ブライトン。 モッズ、ザ・フー、ザ・ジャム、そして「さらば青春の光」
ロンドンのビクトリア・ステーションから南へ。約一時間でブライトンに着く。海に向かってほぼまっすぐ歩くとペブル(小石。砂浜ではない。)の海岸に出る。
お土産物屋さんに入ると "Brighton Rock" というペブル型の砂糖菓子が売っている。クイーンの曲のタイトルはここから来たのかもしれない。
初めて行った時は、まだアジア系は珍しかったらしくて、列車の中では子供達が私を見物しに来てくれた。そして簡単な英語を話すと、とても喜んでくれた。
ブライトン、というと、ロックファンとしては様々な切り口が可能で、モッズのことを書けばいいのか、ザ・フーのことか、ザ・ジャムか、映画 "Quadrophenia"のことか、はたまたポリスのスティングか。
あれこれと思い入れのある場所なので、イギリスに行くたびに訪れた。
初めて行った時は、イギリスのパンクに出会った。ブロンドの髪をツンツンと立て、七色に染めて、デッキ・チェアーに座った私の前に立っていた。
「座らないの」と聞くと「お金を取られるから」と言って座らない。案の定、どこからか、にこやかな青年が現れて、料金を請求された。
それからしばらく他愛のない話をして過ごした。「パンクだった?」と聞くと「パンクだったし、今もそう」と言う。ヨークシャーに住んでいて、失業していて、失業保険がおりるとそのお金で旅に出るらしい。「暖かいブライトンに来た」と言っていた。
自分の生い立ちや、友達のこと、ピストルズを見た話もしてくれた。確か、即興の詩も聞かせてくれたが、当時の私は今よりも英語はできなかったし、詩の内容まではよくわからなかった。
一緒に No Woman No Cry を歌って、しばらく街を散歩したのは覚えているが、どこかでお茶を飲むでもなく、最後はどこで別れたかも覚えていない。
当時はもうパンク・ムーブメントの絶頂期は過ぎていたし、日本にはパンクは(ファッション以外)いなかったので、イギリス本国のイメージ通りの「本物のパンク」に出会えて嬉しかった。(失業保険で生きてる、なんて、雑誌に書いてある通りのパンクじゃないか。)
私がイギリスに行く、と決めたのは中学生の頃だった。当時、私の好きなものは全てイギリスにあった。高校生になると、夏休みにバイトを探し、お小遣いを貯め始めた。イギリスに行くためなら、なんでも我慢できたし、それを「我慢」だとも思わなかった。
一緒に行こう、と決めた友達は一人、二人、と死んでしまったので、私のイギリス行きには「彼らの分も」といった、青い感傷もあったのかもしれない。ザ・フーが大好きで、私にもその良さを教えてくれたO君と一緒の写真も持っていき、ブライトンの海に流した。O君も来ていたら絶対感動していたと思う。
モッズゆかりの地でパンクと出会う・・昨日まで地球の裏側にいた者同志がふと出会って、一緒に歌って、好きなアーティストの話をする。言い古された言葉だけど旅の喜びの一つは出会いだと思う。
この思い出も宝物。イギリスに行って良かった。音楽が好きで良かった。