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絵師と画像生成AI

2023年8月現在考えたこと。
技術の進歩や使われ方によって、今後意見が変わるかもしれない、という前提で。


2022年の夏頃から、絵が描けるAI(以下「画像生成AI」という)が登場し、話題となった。
それ以来2023年現在まで、画像生成AIは、特にデジタルで絵を描いている人(以下「絵師」という)から嫌われているように見える。
その理由は主にふたつだと思われる。

  1. 他の人の絵を無断で使用している点(入力の問題)

  2. お手軽にハイクオリティな画像を生成できる点(出力の問題)

入力の問題

様々な画像生成AIがあるだろうからその学習方法も様々だとは思うけれど、最も敵視されているのは、ネット上で公開された他人の絵を、無断で学習し、糧としている、と思われているタイプだろう(実際どの程度収集しているのかはわからないけれども)。
この点を防げるだろうか?
例えば法令で規制したり、業界団体でガイドラインなどを作ったりすればどうか? 上手くいけば、「無断で」という部分については防げるかもしれない。しかし、ルールを守らず無断で画像を学習させた画像生成AIに対し、その証拠を突きとめて止めさせるのは中々困難である。「学習に使用した画像リスト」が公開されたら容易だろうが、そうでない限り、出力された画像からはどんな画像が学習された結果なのか、よほど特徴的な絵柄でないと難しい。

無断で、という部分を防げたとしても、画像生成AIの学習を防ぐことは難しいだろう。
例えば一万回「いいね!」された画像は学習に使われ、その謝礼金として10,000円が支払われる、といった画像生成AIに学習されることが前提の画像投稿サービスがあったらどうか。プロのイラストレーターや漫画家は投稿しないだろうが、そうでない人たちの中から投稿する人も多く出てくると思う(もちろん効率次第ではあるが)。

伝承される絵柄

絵柄は他の絵師に影響を与える、という点も難しい。
ごく一部の天才を除き、人物画・キャラクターの絵を描く人のほとんどは、小さなころから触れてきた漫画、アニメ、絵本、ゲーム、絵画など、他人が描いた絵を見て育ち、自分の中で「理想の絵」を創り出し、その理想に近付こうとして絵を描いてきただろう。この人の影響を受けた、という自覚がある場合もあれば、無意識に影響を受けた場合もあるだろうが、たくさんの絵を見て、学び、影響され、自分の絵として出力するのは自然な流れである(絵に限らない。「学ぶ」の語源は「まねぶ=真似する」だとよく言われるように、他の分野でも同じだろう)。
この自然な流れと、画像生成AIは似ている。画像生成AIも、多くの絵を見て学習し、「こんな感じの絵が高評価を受ける」と判断し、出力する。
そもそも画像生成AIが登場する前から、あなたの描いた絵は、多かれ少なかれ他の絵師に影響を与えてきた。
もし、あなたの描いた絵に強く影響された人が、「パクリ」だと言われないギリギリのレベルの絵を画像生成AIに提供したら、それは防ぐことが出来ない。恐らく法令上も、実際上も。

出力の問題

重要なのは、入力よりも出力の方である。
他人の絵を無断で学習した画像生成AIがあって、その出力する絵のクオリティが「絵で伝える伝言ゲーム」で使用されたらとても伝わらないだろう、と思われるほどとても低かったらどう思うだろうか。腹が立つだろうか? それでも無断は腹が立つ、と思う人もいるだろうが、腹は立たない、どうでもいいと思う人が多いのではないか。
また、画像は確かに無断で集めているが絵としては出力せず、集めた画像は「AIに感情を教えるために使用しています」というサービスがあったらどうか。何となくの気持ち悪さは感じたとしても、今嫌われている画像生成AIほどには腹が立たないのではないか。

もしそうだとしたら、重要なのは出力の方である。
画像生成AIが腹立たしいのは、(比較的)簡単にハイクオリティの絵が生成されるからである。

  • 長年苦労して画力を上げてきたのに、絵を練習していない人が一瞬で同程度の絵を出力する。

  • 一枚の絵を描くにはとても時間がかかるのに、画像生成AIは、それに比べればごく短い時間で絵ができあがる。

  • 苦労の度合いが全く異なるにもかかわらず、まるで対等かのように「絵師」と呼称される。または自称する。

  • 画像生成AIのせいで、自分が得られていた称賛が奪われる可能性がある。

怒りを感じる理由はこんな感じではないかと想像する。これ以外だと、画像生成AIを使用していないのに、画像生成AIを使用して描いたと判断されて低評価を受ける可能性もある。
ではその気持ちをどう扱えばいいのか。画像生成AIに対し、どんな態度を取ればよいのか。

