噛み殺したくなかったこと
誰かが発すること・行うことが適している言葉や行動はあるのだろうか。
たとえば、見た目が割とギャルチックな子がものすごく真面目に資格の勉強をしているのは「ギャップがあっていい」のか。それとも「人を見た目で判断して決めつけるのはよくない」のか。
「あの人が話してると現実味がないから下ネタも笑えるんだよね」というワードをちょうど耳にする機会があって、こんなことを考えた。
その「あの人」は、ふくよかな見た目で、ファッションやメイクがキュートで、いつもあっけらかんとした話し方で、見ると行きつけのバーにいるお姉さんと会っているかのような安心感を与えてくれる(行きつけのバーなんてまだないのですが)。
その人が話す下ネタは現実味がない、すなわち「その人に起こるはずがない」体験のはずだから、その人が話しているとファンタジーのように感じられて気軽に楽しめる、らしい。
一方で、美人で容姿端麗なお姉さんが同じような話をしていると、現実味を帯びていて気まずくなるようだ。
私は人を容姿や職業、人種などで一括りにしてジャッジするこの手の話題が心底嫌いで、だんまりを決め込んで透明人間になろうと努めた。
その場はそれでやり過ごしたのだけど、あとからどろどろの感情がそれはもう溢れて止まらず、この文章を書くに至る。
平たく言うと、「ふくよかで(その発言をした人から見ると)他の誰かと関係性を持つことがなさそうだから、その人が話すことはフィクションとして気軽に消費できる」けど、「綺麗でモテそうな人から聞く話は、その人の身に本当に起こっていそうで想像できてしまうから、なんとなくキモい」ということなのだろう。
その「モテそう」「誰かと恋愛関係に発展しそう」というのは、もうマジでマジで(急にギャル)その発言をした人の視点でしかないのに、そしてそういう思想はその人の心のどこかにひっそりと忍ばせておけばいいのに(そう思う思わないは制御できないので)、なんで言葉にしてしまうんだ〜〜〜〜言った瞬間誰かの呪いを擦るかもと一瞬想像力を働かせてほしい、棘巻先輩も普段はシャケとかイクラとか言ってるでしょ・・・
まず誰かが誰かにとって惹かれる見た目や中身かどうかは、相対する人によって捉え方も千差万別なはず。自分ひとりの偏った視点に立っている可能性があることは(私含め)一度立ち止まって考えてから言葉にしたいよネ
そんなわけで、結局私はその人の発言をとりあえず頭の中では粉々にして(ハリポタ観たばっかりだから「レダクト!」が浮かぶ)なかったことにしたのだが、あの場でわきまえずにギャースカ言えたらこのあと同じ思いをする人が減ったのかな、とも思う。
と同時に、そんなことに割くエネルギーがあれば自分の人生生きた〜いとも思うし、そういう謎の一般論(のように見えて実はその人のブチ偏見に基づいた論理)を振りかざしてくる人の発言は決して同意しないぞ!という強い心を持ちつつ、ちょうどよいスルースキルも身につけていかねばだな〜〜〜