後遺症が残った過失10の交通事故に遭った話② 入歯洗剤をがぶ飲みした隣人と疲弊しきった医療現場のターン
こんばんは。
見てくださった方、ありがとうございます。
前回でそんなに不運じゃない!普通!と思ったでしょう。安心してください、履いてま、じゃなくて、ここからは不運です。
前回車にはねられ、ほっとしてからのその後の話を書きたいと思います。
まだ②どころじゃなく続きます。
今回は搬送された日にたらいまわされるところとなりまして、大変長いです。
不運なだけの日なので、長いのはなぁと思う方はとばしてください。
それでは、続きから。
大変ありがたい善きサマリア、間違えた、善き男性方のお陰で、
事故から体感でしかないですが20分後くらいに救急車が現場に到着しました。
男性方のお陰ですっかり現場は私の(主に鼻から)垂れ流された血だまりだけを残して綺麗になっていました。
そう、警察は来ませんでした。
救急車が来て担架で載せられる際、男性方にお礼を言って別れました。
救急隊員の方からは、
名前、住所、緊急連絡先、血液型、年齢、性別などを確認され、
財布の免許証も確認されました。
緊急連絡先で親の電話番号を言おうとして覚えていなかったので、携帯の連絡先リストから救急隊員の方が見つけ出してくれました。
そして、
「体の状態を見る必要があるので、下着を切ります。切った下着は袋に入れて返します。」
と言われ、
『きゃっはずかしい!テキトーな下着が隊員様に見られるなんて!そんな、もう返さなくっていいって!』
と乙女心が動揺しました。が、
「わかりました」
と憮然とした取り繕った顔(殴られたみたいにパンパンに腫れあがってるけど)で返事をしました。
頭ははっきりしているので、隊員の会話が丸聞こえです。
「患者は20代女性、単身で車と衝突し、おそらく全身骨折あり、頭にも衝撃ありで鼻から出血、左目は現在腫れており見えていません。意識明瞭で、持病無し、通院なし。受け入れ可能でしょうか?」
無線で病院に連絡しているようです。受け入れ先を探してくれてるんだなーと理解しました。
それから何分経ったでしょう。同じセリフを何度も聞きました。
救急隊員も繰り返し過ぎてちょっと疲弊しています。
『頭を打ってるから受け入れが怖いのかなぁ。』
と漠然と不安になります。これがいわゆる「たらいまわし」か、と。
救急隊員の方も大変ですよ。この間に急変したらどうしよう、と毎回搬送中に緊張しているはずです。
15分以上救急車に乗っていたと思うのですが、
結局、事故現場から5分のところにある病院が引き受けてくれることになりました。
「決まりましたよ、よかったですね」
という隊員のひとことに、
『この方たちは毎回搬送先が決まらなくてどれだけ苦労してるんだろうか』と悲しい気持ちになるとともに、隊員の方、受け入れてくれた病院に対してとても有難い気持ちになりました。
救急車の担架から、ドラマで見るあの4人がかりで敷き布を持ち上げて移動する「せえのっ」で病院の救急救命室用の担架にドシンと乗せ換えられ、
「ちょっと待っててください」
とほの暗いリノリウム(多分)の空間に担架ごとステイされました。
これまでの間、人体の不思議の一つを実感しました。
まったく痛みがありません。
自分から鼻血が出ていることは服が血まみれなことでようやく気付きました。
これは昔の狩猟民だった時代から、いやむしろ生物全般に備え付けられた、すみかから離れたところで大けがをしても安全地帯まで逃げられるように痛みを封印する特殊機構が働いているんだろうなぁ、
と思いを馳せ(ることで暇をつぶし)ながらステイしていました。
物思いに耽っていると急に隣が騒がしくなってきました。
看護師さんが
「ちょっと待っていてください!容体が悪い方から優先的に見ていますので。ちょっと待っていてください!」
と強めに誰かを諭しています。
そして担架に乗った、見た目元気そうなおばあちゃんが隣のカーテンの向こうにやってきました。
「母は朝、間違えて入歯用の洗剤が入ったコップの液体を全部飲みほしたんです!危険ですよ!危ない液体なんでしょ?!早くみてください。母が!母は!」
と60代くらいの女性が看護師さんへ訴えています。
ここは救急口直結の救急救命室なので、おそらく救急搬送されたんでしょう。
この人はおばあちゃんを病院に急いで連れていくために救急車を呼んだんですね。
