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海に浸かる

身も心もオーストラリア一色となった。


朝からいい天気だと心が軽くなる。そんな日は今日もきっといい日だろうと根拠のない希望で満たされるのだ。

先日のお休み、驚くほど気温が高くなるとの予想だったため、これは良い機会と近くのビーチに泳ぎに行くことにした。これまでは海沿いを散歩ばかりしており、完全に泳ぎに行くことはしなかった。海は私にとって見るものだったからというのもあるかもしれない。日本の海はなかなか入る気にならないからである。しかし間も無くここでの暮らしも終わりに近づき、今のうちにこの綺麗な海でできることをめいっぱいやらねばと第一弾を決行することとなった。

私の家からビーチまでは徒歩10分ほど、その間にスーパーや飲食店などが軒を連ねているが、基本短パン半袖ビーサンで歩いてる人ばかりでいい意味での怠惰な雰囲気は私にとって楽でしかなく、またその空気感は全国共通だと感じ、どこまでいっても人は人と妙に納得した。やはりお気楽な暮らしには海が必要なのである。

当日の朝、予想を反し空はどんよりとした雲で覆われていた。これは辞めておくべきかと悩んだが、それでも明るくなるだろうと願望頼みで家を出ることにした。近くのベトナム料理屋さんでバインミーを買って、のぺのぺ歩くと浜に着く。さすがは休日、多くの人がパラソルやらテントやらを立て砂浜にずらっと並んでいた。さすがは海の近くに住むものたち、こんな天気でも出てくるのだ。私たちもスペースを見つけ敷物を敷いて朝ごはんを食べだす。メルボルンは多国籍の人がおり重なって住んでいる街だ。本場の味でいろんな国の料理を食べられるのはここに住む特権だと思う。
思ったよりもパクチーが入ってないバインミーにかぶりつくと、口の中は一気にベトナム色に。その国独特の味付けや辛味や香りが毎回楽しい。
そうこうしているうちに大きな雨粒がぽつりぽつりと降ってきた。ビーチバレーをしてる若者やすでに海に入って楽しそうにしてる人たちを横目にわたしたちは一時避難することに。屋根のあるところから海を眺めるとやはり空の色がグレーだからか、海が輝いていない。海本来の美しさは空の色が関係することを痛感した。

連れと話しながら待っていると意外とすぐ止んでくれた。わたしたちは意気揚々砂浜に戻る。この後、わたしたちはこれを複数回繰り返す。これぞメルボルンなのである。天候に安定はないのだ。
そんな何回目かのリターンの後、少しずつ雲が光り始め、そこから太陽が顔を覗かせた。一気に海がグレーブルーから翠色に輝く。その変化の早さにわたしたちは口をあんぐり開けることしかできなかった。砂浜にいた人々も次第に海に入ってまったりしている。待て待て、今までの天気を考えると今日の海はかなり冷たい。なぜまったりできている?悩んでいたその時、とあるカップルが海に浮き始めたではないか。2人でそれぞれぼーっと空を眺めている。それを見た瞬間、どーしてもやりたくなった。海に全身浸かりたい!
思ったら吉日、先陣切って入ることにした。後ろで連れが浮き輪を膨らませている間にわたしは波打ち際まで降りていく。足元ギリギリに広がる波紋を眺めながら入るための心を決めているとひょいと波が足をさらう。

ひょっっっ!

思った100倍ほどひゃっこいのである。そんな海に当たり前のようにダイブしていくオーストラリアンボーイたちや、レディーガガの双子のような女性が羨ましい。彼らはわたしたちよりも圧倒的に基礎体温が高い。だからクールな顔してスッとこの冷たい海に入っていけるのだ。アジア人まるだしのわたしには到底できない芸当である。
さて、足にかかった冷たい海水に肩を上げながら耐えていたわたしはなんとか高温のお湯に浸かるスピードで徐々に海へと入っていくことにした。少しずつ身体を慣らし、時に後退しつつも前に進むといつの間にやら胸元辺りまで海に入っていた。連れが浮き輪に乗りながらこちらにきたので、腕を浮き輪の紐に絡ませて一緒に泳ぐ。海で泳ぐなんて何年ぶりだろう。こんなに気持ちがいいものかと自然と笑顔になった。ひとしきり泳ぐとグッと身体が疲れた。今だ!と、クルッと身体を反転させ身体の力を抜いてみた。海水はものを浮かしやすい。顔だけ出して海に浮く。
耳は海水によって何も聴こえず、一定のリズムで自分の息遣いが聴こえてくる。時折コポポ…という海の音が聴こえるのみでそれ以外は無である。あんなにいた人の声も届かず、眼前にはさっきまでの空と嘘のように真っ青な快晴が広がり、太陽が私の顔を焦がす。眩しくて目を閉じても瞼を通って目に光がやんわり届く。その状況が意外にも心地よくて波に流されないよう抵抗しつつもしばらく浮いていた。身体が浮いた状態はお母さんの子宮の中にいた時と同じ状態というけれど、耳も目も使えないこの状態はまさにそれで、でも不思議とその時に感じた孤独は悪いものじゃなくむしろ清く心地いいものだった。

泳いで波打ち際の方に戻ると子供達が楽しそうに砂で遊んでいた。それを母親たちが見守りつつあーでもないこーでもないと話している。みんな子宮を通ってここにいるんだよなぁと思うと、人は人だとやっぱり思うのであった。

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