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異世界転生チートでお手軽に小説書きたいなら試練と恩賞を大事にしろ【創作メモ】

これを書いてる暇があるなら小説を書け。

とまぁ挨拶文をそこそこに早速書いていこう。
今回は「なろうでよく見かける異世界転生チートのマンネリ感とは何か?」を考えながら創作のアイディアをつらつらと書き連ねてみた。アドリブで書いたものを後から編纂してつなげてるのでそこはご了承を。著作は私。

異世界転生チートって王道じゃないの?

これを語るにはなろうの説明を欠かせないな。
なろうとは「小説家になろう」という小説投稿サイトで掲載される作品の総称である。クオリティの高い作品は書籍化もされて、今一番作家になる近道であるライトノベルの発表の場であろう。
ここでその歴史を語ろうとするといくら時間があっても足りないので割愛する。なろうの代名詞となった異世界転生という概念はテンプレ化されて色んな作品の導入として用いられるようになった。

すなわち「現代に生きる主人公が死亡し、神々から恩賞を授けられ異世界で活躍し試練を乗り越える」というやつだ。
これは王道破りではないか、という話もあるが実はアンチテーゼであるという話は以前にもnoteで書いた。

この記事の中で異世界転生はアンチテーゼ、王道を否定するために作られた反対の物語であると主張していたが……

つい最近ちょっと違うんじゃないかなと思い始めてきた。
むしろ異世界転生チートほど王道に沿ってるアンチテーゼからこそ、ここまで爆発的に増加してきたのではないかと。

神が恩賞を与えるのは、ご都合主義ではなく当たり前

よく巷で「異世界転生なんてありきたりな物語」だと言われることはある。わからんでもない。
異世界転生チートものでの食傷とは「神が償いをするほどに善性の存在である」という金太郎飴の如き機械仕掛けの舞台装置であると思われてる点じゃないかな。
つまり「たくさんある物語で神々が都合よく恩賞を与えるなんてご都合主義みたいなものじゃないか」という見解だ。確かに世界には優しい神もいれば厳しい神もいるし、人を弄ぶような邪神だっているかもしれないからね。人間にだって心優しくない者がいるのだから神にだって心がねじ曲がった者がいないはずがない。だって人間が神を作るのだから、という理屈だ。わからないでもない。

でもこれは実は罠がある。
異世界転生が「試練を乗り越え恩賞を与える」神話体系の逆である「恩賞を与え試練を乗り越える」であるから、恩賞を与えなければ物語として破綻する

恩賞や償いも無しに、異世界転生した主人公が知恵と勇気で強大な敵という試練を乗り越える物語にするにしても、たとえば「新しい世界での居場所」や「恋人や仲間や大切な人」という恩賞を主人公は与えられなければならない。
そこに「元の世界に帰る」みたいな別の恩賞をちらつかせて葛藤させるのもいい。『ゼロの使い魔』の才人の図式がこれに近いかもしれんな。

話を戻そう。もし主人公が試練に挑み続けても、神からも世界からも誰からも恩賞を得られない状態で物語を終えるとどうなるかだ。

読者は「この主人公はどのような結末を迎えるのだろう?」と期待させて読み解いていく。そうやって数時間かけて単行本読み終えてたどり着いた決着を想像してみよう。
行き着く先が何の成果もない野垂れ死に? 誰からも認められず何か世界を帰るでもなく、ただ無下にされただけ?

金返せ! 時間返せ!
よほどドラマチックに描かないと総スカンが待つぞ。少なくとも次の作品を手にとってもらえなくなる。

恩賞があってこその物語である。
恩賞は主人公のためだけでなく、それを読む読者にも与えられるものだ。
それを忘れて恩賞を主人公に与えなければ、それは読者に感動も何も与えないことと同義なのである。

恩賞は時として残酷な結末に成り得る

当然のことながらすべての物語がハッピーエンドでは終わらない。ただ主人公がバッドエンドで終わってはならないわけでもない。たとえ暗い結末でもでも感動を生む名作にはなれる。

ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」ではエリートとして神学校に入学した主人公が落ちぶれて故郷に帰り、その故郷でも精神的に追い詰められた果てに野垂れ死ぬ物語だ。車輪の下敷きになる、はドイツでの落ちこぼれを意味する言葉だ。彼の苦悩と社会とのすれ違いに共感を覚える作品であった。主人公の葛藤が描かれてるから面白い。