それ以上に気になりました。一口目に変な味しなかったのかな?と。飲み干したって言うくらいだからがぶ飲みですよ。途中で気付きそうなものだが・・・。
とにかく、折角救急搬送してもらったのに診察の順番が遅いので怒っているようです。
その叫び怒る女性を後目に、こっそりと奥の方から、
とんでもなく疲弊した眼と風体をした女性医師がやってきました。
この時点で8時くらい。当直だったんでしょう。もうちょっとで当直明けなはずです。
女性医師の指示でCTとMRIを撮り、
「顔面が、おそらく上顎と下顎、鼻も折れてそうですし、眼の骨は細かくて見えにくいから何ともなんですが、状況的にあやしいですね。肩と足は確実に折れてますね。手首は微妙だなぁ、打撲痕がすごいので強打してはいますよね。
うーん。うちに眼科がないので、絶対眼は専門医に見てもらった方がいい。眼科のある病院に二次搬送しましょう。」
と、くたびれた風体と徹夜明けのきつそうな眼からは想像できなかったくらい優しい声色と穏やかではっきりした口調で、私の二次搬送が決まりました。
適当なことも言わず、分からない点もはっきり言う。いい先生です。「眼がなぁ」を連呼していましたから、相当気になったんでしょう。
患者を気にしてくれて、ありがたいことです。
そして、私は医療用タクシーで次の病院へ移送されました。
道中、同行してくれた看護師の方がおすすめの海外旅行先を教えてくれました。
中国は四川省の九塞溝でした。
「本当にいいところだったから、元気になったら行ってほしいなぁ。」
と私はほがらかに新しい病院へ送り出されました。
先ほどは天皇家ゆかりのありがたい病院でしたが、次に搬送された病院は市民のための総合病院でした。
ここも救急受付でステイでしたが、ヤバいってもんじゃなかった。
私は後々何度も、眼はもうどうせ治ってないんだから、
あの時あの疲れた女医さんに「ここにいさせてください」と言っとけばよかったなぁと思い出します。
まず、恰幅のよい声の大きな看護師が、私を見て言いました。
「まぁ!若いのに大げさに痛いとか言ったんでしょう。担架でくるなんて!服も綺麗じゃないの。わがままだわ。」
『いや、服は救急車で脱がされて、さっきの病院で体を拭いてもらってから服は新しいのを着せてもらったんだよ。色々折れてるよ。痛いとかここまで一言も言ってないんですけど。』
と思いましたが、このタイプは思い込んだら一直線な気配がします。もう、何も言わないことにしました。
そしたら同調して、もう一人の細い看護師も
「本当よねぇ!若いのに。あれでしょ?車ではねられたから、保険出るかもだしねぇ。大げさにしてるのよ。」
とか言っています。
私はこの空間に疲れました。さっきの事故で死んどけばよかった、と正直この時思いました。
そこから、共謀した2人に無理やり車いすに移動させられます。
さすがに足も折れていて、変な高揚感も看護師2人のお陰で失せたことで、担架から床に降りるときすっごく痛みを感じました。
「うっ」
と痛みから一言口から出ただけ。それで、また追撃されました。
「まぁ!痛がって。若いのになさけない。打撲くらいで!」
『いや、折れてるから・・・。前の病院で女医さんが書いてくれたカルテ読んでないな。』
そして無理やり乗せられた車いす。肩が折れてるから自力でこげもしないし、まだこの嫌味な空間にステイです。
そして救世主がやってきました。
警察です。
「あの、こちらに〇〇病院から搬送されてきた〇〇さんいらっしゃるって聞いたんですけど」
と、中肉中背のおじさんと連れのお兄ちゃんがやってきました。
そこから彼のマシンガントークが始まります。
「いやぁ、びっくりしましたよ。
うちらこの方の事故現場の近くの交差点で死亡事故が同時期にあったのでそちらを整理していまして、
ちょっと現場に行くのがおくれちゃったなーと思ったらこの方がもう救急搬送されてたのでその病院に行ったら、「こっちに移動した」って言うじゃないですか。
いやぁ、現場みたらですね、車にぶつかった地点から15mくらいとばされてる感じで、血だまりもあって乗ってた自転車も変形してるし、加害者の車もぼっこぼこでしょ。で、さっき行ってきた病院では、色々骨が折れてるってことでしたし。さっきの死亡事故から連続でヤバそうだなぁと思ってこっちに来てみたら。
生きてて、結構元気そうじゃないですか!!良かったです!
