後遺症が残った過失10の交通事故に遭った話⑫ 訴訟の終わり
こんばんは。
有言実行してしまい、前回からすっかり日があいてしまいました。
見て下さった方、ありがとうございます。
休み中に、近くに出来た読書喫茶なるものに一人で行ってみたのですが、
図書館よりは個人のスペースがあり音楽の流れる空間と黄色い照明にほどよく落ち着き、なかなか快適でよかったです。
しかし!そこで奇怪な事案が(また)発生しました。
なんと、読もうと手に取った店の本を席に持ち込み開くと、くったくたにつぶれてぺしゃんこになった「うまい棒」の袋が挟まっているではありませんか!
いまだかつてここまでぺったんこになったうまい棒の袋を見たことはありませんでした。挟まってる案件は何度も経験しましたが、こいつは人生初の事案です。
私はしばらくそのうまい棒(袋)を眺めながら悩みました。
『これは、しおり替わりなのだろうか。
好きな人から「やるよっ★」ともらって大切にしおりにした、誰かの思い出のうまい棒袋しおりだろうか。果たして除けて捨ててもいいのだろうか?』
妄想が羽ばたくタイプの私は、恋愛ネタから羽ばたいた挙句に「いもけんぴ髪に付いてたよ」のマンガを思い出しながら結構まじめに悩みました。
最終的には思考停止し、店員さんへ本ごと持って行って対応をおまかせしました。
店員さんはうまい棒しおりを何のためらいもなくぺペっとゴミ箱にポイしていました。潔い方です。
私は今更『あのうまい棒、何味だったんだろ。写真撮っておけばよかったなぁ』と後悔しています。パッケージが紫だったので「めんたい味」ですかね。ちなみに私は「コーンポタージュ味」が好きです。
また出だしにどうでもいい話で長く使ってしまいました。
そんなことより言わなくてはいけないことがあるのです。
このシリーズの題名について、訴訟結果の最終メールを先日ようやく発見し、勘違いに気付きました。
気付くのが遅くて大変申し訳ないのですが、私の過失割合は10でした!大変失礼しました。(過失割合5:95のつもりが10:90でした)
今日をもってすべての記事の題名の「5」を「10」に変更いたします。
それでは、訴訟の終わりについて、このシリーズ最後の話になります。
訴訟が始まり、毎月1回程度は民事の法廷での裁判がありました。
その準備や報告のため、私も月1回くらい弁護士さんとメールや電話、郵便でやりとりをしていました。
始めの半年は弁護士さんから月1で届く裁判の経過と相手の主張の書類も読み込み、相手の言い分に悶々としつつ過ごしていましたが、
そのうち新入社員のはずの私の仕事がとんでもなく忙しくなり、とてもそこに気分を割いていられなくなりました。
弁護士さんからの電話やメールには早めに対応していましたが、郵送の書類は裁判の経過報告だけなら見なくなりました。
相手が私をあしざまに言うのにハートブレイクするので見たくないという気持ちもありつつ、
弁護士さんが私のために親身になって、きっちりしっかりやってくださっているとお任せできていたのもあります。
そして、田舎を遠く離れ関東に就職して慣れない土地で疲弊していたうえに、私の残業時間が月100時間を超えていたのもあります。
睡眠不足で肉体的に死にかけていたので、悶々とする書類を読み精神的にも死にたくありませんでした。
そんな折、弁護士さんからは「訴訟が長引きそうです。1年程度のつもりでしたが、もっとかかりそうです」との話がありました。
保険会社がよっぽど渋ってるんだなぁと思ってちょっと落ち込んでいたその忙しい頃、
同じアパートに住んでいてかなり仲が良かった同期が自死しました。
そのすぐ後、田舎の父方の祖母が亡くなったという報を受け、その日の午前1時まで働いて朝7時発の飛行機に乗り、12時の葬式に出て17時発の飛行機で戻る、そして翌日は仕事、というとんぼ返り事案がありました。
そして、2か月後、田舎の母方の祖父が亡くなりました。祖母の時と同じくこれもとんぼ返りでした。
私の怒涛の半年でした。新入社員バッジが外れる頃、葬式に3度も出ることとなった長い繁忙期も終わりました。
私は疲れ果てました。
永遠に終わりそうにないように見える訴訟、本当は看取りたかった祖父母、ゆっくりと話を聞いてもっと親身に寄り添いたかった同期の友達。
このころは、
ライブに出かける先輩の代わりに休日出勤した時や、同期が亡くなった直後に隣で「生命保険って自分が死んだときどんな感じで出るんでしょう?」とか笑っている先輩社員に対して、
ほとんど八つ当たり気味にイライラしました。心の中で。