技術の恩恵を受け止める

画像生成AIは、技術の進歩の結果生まれたものである。入力の問題は別にして、技術の進歩そのものは認めなくてはならない。

今、デジタルで絵を描いている人は、過去に絵を描いていた人から羨ましがられる立場にいる。宝石を砕いてまで理想の色を追い求めていた時代の絵描きからすれば、わずかな操作であらゆる色を表現できるお絵かきソフトは夢のような技術である。羨ましいと思うだろうし、ずるいと思うかもしれない。
デジタルで絵を描いている人は、もれなく技術の進歩の恩恵を受けている。自分が受けているのに、他人にはそれを享受するなというのはわがままである。自分が使うかどうかは別にして、他人が使うことは認めなくてはならない(もちろん、入力の問題がクリアされている前提は必要だけれども)

となると、結局画像生成AIは発展していくし、それを使う人も増えていく事態にどうすることもできないのか。もしかしたら絵師は滅んでしまうのか。

画像生成AIは絵師を滅ぼさない

画像生成AIは絵師を滅ぼさないだろう。なぜそう思うかというと、写真が絵描きを滅ぼさなかったからである。

画像生成AIの登場ほど唐突ではなかったものの、カメラ及び写真の登場は、当時の絵描きにとって大きな衝撃を与えたことと思う。時間をかけて丁寧に描いた絵以上に精密な絵を、絵描きではない人がごくごく短時間で作ってしまうのだから。高価な機材が必要だったりある程度の専門知識が必要だったりしたから瞬間のインパクトは低かったかもしれないが、絵描きは滅んでしまうのではないか、と心配した人も多くいたのではないか(この部分は今後何かの折に気を付けて調べてみる)。

そんな写真は結局絵描きを滅ぼさなかった。しかし、記録としての絵、風景写真や肖像画についてはその役割を奪った。奪われた役割とそうでない役割の違いは何だろうか?

それは絵にできて、写真にできなかった芸術性があるからだ。絵の具にしかできない表現、作者の気持ちの反映、空想を描ける点などなど、写真にはできなかったり、できるけど手間だったりするような部分を中心に発達し、さらに抽象画のような新しい分野を切り開いていった。
今でも写真ではなく肖像画を求めるのは、多くの場合、精密さよりも、絵の具を使った絵にしか現れない芸術性を求めているからだろう。

一方写真は写真で芸術性を獲得してゆき、今やプロの写真家だけでなく、多くの人がSNSなどに素敵な写真をアップするほどのジャンルを確立させている。
また、デジタルで絵を描けるようになっても、絵の具を使った絵描きがいなくなったわけではない。アナログにはアナログの良さがある。
と、こうやって考えてみると、一部の役割を奪い成長するものの、全て奪い尽くすことはないように見える。

絵師の目指す道

しかし、写真が絵画の役割を一部奪ったように、画像生成AIが絵師の役割を奪う可能性はある。当たり障りのない絵、例えば挿し絵やとりあえず綺麗であればよいと判断されるZoomなどの壁紙、その人の絵でなければならない理由が低いもの、言い換えればオリジナリティが低い絵は画像生成AIに取って代わられるかもしれない。

オリジナリティのある絵、芸術性の高い絵は奪われない。
他の人が描いた絵を食べて成長する画像生成AIなれば、やがてそのオリジナリティのある絵も取りこむのかもしれないが、総合すれば結局は平均値に近いものになるだろうし、「この人の絵のような絵を出力する」と特定の絵柄を指定すればやはり、原作者には敵わないだろう。

であれば絵師のすることはオリジナリティ・芸術性を高めることである。
ではオリジナリティはどうすれば獲得できるのか?
上の方で、絵画、漫画、アニメなど他の人が描いた絵を学習し、自分の中で理想の絵を作り上げる、と書いたけれど、取りこむのは他人が描いた絵に限らない。風景、旅行先で見たもの、素敵な思い出、悔しい気持ち、読んだ本、考えたこと、感じたことなど、経験した全てを取り込み、出力すること。あなたの人生はあなたしか経験していない。あなたの人生を反映させた絵は、あなただだけの絵。自分が心地よいと感じる線、色、構図、物語、安易に諦めず、細部まで「自分の好き」を追求すること。上手下手より、少なくとも自分だけはこの絵が大好きだと断言できるまで突き詰めること。魂を込めて、絵を。

名角こま

今後の課題

  • カメラが登場したときの画家の反応について知る

  • オリジナリティと芸術性の関係を考える


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