父と娘のIQとギフテッド、そしてMENSAへの道 その4 私の家庭環境等の考察

高IQ の私がフルスペックの能力を開放しフルブース状態で動けばライトウエイトスポーツ車の様に軽快な動きは出来ますが……。
ある時期を境にしてエンジンを回しすぎた事により体を壊し続けては回復をしてと言うのを50代になってからも続いております。
こんな成長をしてきた私の家庭環境についてのお話になります。

① 私の家庭環境はどうだったの?

IQも高い事からもこれを読んでいる皆様は家庭環境も物凄く良かったのでしょ?と思っているのは私だけでしょうか……。

・ 父と母の違いについて

母は会社経営と同じような思考で常に物事を合理的に考え0から1を生み出し新しい考えや物を作り出すことが出来る親でIQは私の考えによる推定のスコアは130前後はあると思わる。
何故そう思うのか?このNOTEの記事を読んで頂ければ私の考察の一部が少し書かれています。

また、母が30代の頃にはデザイン系の貴金属のデザインから服飾系のデザインまでの仕事をフリーで行っており、月の収入は100万前後の売り上げがあった時期もありました。
ですが……。バカ親父自身の月収の倍に近い収入差です。

彼のプライドはこれが気に食わなかったのでしょう。
家庭内の事も最低限は行い母は仕事を継続していますが、母の仕事場である部屋が片付けられていない等で散々文句を言い始めると言ういつもの展開です。

そして…この収入があったから生活できていたと言う事実でもありました。
この時期の前後の父は生活費を殆ど入れてくれない時期に被っている時期だと思われます。

父は地方の農業的な傾向が強く、どうしても論理的な考えが全くできません。
父は経済学部を卒業していますが損得勘定の計算・投資等が全く出来ない人。
自分自身が動かなければならない事はすべて後回しにしてギリギリに行動をし、不動産等の資産はあったものの1000万で売れる時期を逃して半値以下で売ると言う醜態まで晒してくれます。

それでいて・・・ギャンブル狂でもあり、家庭内の生活費等もまともに渡さないと言う事は下記に書いたとおりになります。

・父の年収は良い方だとは思うけど……。


また、父の年収で考えれば会社員にしてはバブル期には1000万前後の年収はあったのは事実でありますが……。

その年収があっても、生活費は入れないで全て自分の私利私欲にだけ使っていたと考えて頂けたら皆さんはどう思います?

現に1970年代の1976年頃の年収の平均を調べてみると当時220万くらいだったようです。

当時から父は競馬、競艇、パチンコ、麻雀とギャンブル狂でありました。
福岡だか地方の競艇場まで行って1週間で70万を溶かしかけて最終レースで何とか的中させて100万くらいにはなったと言う事もあった様です。

実に年収の1/3をギャンブルに使っている人でした。
頭おかしいとしか言いようがありません!

当然の如く、以降ギャンブルの熱は収まる事もなくさらに過激になっていき最終的には総計で1億以上は溶かしていたのではないかと私は予想しています。

バブル期には年収で1000万近くはあったと思われる父ですが
「競馬をやりたいなら予想する会社を立ち上げ、その収益で自分の馬券を買え」と私が父に言った事があります。

「そんな事するより、自分で予想して馬券買った方が儲かる」と父は回答しており話し合いにすらなりません。
リスクを考えると言う事が欠落していると共に自分が稼いだ金だから、どう使おうが勝手だろ?と言う考えなのでしょう。

ギャンブルやるなら同元に近い事をしろよ……。と私は思うんですけどね。

また、私の幼少期におけるお小遣い等は貰ったことはなく、誕生日、クリスマスのプレゼント等も毎年買ってもらっていた事も少なかったと思います。

機嫌が良く、ギャンブル等でたまたま勝った時、限定で上記が重なればプレゼントされたと思っていただければ解りやすいでしょう。
当然、生活費は月で10万くらいを母は渡されるぐらいで、それが無い時もあった月もあったそうです。

それでも私に掛かる最低限の授業料だけは払ってくれてたようでした。
そんな父であった事からも、私は父として人間として認めておりません。

また愚弟はと言うと、父に取り入って何かとお金を引き出しており、それは成人になってからも続いておりました。
その挙句、暴言・暴力もあり、愚弟が成人してからの事ですが、弟の面倒を見ていないからと言う事で私は父と喧嘩になり、左手小指・薬指の関節を折られた事もあります。

大きな暴君の父と小さな暴君に成人してから成長を遂げる事になる愚弟……。
成人した以降はだんだんと愚弟とも仲が悪くなり始めておりました。

当時、私は上場企業に勤め年末商戦の時期だった事もあり、仕事を休めず指の骨が折れているのが判明したのは2日後に医者へ行き判明します。

当時のクリスマス包装が骨折により、やり難かった事と1日放置してしまった事により、小指の関節は今でも真っすぐにはなりません。

この件に関しても父からは謝罪等もなく今に至ります。

・DVは私にだけでなく

暴言・暴力は父親の気分次第で酷い時は何日も続くと言う事が多く、私の母も蹴られたり、叩かれていた事はしょっちゅうでした。

威圧する事も多く、気に入らない事があれば警察にでも食って掛かる人であり買い物をして納得した上で購入しているのに説明がなかった等でクレームを入れるなんて事も良くありました

この威圧により、母と私は委縮してしまう事が多く
こういう部分からも、私は親父の様にならないと心に決めておりました。

② このような環境でも良かった思える事


こんな環境下だったら、普通の人は気分を落ち込んで精神がおかしくなると思います。

でも、私はそうなる事はありませんでした。
小学校、中学校、社会人になってからも虐めを受ける事が多かったのですが……。

それにすら屈することなく、今に至ります。

なぜだろう?と思う事はありますが、IQが高かった事によって大抵の事は考えられ
ある程度の答えが出せていたと言うのはあると思います。


・ 中には答えが見つからない問題も当然出ては来るのですが……。


これに関しても、ここまで考えても答えが出ないなら・・・
「これ以上を考えるのは無駄」と言う悟りに近い境地に私は達してしまうのです。

ですが、この様に答えの出ない問題すら頭の中の片隅にストックされ続けある一定間隔でこの時の事を思い出し長考する事は今でも続け、最近でも50年近く考え続けて言語化が出来たと言う事までありました。
興味のある方は、古い記事を読んでみてください。

私自身が気が滅入ったり落ち込んだりする事も精神疾患になる事もなく今に至っています。

それに・・・ね。
同年代の人に虐められようが、親父の狂気と比較しても取るに足らないと思ってしまうのですよ……。

ある意味違う方向の思考で私はぶっ飛んでいるとも言えると思います。
考えても無駄な事は、バカになって極力排除して生活を継続してました。

まぁ、その辺のイジメの話は色々と小学校~中学校辺りでお話ししますので……。それまで待っていてください。

・ 次回予告

幼稚園に通園しながら小学校のお受験へと向かいます。
つい最近になって私も初めて聞かされた話がここでも一つあったようです。
聞かされてマジで?そんなのあったの??と思うと共に時代背景もあるのだろうか……。
今も昔も……。と思うような出来事ではあったと思います。
さて、何があったのかはまた次回に




 


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