先日話題になった「鉄血のオルフェンズ二期」も結局鉄華団は崩壊してしまったが、主人公のオルガと三日月は葛藤と奮闘の果てに「守るべきものを守りきった」充足感の中で散っていく感動はある……が、やっぱりそこに至る道程がよくない。
主人公たちを追い詰める手法がご都合主義すぎたからね。

その名作に対する愚痴はココじゃ書ききれないので過去記事を参考にしてほしい。話を戻そう。

「車輪の下」は主人公を追い詰める社会の抑圧がリアリティの元に描かれたが「鉄血のオルフェンズ二期」は鉄華団に対する追い打ちというのがマクギリスの作戦違いであったりダーインスレイヴであったり、一方的かつ不公平なものだった。
試練の設定が下手だったのが鉄血二期だったのだろうね。
逆に試練の設定が上手く、敗北する主人公に否応がなしに共感を覚えさせたからこそ、車輪の下は名作になっている。

神々と世界が与えるもの

試練に立ち向かうもこれに失敗し、神々や世界から賞罰を受けた伝説神話は結構おおい。

ギリシャ神話だとオルフェウスがそれに該当するだろう。
琴の名手であるオルフェウスが最愛の人と死別して、それを取り返そうと冥界に赴き琴の演奏でハデスを感激させて特別に恋人を連れ帰ることを赦される。ただし振り向いてしまったら契約破棄だ。地上ギリギリまでこらえて頑張ったオルフェウスだが、残念ながらあともう少し、もうすぐというところでふと背中にいる恋人の顔を見てしまう。

恋人は冥界に逆戻り。悲観したオルフェウスは崖から身を投じて自殺してしまった。これを哀れんだゼウスが彼の琴を星座として召し上げて、琴座ができあがったという。

余談だが琴座のベガは織姫と彦星の話の織姫であり、約1万年後に北極星になる。
歳差と呼ばれる現象で、地球の自転軸は止まりかけのコマのように斜めに回っていて、その極点に位置する北極星や南極星は違う星を指し示す。
今現在はこぐま座のポラリスが北極星となってるが、時が経つとずれていって、今から約1万2千年後に北極星はこと座のベガ、織姫星となる。
奇しくも琴座の逸話と織姫の逸話という、恋と愛に深く関わる二つの伝説を内包するベガという星はなかなかに興味深いだろう。

さて、オルフェウスは恋人を取り戻すという試練に挑み失敗し、死して神に召し上げられるというギリシャ神話の王道を往くわけだ。
イカロスやアスクレピオスも同類かな。イカロスは自由のためにロウで作った翼で空高く飛ぶが、父親の忠告を無視して高く飛びすぎたために翼を太陽に溶かされて落下して死んだ。アスクレピオスは死者を蘇生する秘薬を作ったが冥界の神ハデスがこれを危惧し、ゼウスの雷によってアスクレピオスは諌められ殺されてしまった。
彼ら二人は神の領域に踏み込んでしまった罰を「神々から受けた」わけだな。

さて、お気づきだろうか。
恩賞であり罪罰であれ、物語の主人公は神々もしくは世界から「与えられる」ことに変わりない。
そして如何にして恩賞を与えられたかのプロセスを描いたのが物語であり、主人公の知恵や力や勇気が強大なる試練を乗り越える様を、面白おかしく感動させて描くのがストーリーテラーの腕の見せ所だ。

まとめると

「主人公が試練に立ち向かい恩賞を神や世界から与えられる」が神話体系の王道であり、
「主人公が神や世界から恩賞を与えられ、試練に立ち向かう」のが異世界転生の王道であり、
「主人公が試練に立ち向かうも失敗し、罪罰を与えられる」のが、名作のバッドエンドとなる王道であり、
「主人公が試練に立ち向かうも何も与えられずに終わる、一方的に報いを受ける」のは、試験的な作品ではあるが、エンターテイメントとしては売れないしよく見られないだろうと思う。相当に工夫されていれば別だが、今の所その答えは思いつかない。

ということで、異世界転生と神話体系と車輪の下と鉄血のオルフェンズ二期を絡めてみた。
試練と恩賞のバランスは物語の命であり王道だ! 頑張ろうね。

私は金の力で動く。