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【片付け編】小学生の子供が片付けできないのは性格か発達障害か

なす好きの母が、明太子好きの娘のことを綴った記録。
今日もご覧いただきありがとうございます。

うちの娘メンタイ子、12歳。
ここだけの話、片付けが大の苦手。

片付けが苦手というかズボラ?面倒くさがり?
3歳の頃からその片鱗は伺わせていたようで、
大ざっぱ代表・夫の嗅覚が何かを悟り、

「将来干物女子になりそう(笑)」

と言っていたのはよく覚えている。

かくいう夫は、仕事や趣味ではだれよりも几帳面で神経質。
仕事柄1mm単位でズレが生じようものなら、何度も修正を重ねる粘り強さと根性を持っている。

だけどプライベートとなると、出したものは片付けない。
飲んだペットボトルは何度言ってもそのまま。(最近やっとすぐに片付けられる時も出てきた!パチパチ)

独身で一人暮らしをしていた頃、台所に洗い物を溜めすぎて大惨事を起こしたことと、(彼の名誉にかけて詳細は伏せておく)
溜まった洗濯物をカゴいっぱい実家帰省時に持ち帰り、母親にこっぴどく怒られていたことは忘れもしない。

当時は”彼女の私が付いていながら、何もしてあげない彼女と思われているんだろうなぁ”と自分を責めたものだ。(できる時は十分していたけど)

おっと、娘の話が夫にスライド(笑)
いや、どっちの話をしているかわからないほど、二人はよく似ている。

だから夫も自分の二の前になることを恐れ、私にはまだわからなかった3歳の娘に危機感を持っていたのかもしれない。



片付けられない娘と自立を促す母


それから時は過ぎ、小学生になった娘。
学校から帰って床に放置されたランドセルは金曜日、土曜日、放っておくと日曜日もそのままの形状で物寂しそうに放置されそうな日もある。

思い立って宿題を出そうものなら、教科書、ノート、プリント・・・
バーゲンセールを始めたお店くらいごった返すことも多々。

だけどこのくらい、どこの家庭でもよく起こることですよね!?
小学生だもん!夫の子だもん!
これは性格、問題なんてナッシング!


当時の私はそう思っていました。

そんな娘が小学5年生になった頃。
身の回りのことは自分でできるようにシフトしていこうと考えていた私。

その思惑とは裏腹に、お菓子の袋、使ったティッシュ、娘が過ごすテリトリーにはゴミが蓄積されていく。
大袈裟でもなく、部屋のゴミを見ると、娘の通ったルートがわかるほど・・・(笑)

もともと部屋が汚れることに巨大なストレスを感じる私は、

「どうして片付けできないの??ゴミはゴミ箱!」

と口酸っぱく、おそらく1億万回言ってきた。
(夫と合わせると2億万回(笑))

だけど直る気配は毛頭ない。
(夫はもう諦めている)

夫なら娘の気持ちが理解できると思い、話し合ってもらう。
”ゴミ箱まで行くことが面倒”という娘の心理がわかったことで、夫がテーブルの上に小さなゴミ箱を設置した。
それがフィットしたのか、最初だからおもしろさ半分なのか、幾分かはマシになったけど、娘の拠点がソファに変わると、そこにはまた・・・

ADHD注意欠如の特徴「片付けができない」


そんな日々を過ごしながらも、ここから発達障害に繋がるとは夢にも思っていませんでした。
児童精神科での最初の診察時、「そういえば物が片付けられません」と何気なく言った私の言葉が、まさか先生の確信に変わるなんて・・・

確かに息子は小さいときから、同じ行動はとりません。
ですが、”息子は私の性格が似たのかな、姉弟でも性格は違うしな”
そのくらいに考えていたんです。

娘の場合、年齢とともに他にも気になることがいくつかありました。
児童精神科の診察を受けたのも、他の症状です。

ここで私が言いたいのは、片付けができない=ADHDということではありません。他の特性や症状についても十分精査したうえで、片付けができないことも一つの要素になりうるということです。

のちのち受けることとなるWISC-IV検査(知能検査)でも、娘は知覚推理の得点が低かったため、空間認知など目で見て状況を理解することが苦手な性質であることがわかりました。

”片付けができない”のもその子の特性


発達障害は病気ではありません。
どのようにその特性と付き合っていくかを考えることが大切です。

児童精神科の先生はおっしゃっていました。

人には得意なこともあれば、苦手なこともあって当然。
先生がおっしゃられた通り、「苦手な分野をどのように克服するか考えて対処すること」が重要だと思います。
(小さいゴミ箱を設置することは、娘には有効でした!)

私は娘がADHD注意欠如だということがわかったことで、自分の価値観を押し付けたり、年齢を基準に自立を促したりすることはやめました。
今の娘の姿を受け入れ、娘のペースで、娘に合った方法を探していきます。

意識なく人を傷つけていた私の残酷さ


あと一つ、診断を受けたことで、私はむやみにイライラすることが少なくなりました。
娘はわざと片付けないんじゃなくて、そういう性質なんだと思うと、散らかったティッシュに埋もれている姿が微笑ましく感じられたり、、(笑)

そして、私はむやみに怒り続けたことで、自分の気づかぬ間に娘の心を傷つけていたという重大な罪にも気が付きました。

親が子を思うよりも子は親を思っている

という言葉を聞いたことがありますが、私は母親という権力を振りかざし、娘の愛に慢心していたと思います。

母だから、何を言っても大丈夫・・・
怒られても、それをなかったかのように寄って来てくれる娘の優しさに、私は甘えていた、、、

ADHDの診断は、そんな自分の未熟さと娘の愛をも気づかせてくれました。


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なすメンタ
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