藤子不二雄Ⓐと藤子・F・不二雄
「2人で1人」だから藤子「不二雄」だった コンビ解散後も互いに手放さなかったペンネーム:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
藤子不二雄A(メガネの人ー笑う「セえルスマン」「忍者ハットリ君」が有名)が書いた『まんが道』が大好きである。もう一人の、背の高い藤子・F・不二雄は「ドラえもん」や「SF(少し不思議の意味)短編集」で有名で、筆者の知る限り、藤子・F・不二雄の作品以上に想像力を駆使した漫画はないと思う。石ノ森章太郎がタイをはる感じ。画力では、鳥山あきら(スピーディーさ)や荒木飛呂彦(きめ細かさ・表現力)、井上雄彦が断トツであると思う。
『まんが道』の中で2人のコンビが徹夜をしながら作品を無我夢中に書くシーンがあって、合間に牛乳とパンを食べるシーンがある。
正確な記述を覚えていないが、「この瞬間だけが唯一の息抜きの時間だった」と2人が笑顔で食べているシーンがほっこりする。おいしいものを食べたときに「ンマーイ!」という表現は大したものだ。
たまたま、今日の朝にカレーパンとあっためた牛乳を飲んだら、このシーンがよみがえってにこにこしてしまった。食事以外は著作、というのは驚くべきことだ。
『まんが道』は人間の喜怒哀楽がきちんと描かれていて名作だと思う。影とされるAの方も、明の人間描写をしていたのである。なお、明とされるFの方も、短編集で「影」の部分を書いていて、これが「ドラえもんと同じ作者であろうか」と驚いたことがある。
冒頭の引用記事では、Fがコンビの解散をAに伝えたとき、すでにFは大病を患っていたということである。これは筆者は知らなかった。
Fが定刻どおりに事務所に出退勤をしてスケジュールどおりに仕事をするのに対して、Aはゴルフとかをして事務所をたびたび抜け出したあと、ぎりぎりでドサッと完璧な原稿を出す(おそらくどこかで一気に書くのであろうー事務所ではなくて自宅に持ち帰るなどして)。規則正しい著作スケジュールをこなせる人は凄いと思う。
Fが亡くなった時に、歳が同じくらいの何人かのマンガ家が新聞に寄稿した文章を読んだことがあるが、「とんでもない天才2人が現れた!」とみんなは当時思ったらしい。逆に『まんが道』でAは、その人たちの才能を余すところなく賛美している。
また、彼らは手塚治虫を「神様」だと思っていたが、2人が手塚治虫に原稿を初見の時に渡した際「とんでもない新人が出てきた」と手塚は内心驚嘆したという(その場では「なかなかいいね」と軽いコメントをしたらしい)。2人が『まんが道』で手塚治虫とパンを食べるシーンが好きである。ぱくぱくパンを食べる手塚を2人はしばらく呆然と眺めていたが、手塚が「どうしたの?」と聞いたら、「いいえ」と答えたが・・・「神様が自分たちと同じようにパンを食べるのは不思議だった」(これも記述が正確ではないかもしれません)。
Aが亡くなった時に、Aのファンが何人かインタビューに答えていた。いかにもユニークな(怪しそうなと言ったら失礼かな・一癖も二癖もありそうな)、Aに似たようなオーラの人たちだった。Aがなくなったのを惜しむというよりは、AとAの作品観を独特に語るような、哲学的な印象を受けたものである。
彼らがマンガ少年・少女たちに与えた影響は測り知れない。少年・少女たちが大人になっても、彼らの作品に触れると「こども」に戻るのだと思う。
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