『シン・エヴァンゲリオン』の感想、第一回:黒綾波についての所感。(ネタバレあり)
終わってしまったな……
綺麗に終わってしまったな……
シン・エヴァンゲリオン。
庵野秀明の良い癖も悪い癖も濃縮された作品で、万人に勧めにくくはあるものの、あの壮大な物語に結末を与えた怪作であり名作であったと思う。そして情報量が膨大すぎて記事も書きあぐねているのが現状だ。一週間ほど書きあぐねていた内容だが上映一週間目に一つのネタバレが解禁されたのでそこを深掘りしていこうと思う。
表題にもある通り「黒綾波」についてだ。
もちろん本編のネタバレ全部てんこ盛りだ。覚悟せよ。25年を見た者こそが地獄の門をくぐりたまえ。
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黒綾波は人間だった!!
碇シンジは黒綾波に救われ、碇シンジは碇ゲンドウを救った!!
彼女がいなければシン・エヴァンゲリオンは、碇シンジは、碇ゲンドウは、人類は救われなかった。彼女は、彼女は人間だ!!
テンション上げすぎてるので頭から書いていこう。
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シン・エヴァンゲリオン始まってから冒頭、めちゃくちゃ驚いただろう。私も驚いた。
茫然自失の精神崩壊、うつ病と失語症をこれほどリアルに生々しく表現したアニメ作品は他にあるまいと思わせるほどに壊れた碇シンジが、黒綾波と共にアスカに手を引っ張られて辿り着いたのは『第3村』だ。日本の山奥の田舎、世界がコア化現象で真っ赤に侵食される中で残された数少ない人間の住む領域だ。
そこにいたのは14歳から28歳に成長した鈴原トウジ、相田ケンスケ、洞木ヒカリあらため鈴原ヒカリ、学友たち!
死んでなかったのかお前たち! と感動の再会を迎えるが肝心の碇シンジは精神ボロボロで自発的に食事すら食べられない有様。シンジが村に馴染めるまでしばしの時間が必要だろうと村外れの廃駅舎宅の何でも屋ケンスケとアスカに預けられ、一方で「黒綾波」は綾波の「そっくりさん」として、医者のトウジと共に第3村で村人たちと生活を営むわけだが……
猫と犬の違いもわからない無垢な少女が村の営みを通して、人を徐々に理解していくさまがたまらなく愛おしく、そして切なかった……
プラグスーツ農業作業も虚構と現実が入り混じってるようで実に良い。
SFの代名詞たる全身吸着型のスーツに、藁帽子とアームカバーと長靴の農業作業カスタマイズ、その周囲に囲む心優しきオバチャンたち! 黒綾波はたくましく生きるオバチャンたちと農作業をして風呂を浴びて、日々を過ごしていく毎にどんどん人や生きる意味を見つけ出し「おはよう」や「おやすみ」や「ありがとう」などの「おまじない」を知っていく。その甲斐もあってついに黒綾波は碇シンジの塞ぎ込んだ心に手を差し伸べて、救い出せた。
ここの部分は初見では「碇シンジへの癒やしや出番の機会を黒綾波が横取りする結果にならないだろうか?」と心配したが、それは杞憂だった。
心神喪失して動けない碇シンジの代わりに黒綾波が村人と交流して、それを余す所なくシンジに献身的に与えたのだろう。だからシンジは立ち直れた。黒綾波がヒカリや村人オバチャンたちから受け取った「おまじない」で彼の『心の壁』を乗り越えた。
黒綾波のおかげもあって碇シンジも村と交流するようになって、この時間がずっと続けばいいのにと思った矢先、ネルフから離れて生きていけない身だった黒綾波にタイムリミットが訪れてしまう。彼女はそれでも日々を精一杯生きて、ある日の朝、碇シンジと出会う。
ずっと返せなかったミュージックプレイヤーを返すと、黒綾波は稲刈りできなかったことや明日への未練、たくさん受け取った思いへの感謝を伝える。プラグスーツが黒から白へと変わり、刻限を迎えた彼女は『さよなら』を告げて、シンジの眼の前でLCLへと還る。
遺されたスーツの胸元に灯る、小さな十字架と虹があまりにも愛おしくて悲しいことか!
彼女は『綾波レイ』とはまた違う一人の『アヤナミのそっくりさん』として生きて、誰かに思いを残して死んだのである。彼女は本当に人間になれたのだ。彼女の死を受け止めた碇シンジは一つの決意を胸にヴンダーに乗り込んで、最終決戦と父との対峙に向き合う。
碇シンジに戦う理由が生まれた瞬間だった。
強烈に心揺さぶられるシーンであったと同時に、このエピソードは終盤にも非常に大きな意味合いを持つと解釈している。この作品の代名詞的な要素でもある心の壁『ATフィールド』の存在だ。
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旧南極、ガフの扉を越えたマイナス宇宙の先で遂に碇シンジは碇ゲンドウと対峙する。初号機と第13号機、槍と槍の衝突、特撮だったりミサトさんのお部屋でビール空き缶撒き散らしたりネルフ本部前だったり綾波レイの部屋だったり撮影スタジオセットを突き破ってメタ世界に入ったり。散々殴り合った上で、それでも碇シンジはゲンドウに歩み寄ろうとする。
そこでゲンドウは自己矛盾に突き当たる。
全ての魂が溶け込んだ心の壁がない世界、すなわち人類補完計画を目指していたはずなのに、碇シンジ相手にATフィールドが出てしまう。碇シンジは果たして強固な心の壁をどう乗り越えるのか。その答えは、
黒綾波から託されたミュージックプレイヤーを差し出すことだった。
碇ゲンドウのATフィールドをいとも容易くすり抜けて、ミュージックプレイヤーは碇シンジからゲンドウの手に戻る。
かつての自分の所持品を受け取って、ついに碇ゲンドウは自身の心境を語りだす。シンジはゲンドウが自分に似ていたことに気づき、ゲンドウは息子を否定することが自身に課せられた罪だと誤解していたことに気づき、親子は和解する。
心の壁は完全に消え去ったのである。
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第三村の村人たちから黒綾波へ。
黒綾波から碇シンジへ。
そして碇シンジから碇ゲンドウへ。
思いは引き継がれたのである。
人はずっとは生きられないが、記憶されたり思いを受け継ぐことでその生命はその人たちが続く限り永遠に生きられるかもしれない。短命の運命を遂げた黒綾波であっても、碇シンジへの献身によって彼の決意と決断を蘇らせ、辿り着いた最高の結末の中にも『彼女』は生きているのだと思う。
失った人の死を受け止めて思いを受け継いで、明日へと繋いで生きていく。
碇ゲンドウは碇ユイの喪失を受け止められずに惨状を引き起こしてしまったが、碇シンジは様々な人たちの死を受け止めて思いを繋いだ。ここで神話的試練たる「父親越え」も成し遂げている。これほどの王道があろうか!!
『ATフィールド』というエヴァンゲリオンの代名詞的な要素を用いて、この普遍的なテーマに切り込んだのは非常に素晴らしいと思う。林原めぐみさんの可愛らしいの演技も合わせて『綾波』という無垢なる少女への認識が変わったし、黒綾波の愛おしさが増大した。
まだまだ書きたいことがあるけど一旦ここまで。また会おう。