うるうを観ました
うるう。
特に気にもしていなかったうるう年のうるう日。
オリンピックがある年、ぐらいにしか思ってなかったうるう年。
そんなうるう年のうるう日に生まれたとある二人のお話を観ました。
うるうをやっと見たよっていう書きなぐりです。
未見の方はネタバレございますので、ご承知おきください。
やっと、やっと…うるうを観てしまいました。小林賢太郎のしごとのYouTubeチャンネルに上がっている演劇作品だけでは飽き足りず、観てしまいました。なぜ「しまいました」なのかと言うと、小林賢太郎の引退前最後の公演だからです…。
これが最後と言う事実を、真っ向から突き付けられる感じがして、手が出せないまま…でしたが観たい欲も比例して上がってきて、連休明けの生活が辛かったので勢いで買いました。
案外すぐ届きました。来週火曜日にお届け予定と書いてるのに、今週の土曜日に届くという。粋なサプライズを、Amazon君はしてくれました。ありがとうAmazon。
届いたはいいものの、やっぱり手が出せず…。深夜の零時を過ぎたころにようやくDVDを再生しました。家族が寝静まった後にリビングを占領して。
経緯だけは今書いたので、もう率直な感想をバシバシ述べていきたいと思います。チェロが生きてる!生きてるんですよ、演奏が生きてて、音色が生きてる。喋るし、歌うし、少年の心情を描いたり、音色の表情も豊かで、小林賢太郎の一人劇ではあるのですが、もはや二人劇も相応しいのです…。
ああ、今さっき言った「少年の心情を描いてる」と言うのは、DVDパッケージの裏に書いてあったんですが、あれがとんでもない伏線だったんだなあとびっくりしました。もうこんなところでラストの話をするのもアレですが、ラストのシーン、ヨイチが森に流れてくるチェロの待ちぼうけの居所を探した後に、演奏者と目が合うシーン。
あれは演奏者がマジルだったということでよいんですよね??よいんですよね??そういう事にします!
マジルの演奏ならそりゃもうマジルの心情を描けますよね……(語彙力)
マジルの心情をマジルが演奏していたという事実が最後になってやんわりわかるのが、とってもいいなあって思いました。
まあ、私の解釈ではあるんですけれども…
ヨイチが結構明るくて、ちょっと大雑把な表情が豊かな人でびっくりしましたね。案外おとなしいのかと思ってました。ふくれっ面で自己紹介をしていたヨイチが、段々マジルに心を開いて、マジルに「二度と来るなよ」と言いつつ「また明日!」と言ってしまうのと、マジルが来るのを心待ちにしているようになって、なんだか泣けてきましたね。
うるうのもりを先に読んだので、結局二人が友達になれないというのがわかっていたし、追い返していくのもわかってたので、ひとりで生きてたヨイチが人と触れて楽しそうにしてるのを見ると、切なくて本当にちょっと泣いてしまいましたね。
賢太郎さんの演技もまたすごいなあと。賢太郎さん一人しかいないのに、マジルが見えてくるんです。勝手に脳が補強してくれるぐらい、自然なんですよね…子供の活発さが、いないのによくわかって、すごいなあと思いました。私、あれ、あれが好きなんですよ。賢太郎さんが、演劇に関わらず、ラーメンズのネタでもよくやる、ドアを閉めるマイムで足で地面をたたいて占める音を出したりするアクション。うるうでも、マジルを落とし穴から引き上げて地面に下ろした時、帽子を頭にかぶせたとき、土屋ら葉っぱやらをはたき落とす時、足をとんっ、とするのが好きなんですよね。
足をとんっ、とするのに不自然さもなく、本当にすごいなあと思いました。もう凄いなあとしか思えないですね。自分が演劇をやっている身でもあるので、こうやって作品を見る時の目が、単純に楽しみたいという目と、参考にしたいという研究からの目があるので、面白いよりも先にすごいなあが出てきたりします。両方の目が交代交代に出てくるので、何度見ても結構飽きないんですよね。ラーメンズのネタも(話がそれてきたけどそのまま行きます)発声の仕方とか、言い回しとか、演技の仕方とか、マイムとか、そういうのに目が行って、もう何回見ても面白いんです。
何回も何回も視点を入れ替えて見て、やっとコントのつながりに気づいたりなど…そういう発見もあるので、何度見ても飽きないんです。
賢太郎さんのマイムがまあ細かい!細かい以外の言葉がない!小賢しい!