当たり前ながら彼らは私の事情に寄り添う必要がないのはわかっているのに、
余裕がない時ってのはどうしようもないものです。
そして、一人電車を待っているホームで何度も飛び込む妄想をしました。
とはいえ関東は毎日人身事故による遅延があり、
それで何度か客先に遅刻しそうになって猛ダッシュした経験がどうにか私をホームに引き留めました。
『私が飛び込むと誰かに大迷惑をかけるぞー』と言うのが私の毎日のホームでの脳内の合言葉でした。
結局のところ、そんな私をどうにかつないでいたのは、
月1の弁護士事務所のみなさんとのやりとりでした。
仕事の域を超えて頑張ってくれていたこの弁護士事務所のみなさんを悲しませないためにも、
『とにかくこの訴訟が終わるまでは頑張ろう』
と思えました。
この交通事故は私をどん底気分まで落としましたが、でもその長々と続いた訴訟の日々が私を生かしたのかもしれません。
何が良くて何が悪いのかというのは決めきれないものだなと心底思います。
しんみりしてしまいましたが、
この多忙な合間も、
あまりに私が忙しそう過ぎて哀れに思ったお客さんに
「これ、さっき子供にって買ったんだけど、あげるよ。甘いもの食べるとちょっと幸せになるでしょ。」
とユニコーン柄の超ピンクな可愛らしいチョコレートをもらい、会社に帰って食べようとしていたら、上司に話しかけられ、
「え、かわいい系キャラが好きなタイプ?」
「いえ、もらいものです。」
「いやいや、恥ずかしがらなくてもいいのに~!」
と面倒な勘違いをされたり、
2か月の出張(ホテル泊)があったので夜の暇つぶしにPS3を持ち込もうとして、空港で
「スーツケース内に怪しい影が見受けられたので開けてください。」
「ただのゲーム機です。」
「家庭用ゲーム機は一応手荷物検査に通す前に教えておいてください。それはともかく確認するので開けてください!」
と怒られたりもしていました。
ちなみに、預入手荷物もないスーツの女の機内持ち込みスーツケースの片側全部がクッション材に覆われたPS3に占められているのを見て、係員は若干ひいていました。
そして、訴訟が始まり、かつ私が働き始めて3年目、
とうとう裁判所から「そろそろこれで和解したら?」というテイのお達しと、和解案が提示されました。
細かな内容としては、
前回で争点として提示した1~3について裁判官は、
1.被害者は歩行者扱いか、自転車扱いか
→ 歩行者扱いとみなす。ただし、自転車を利用していたことも考慮し、また交差点の見通しが良くなるまで待つなどすれば事故に遭わずに済んだ可能性もあるため、過失は被害者10、加害者90とする。
2.複視は治っていないのか、痛みは残存しているのか
→ 複視はあり、仕事への影響もある。
3.顔面の醜状は本当に客観的に目につくのか
→ 顔面の醜状はある、特別にひどいというほどではない。
という結論でした。
どれも保険会社(加害者)が主張した内容より大幅に私(被害者)側に寄ってくれているのですが、
弁護士さんの意見によれば、
「1について歩行者扱いなら過失0が正当であるのにあえて過失を10もつけたということは、
「歩行者である」と私(被害者)側に妥協する代わりに、「自転車相当としての過失10は被害者に負わせる」ことで保険会社(加害者)側に妥協する、
という見かけ的に双方へ妥協した形をとったからそろそろ和解してね、な和解案なのでは」
とのことでした。
…なんとも人間味のある曖昧で複雑な話です。
とにかくこの和解案の弁護士さんからの説明書きを見て、
『なんと丁寧でわかりやすい説明なんだ!』
と思うとともに、
『裁判官も弁護士さんも、文字の向こうの意図を類推する必要があるなんて相当な理解力や共感力がないとやっていけなさそう』
としみじみしました。
さすが、私が「携帯を不携帯で、電話に出られずすみません」とメールしたら、「ユーモアのある返信で笑みがこぼれました」と返してくれるだけあります。
そう、華麗にスルーしてくれてもいいはずなのに、いつも弁護士事務所のみなさまは私の所々ふざけたメールにも真摯に優しく対応してくれました。
さらに、弁護士さん曰く、
「和解せずに地裁で判決まで粘ればもう少しの増額が想定されるけれど、相手が高裁に控訴する可能性が(それなりに)ある。
高裁では地裁の判決を覆して「自転車扱い」になることも考えられるので、訴訟を続けるかは非常に悩ましいところ。」
とのことでした。
