憂鬱な休日

今日も一日が終わる。
お疲れさまでした。

今日は久しぶりに会う友人と昼ご飯を食べに行った。
数年ぶりに合う友人に大きな変化はなかった。
何となくで集まった会だったけれど楽しかった。
昔みたいにどうでもいい話をしてそれで解散。
何となく心地が良いね。
結局は自分たちの現状の話なんてしなくて中学生の時みたいな会話だけで時間が過ぎていった。
別に仕事の話をしたくないわけではない。
けれどもなんとなくしなかった。
これはやましい事があるわけではなくて単純に優先順位が低かった。
あまりにもくだらない内容は記憶にも残らない。
帰り道は休日の昼間を感じた。
なんでもない休日だった。

その後は家にいた。
結局ゲームだの何だのをして一日が終わる。
なんの生産性もない一日。
それが原因なのか何となく気分が憂鬱になる。
助けてほしい。
あああ
明日が嫌だ。
本当に来ないでほしい。
何となくで生きていきたい。
何もせずにじっとして。
誰かに相談できたらいいのだけれども相談できそうな相手なんていない。
これは友人がいないというわけではなくて、僕が相談する人を選んでいるんだと思う。
結局僕は慰めてほしくて、優しくしてほしくて、救ってほしいんだ。
甘いのかもしれないね。
いや、甘いんだ。
僕は甘いんだ。
そのうえで何となく日常を過ごしている。
僕は文句をいうだけで何もしないんだ。

そんな僕も少しずつ変化を作ろうとしている。
それは単純に環境の変化だ。
金をためて一人暮らしをする。
それだけだ。
でもこれでなにかが変わると思っている。
過度な期待かもしれない。
でもそれにすがって頑張れるならいいのかもしれない。
一人暮らしした暁には何かを始めよう。
それはなんだって良くて新しい趣味だっていい。
習慣でもなんでもいいんだ。
なにか自分の生活の中に変化を作ってそれに夢中にならないと。
でないと何となく僕はいなくなってしまう気がする。
それは社会的な存在意義の話ではなくて自分が自分を認識するためのなにかだ。
今の僕にはそれがない。
体感の中では名前もない。
僕が僕である意味なんてなくていつでも違う誰かと取り違えられそうだ。
その事による不安感なのかもしれない。
この不安感の原因を突き止めないと。
じゃないと本格的に発狂してしまう。
絶対に正常でいるんだ。
そのために社会人になったんだ。
あのときの俗世から離れた姿になんてなりたくない。
僕は正常のまま一生を終えるんだ。
そのための準備をしないといけない。
それはきっと大きな安心感だ。
絶対に正常じゃないといけない。

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