に輝く特別な月を見上げながら、またこの不思議な現象が起こる遠い未来もずっと一緒に居たいという同じ願いを寄せ合っていることを、音ひとつない森の中で確信する。
丸い月は徐々に欠けてゆき、恋人と繋いだ指先とサンダルからはみ出した裸足の爪先は凍てついてきた。寒さの限界を覚え室内に戻り、ロビーの暖炉に当たりながら赤ワインを飲んだ。次にこのスーパー・ブルー・ブラッド・ムーンが観られるのは19年後、つまり2037年だという。珍しい瞬間に立ち会えた事への興奮と、逆にどんなに珍しかろうといつもと変わらぬ様子の陽気で優しい恋人への安心感と。
暖炉の火を見ながら、思った。こんな日がきっと、大切で確かな足跡になる。わたしたちが宇宙に還る日までの、長い旅路に刻まれる小さな足跡。
2018年1月31日
今日は人生において最良の日であると確信する。 宇宙の広さは計り知れないが、僕の君に対する愛は無限であると宣言する。 〈引用〉
部屋に戻り、iPhoneのiTunesからラヴェルのピアノコンチェルト2楽章(わたしの中で最も天上の音楽に近いと思う曲)を聴きながら、恋人は突然両親に伝えたい感謝の想いをしたためると言って葉書を書き始め、わたしは紅茶を淹れてベッドに寝そべりながら、恋人の母に頂いたチョコをもぐもぐ食べてリラックスしている。
そのあとはふたりでお茶がわりのようにウィスキーをすいすいと飲みながら、ドヴォルザーク(わたしは普段聴かないけれど恋人が聴きたがった)を聴いた。力強い音色に勇志を得て、わたしは男のように恋人を愛した。まず全身にキスをし、そのあとは彼の性器を心ゆくまで丁寧に舐めた。やがて自然に組み合わさったわたしたちの内部は、歴代最高に気持ちが良かった。
わたしたちが暖かい部屋の上質なベッドの上でその感覚に酔いしれている最中も、月は、地球の影に食べられながら太陽の赤外線を受けて紅く染まり続けた。わたしたちが愛し合う声も、ほかの誰の声も届かない、遥かな場所で。
しかし今夜は、その不思議で孤高な現象により、狼感が増した人たちは多かったと思う。わたしたちを始めとして。
2018年2月1日
〈メモ〉孤独感、虚無感、倦怠感、諦念などは、死んでいった星の名残り。