まぁ、元々相手は私の過失を35と言ってきていたので、過失10という結果は相手にしてみれば相当な負けのはずです。しかも当初に相手が言ってきていた和解金から2倍以上に増えたので、その点でも相手はかなりの負けのはずです。
私が訴訟に走ったきっかけはとにかく相手の保険会社の対応がひどく、
何かにつけ私を悪しざまに言うし、お金はとにかくケチろうとするし、
『そもそも横断歩道を渡る人を車ではねた方が絶対に悪いのに、何で被害者の私が悪者扱いされるわけ?!』
という腹立たしさから来ていたので、
裁判所から正式に「加害者の保険会社がこんなに対応が悪いと被害者が可哀そうだわー、どっちかというと被害者に肩入れしちゃうぞ!」なスタンスのお達し(個人的にそう思っただけです)があったのでもう満足です。
そもそも1年の予定が3年も訴訟してしまい、
保険会社の当初の言い値から増額した分の何割か(増額の金額によって報酬の割合が変わる)を弁護士さんへお渡しする契約だったため、
なにせ訴訟が終わって保険金が確定するまでは弁護士報酬も支払えません。
弁護士事務所の方に何も支払っていないこの3年間は申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
それもあってこれで和解すると決めました。
そして、
こちらと同様に保険会社(加害者)も和解に承諾して決着し、
存外あっさりと訴訟は幕を閉じました。
相手の保険会社から支払われたうちから弁護士さんへの報酬を渡した残りが私の手元に振り込まれました。
その中から、社会福祉協議会から借りて専門学校の学費に当ててもらった額分にちょっとおまけした金額を親へ支払いました。
すべきことをやりつくし気分がすっからかんになった私は、とりあえず自分を甘やかそうと思いました。
日々午前様になっていたからか何度か突然のアナフィラキシーで病院に飛び込んでいたので、体をいたわるために仕事をやめました。
人生で初めてハローワークで失業保険を貰う手続きをし、失業保険の金額すべてをかっさらう国民健康保険と年金と市民税に驚愕しました。
社会保障費が失業者の生存を脅かすという日本の恐ろしい現実から逃れるため…ではないですが、
喜望峰を見にアフリカに行ったり、チベット人自治区に青いケシを見に行ったり、アララト山とロンギヌスの槍を見にアルメニアに行ったりしました。
…すっごい額使ってそうですが、当時は円高だったし燃油代も安かったので今の3分の1程度で行けました。つまり、現在のアフリカ旅行1回分でこの3つ分行けました。
そして、すっかり満足しました。
すっかり満足したあたりで、
旅の間に指が腫れ続けので病院に行ってみたら「関節リウマチ」と診断されたり、
以前書きましたが、旅の間にリンゴにやられたりオレンジにやられたりして諸々の食物アレルギーが判明したりしつつ、
いろいろあって今に至ります。
なんというか、
この事故に遭ってから訴訟が終わるまでの5年弱は、本当にとにかく忙しく精神的にも肉体的にも追い詰められていて、
よく乗り切ったなと今でも思います。
その慌ただしく少し狂っていた日常を落ち着けるため、
非日常の全然違う空間でリセットするために、
機械文明から離れた奥地にばかり旅行に出ていたのかもしれないなぁと今は思います。
えぇ、アフリカではワニとかカリッカリに焼かれた虫も食べました。
ロンギヌスの槍は…いや、きっとアルメニアの人は信じているので何も言わない方がいいはずです。日本だとねじれた二又タイプが山口県にもありますよね。
事故に遭ってから今まで、なんだか私はまだ夢の中にいるような気がしています。
まだ現実に戻れていないような変な感じです。
平行世界では事故に遭っていない私が元気にやっていて、私は間違ったルートに乗っかってしまっただけなような、そんなライトノベル的な気分です。
いつかこの気分がなくなる時が来て現実を直視できるのか、
それともずっとこんな気分で生きていくのか、どっちなんでしょうね。
とはいえ、私にはこれからも相変わらず、
「本を開くとぺしゃんこのうまい棒(袋)に出くわすような変な日々」が続いていくのだと思います。
次は何が出てくるのかを楽しみに生きていこうと思っています。
このシリーズは今回で終わりとなります。
読んでくださった方がいる、とわかるのがこんなに嬉しくて励みになることなんだなぁと実感した日々でした。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
それでは、みなさまに素敵で楽しい出来事がたくさん訪れますように!