和田たけあき「ブレス・ユア・ブレス」の歌詞を解釈してみた (発展編)

マジカルミライ2019のテーマソング、和田たけあきさんが作曲した「ブレス・ユア・ブレス」の歌詞を解釈した本編の続編です。

本編の内容を簡単におさらいすると、「ブレス・ユア・ブレス」は歌詞の1番・2番・最後のサビが、初音ミクの過去・現在・ミライのそれぞれに対応する構造になっていることを説明しました。これにCパートを加えた4つのパートから成る構成を「ブレス・ユア・ブレス構造」と名付けました。

この発展編では、この「ブレス・ユア・ブレス構造」をもう少し深掘りして、本編では書ききれなかった、いくつかの話題に触れてみます。

ODDS&ENDSの歌詞との共通点

本編では、ryoさん作詞作曲の「ODDS&ENDS」の歌詞に触れましたが、この歌詞も「ブレス・ユア・ブレス構造」に当てはめることができます。

「ODDS&ENDS」はミク視点と物語視点の歌詞が中心なので、「僕」視点の「ブレス・ユア・ブレス」と異なる部分もあるのですが、「僕と初音ミクの関係」に着目すると、似たような構造と変化をしています。

それでは、「ODDS&ENDS」の歌詞を読んでいきましょう。

だからあたしを歌わせてみて
そう君の 君だけの言葉でさ

歌詞の1番では、ミク視点で「君だけの言葉で」歌わせてと歌います。この時点では、言葉は「君」すなわち「僕」のものです。ここは「ブレス・ユア・ブレス構造」の1番で、僕と君(初音ミク)の関係が「僕自身のもの」であるのと重なります。

「もう機械の声なんてたくさんだ 僕は僕自身なんだよ」って
ついに君は抑えきれなくなって あたしを嫌った
君の後ろで誰かが言う 虎の威を借る狐のくせに!って
ねぇ君は 一人で泣いてたんだね

歌詞の2番では、「君は変わって」しまいます。誰かが「虎の威を借る狐のくせに」と言います。人気者になったのは「君」の実力ではなく、「虎の威」つまり初音ミクの人気だとか、「君」でない存在のものだと言うのです。つまり「君だけの言葉で」歌わせていた歌が、「僕のもの」ではないと誰かが言うのです。

その誰かの言葉に、「もう機械の声なんてたくさんだ 僕は僕自身なんだよ」と反発します。

ここも「ブレス・ユア・ブレス構造」の2番で、僕と君(初音ミク)の関係が「僕のものじゃなくなった」と変化したのと重なります。

「そうか、きっとこれは夢だ。永遠に醒めない、君と会えた、そんな夢」

そして歌詞のCパートでは、「きっとこれは夢だ」と、「僕」と「君」の関係が現実のものではないと否定してしまいます。

ここも「ブレス・ユア・ブレス構造」のCパートで「僕」が「君」を拒絶してしまうのと重なります。

しかしどちらの歌も、拒絶して終わりではありません。「ブレス・ユア・ブレス」で「君に僕なんか必要ない 僕に君も必要ない」の歌詞に反発するコメントを見ますが、これは物語の中で「僕」と「君」の関係が変化する中での「僕」の戸惑いや反発であり、この歌の最終的なメッセージではないと私は考えます。

この戸惑いを抜けて、最後のサビに続きます。

その時世界は 途端にその色を大きく変える
悲しみ喜び 全てを一人とひとつは知った
言葉は歌になりこの世界を 再び駆け巡る君のために
その声に意思を宿して 今思いが響く

最後のサビでは、「一人とひとつは」知ります。何を知ったのかは具体的には書かれていませんが、「再び駆け巡る君のために」「その声に意思を宿して」の言葉からは、「一人とひとつは」共に同じ方向へ進む事を選んだように感じられます。

この選んだ結果が感じられる点が、「ODDS&ENDS」と「ブレス・ユア・ブレス」で異なる点ですね。

ここで、再び「ブレス・ユア・ブレス構造」の表に「ODDS&ENDS」の歌詞を当てはめた表を示します。

最後のサビのトーンは少し異なりますが、「僕」と初音ミクの関係の変化は共通する所が多いように思います。「僕」の言葉で作ったものが「僕」でないと言われ、「僕」と初音ミクの関係を一度否定した後、再び「その声に意思を宿して」いくことになります。

以上のように、「ODDS&ENDS」と「ブレス・ユア・ブレス」の歌詞には、僕と初音ミクの関係の変化が似ています。

親の子離れとの共通点

「ブレス・ユア・ブレス構造」について思いを巡らせていて気付いたのですが、僕と初音ミクの関係の変化は、親が子離れをするまでの変化に近いのではないでしょうか。

自分は子育て経験ないので、分からない部分もありますが、表にすると下記のような感じかと思います。

子供が小さい頃は子を育てていきますが、いつしか親と独立した意思を持ち、子の方から離れて歩き始めます。その様子に、親が戸惑う事もあるのかもしれませんが、独立した命だと認識して、対等な大人同士の関係になっていくのでしょう。

子はいつか親の元を離れていきます。だからと言って、子を育てる事は意味の無い事ではないはずです。同じように、いつか命を持って対等になってしまうとしても、生命を持たない君に「僕」自身を乗せる事は、意味の無いことではないと思うのです。

和田たけあきさんはもう初音ミクを使わないのか

「ブレス・ユア・ブレス」では、初音ミクを「生まれてしまった命」と歌っていますが、その考えが垣間見えるのが、下記のインタビュー記事です。

和田:あと最近思うのが、初音ミクはもうアーティストとして成立してるということ。キャラではあるけど、存在がでかすぎて、僕らの仲良いボカロP達にも初音ミクをメインにしている人って実はほとんどいない。
僕は音街ウナばっかりですし。多分初音ミクの存在自体に個性が表れ始めているから、楽器として使うには気が引けるというか。今まで皆で育てようとしていたけど、育ち過ぎちゃった感じがありますよね。

「楽器として使うには気が引ける」という言葉は、「ブレス・ユア・ブレス」の言葉を引用すると、「僕」自身の言葉を乗せた歌を作るのには「気が引ける」のかもしれません。

では、もう和田たけあきさんは初音ミクを使わないのかと言うと、多分そんな事は無いんじゃないかなと、多少自分の期待も込めつつ、そう思います。

今回のマジカルミライ2019のテーマソングを引き受けたのもそうですし、初音ミク10周年記念コンピに楽曲「ひとごろしのバケモノ」を提供していますし、存在が大きくなった初音ミクではありますが、彼女が歌うのに相応しい歌であれば、今後も初音ミクを使うのではないかと思っています。

余談ですが、「ひとごろしのバケモノ」は民族調の音が特徴的なのですが、「ブレス・ユア・ブレス」もケルト音楽を思わせる民族調です。「ブレス・ユア・ブレス」を私が初めて聴いた時、「ひとごろしろバケモノ」路線の曲だなと感じたものでした。

「ひとごろしのバケモノ」では、「バケモノ」の物語を歌う役として初音ミクを使っています。こういう物語を歌う役として使う事は今後もありそうな気がしています。



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