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名文today_79/『ぼくらの文章教室』
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回り道をせず、自分が「生きる」もしくは「生きた」ことを書くだけで、「自由」について書くことになる。それが、センの文章の秘密だ。そして、いま読んだ、女の子の文章にも、それがある。つまり、「生きる」ことを書くこと、直接に書くこと、自分が生きる、ということを見据えること。それがそのまま、「自由」であることに繋がること。
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人として生まれたからには、極めてみたい、人間的な自由へ至る道。でも、現実には、受け入れなければならない、「社会」や「世間」が用意してくれる道。そのどちらかの選択ではなく、その両方を、我が手にするやり方があるんじゃないだろうか。そのために、ことばがあるんじゃないだろうか。そのためにこそ、ぼくたちは、「文章」を書こうとするんじゃないだろうか。そうは思いませんか?
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「私は本を読んだりして学んだことは、どんどん忘れて行っている。それらは所詮私から消えて行くものだ。私に今あるものは、エイ智と称するものだけだ」
「叡智」という感じすら、「私」は忘れている。しかし、そこには、確かに「エイ智」としか呼べないなにかが存在しているのである。
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重要であればあるほど、書くべき事件やエピソードがあればあるほど、言い換えれば、要約することが不可能であればあるほど、要約するべきなのだ。
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「文章」は、ただ、正確に呼びかけることさえできればいいのである。その読者が、「これは、確かに、ぼくに(わたしに)向かって、呼びかけている文章だ」と思えるものでありさえすればいいのである。
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『ぼくらの文章教室』/高橋源一郎/朝日新聞出版/2013