煙草を吸う一連のマイムでも、煙草を胸ポケットから出して、ふたを開けて、煙草を振って一本取り出して、煙草のふたを閉めて胸ポケットにしまって、他のポケットからマッチ(?)を取り出して、ふたを開けて一本取って持ち直してこすって、火が付いたら煙草に引火して、マッチを振って火を消す。これを省略することもなく演じ切るのでま~~~~~本当に細かい。細かすぎて笑ってしまいますね。
きっと物凄い量の練習をしたんだろうなぁとしみじみ思います。私も頑張らないと。
小林賢太郎の演劇を観てて思うのが、原点は確かにラーメンズのネタなんだろうなぁということ。ラーメンズのネタの中にあるちょっとした小ネタが、沢山散りばめられてるような感じ。というか小林賢太郎らしさですかね。らしさがいっぱい詰まってた。
まあまあまあ美術も綺麗で、セットも綺麗。何より絵が上手。ペンで描いてるんだよな…凄いよなぁ…………ととても思います。
秘密の畑の場面はもう、綺麗としか言いようがない。2人で長い野菜を食べて、笑い転げて、頭を撫でる………………もうここらへんから涙が出てきました。
小林賢太郎のちょっとグダついた演技が好きです。素だとしても好き。
「じゃないすか、あの………」と間があったり、「私が欲しいのは、うさぎのその………………捕まえ方の手引きだ」などの絶妙な間と動き。焼き鳥の食べ方と寿司の食べ方の集計結果の下りがとても好きです。素が混ざってるような感じで…
マジル君を追い払った後に、小さい子供ならではに何回も何回も、ヨイチに近づいてくるときのヨイチの顔が本当に悲しくて、泣きそうになるのをこらえながらも笑って明るく追い払ってたのが、多分、ダメになって、一回後ろを向いて、一息ついてから、うるうとして追い払う場面はとても泣きました。マジル君が森から出てったのを、ヨイチはどう見ていたんだろうか。これでよかったんだよ、とうるうの被り物に訊ねてみても、うるうはそっぽを向いたのが、じんと胸に来ました。うるうの意思で動いたのか、それともヨイチの潜在意識のようなものか。待ちぼうけを歌い始めて、段々泣きそうな顔になって、悲しさを隠すかのようにうるうを被って叫んだ場面はもうほぼ涙で見えませんでした。しっかり見ようと何回かトライしていますが、やっぱり視界が歪んじゃう。綺麗な視界で一生見れないかもしれない…
そこから、40年たって、ヨイチがまた、楽しそうに新しい自分の父親と話してる場面になって、さっきまで泣いてたのに笑わされました。小林賢太郎の作るお話の涙と笑いの塩梅が本当に好きです。ずっと食べてたいって思う。塩と梅だけに。なんつて、ズコッ。
「前の大会はどんな記録だったかなあ」と過去の日記を開いた時ぐらいからまた涙が登場してきました。楽譜が落ちた瞬間、涙連続登場。ランクインです。ヨイチの思い出して、寂しそうな顔。気を取り直すために、新しい父にトマトとバジルの話をした時、また涙が登場。2週連続ランクインですよ。
その後に、罠に引っかかった生物に「ま、ま…!」とびっくりしてるヨイチ。一瞬マジルか!?と思っちゃいましたが、マカという。知ってたよ、わかってたけど、わかってたけどさ…そういうところ好きだよ小林賢太郎。ちょっと期待させよって。
でも、カノンが流れてきたときにはまた涙が登場してきました。
そこら辺から、これはどう終わるんだ、会えるのか、また会えるのか…!?とドキドキして、スクリーンにヨイチとマジルの年齢が映し出されて、ヨイチがゆっくり年を重ねる分、早く年を重ねて、マジルとヨイチが同い年になったという描写で涙腺がぶわっと切れました。何回も切れました。
そして、森の中を走って、走って、たどり着いた先で、演奏者と目が合う。そして緞帳が降りる。めっちゃ感動しました(2回目)
深く語らない終わり方だからこそ、とても綺麗に終わって、素敵でした。
マジルの会釈にも、ヨイチのあの表情も、観た人によっていろんな捉え方ができますね。
「友達は大体同い年ぐらいの人同士がなるものだろ?」という台詞の、とんでもない伏線回収。結局、友達にはなれたのかな。同い年になって。
全体的に言葉遊びが多くて聴覚的にも楽しい作品でした。ラップ調部分がとても好きです。歌えちゃう。足りない、どうして足りないのか、わからない、と「ai」で韻を踏んでるのが心地よかったですね
胃ももたれない、だって食べてない、の手の動き、よく小林賢太郎がやる動きで好きです。
ドクダミを過信しすぎてるクレソン先生の場面も大好きです。
「そーしーてーーー!」からの、とんでもないどや顔。小林賢太郎のどや顔。「ドクダミだあ!!!!」が好きです。好きがいっぱいなんだよ…
抱きしめられるシーン、あれ凄いですよね(いきなり話が変わる)マジル君、いないのに、いるんですよ、しっかり抱きしめてるんですよ。ヨイチのきょとんとした顔からの、抱きしめ返そうとして、やっぱりやめる、あの場面は切なかったです…。
ひとりになりたがるくせに、寂しがるんだね
とっても、胸に刺さる言葉ですね。誰でもこんな時はあるんじゃないでしょうか。ひとりになりたいけど、いざひとりになると寂しくて、そんなときに誰かが来てくれても、追い返したくなってしまう。そんなジレンマ。
幸せになってほしいなあと思います。同い年になった2人はやっと友達になったと、私は勝手に想像しときます。
次のうるう年には、小林賢太郎はどんなことをやってくれるか楽しみですね。たぶんきっと、やってくれるでしょう。何かを。
うるう年に限らず、小林賢太郎の作品をまた見れる時が来るのを待ち続けます。待ちぼうけを歌いながら。