あと10センチ上にあたってたら窓ガラスじゃなくて固いフレームだったので多分脳挫傷でダメだっただろうなぁ。運がいい!君は!」
あの、厭味ったらしい看護師2人も、マシンガントークに唖然としています。
「では、しばらく治療もかかるだろうし、落ち着いたころに警察からも取り調べというか、話を聞かせてもらうことになると思うので、また連絡しますね。」
と、それだけ言って嵐(警察)は去っていきました。
看護師2人は急に奥にこそこそと隠れ、
こそこそ話してるつもりだけど声が大きくて丸聞こえな会話を始めました。
「ねぇ、15mって、かなりじゃない?しかも折れてるって。車ぼこぼこだったんだってよ?」
「やっぱり担架にもどす?ねぇ、頭も打ってるから車いすじゃダメなんじゃないの?」
そして相談は終了し、こちらへニッコリと戻ってきました。
多分、ようやくカルテ(引き継ぎ書)を見たんでしょう。手には鎖骨骨折用の固定バンドが握られていました。
「私、やったことないのよね、これどうやってはめるの?」
と言いながら。
とにかくはめちゃえ、の勢いだけで、私の肩にはバンドが装着されました。
なんか、すっごく痛いんですよ、バンドをしてない時より痛い。
後からちゃんとしたバンド固定をしてもらってわかったのですが、
この看護師のはめ方は間違っていたし、しっかり固定できたら痛くないです。
でも、痛いって言うとまたあの嫌な追撃がきそうで、
私はただただ、この脳内ではムショと化した絶望の空間から出られる時を待ちわびつつ、また戻された担架の上で痛みに耐えていました。
唯一、あの警察のお陰で看護師からの嫌味が急になくなったのが救いでした。
そして、別の、多分整形外科の看護師さんが私を迎えに来ました。
「本当は眼科にと思うんだけど、今日は学会で眼科の先生がだれもいないのよ。なので、とりあえず整形外科で診てもらって、その先生に意見を仰ぎましょう。」
私はうなずきました。そして整形外科の診察室に入りました。
そこに待っていたのは再びの、
目が死んだ、くたびれた医師でした。こっちは男性医師でしたが。
死んだ目で私を一瞥しただけで、CTとレントゲン撮影の指示を出し、私は即刻診察室から出て検査に移動しました。
移動中、運んでくれている優し気な看護師さんが言います。
「ごめんなさいね、今日、整形外科も会議とかで先生たちがほとんどいないの。あの先生は今一人で診てくれてる昨晩からの当直で、疲れてるのよ。」
なんと、出ました。
不運なことに、
私の怪我に該当する整形外科と眼科で、健全な医師が今日ここにはひとりもいない!という。
しかもさっきの救急の看護師2人もヤバかった。
不吉な気配を感じます。
検査が終わり、再びあの死んだ魚の眼をした整形外科の医師の診察がありました。
「あー。骨は、鎖骨?と腓骨って言ってましたね、前の病院の医師が。それは折れてるでしょう。
顔面は色々書いてあるけど大丈夫じゃないですか?眼科を受信させてほしいってことだったけど状況的に無理なので、近いところで耳鼻科の先生に診てもらって。
耳鼻科の先生がいいって言ったら帰ってください。」
とにかくすっごいダルそうでした。
『もういいからとにかく早く帰りたい、寝たい』感がすごい。
検査結果も自分で見ていなさそうです。
そして、まさかの「耳鼻科に丸投げ」したあたりから、『これはハズレだなぁ』と思いました。
今たまたま疲れてるだけかもしれないけど。
さっきのくたびれてるのにちゃんと診察してくれた女医さんを見ていただけに、『この人はなんで医師になったんだろう?』と思ってしまいました。
とはいえ、平時だとまともな先生かもしれません。
医師がここまで疲弊する医療体制を改善すべきで、
私のように「たまたまダメな時の先生に当たった人」が不運だったね、ってことかもしれません。
このあたりで、救急隊員の方が電話してくれた両親が、自宅から3時間もかけて車でやってきてくれました。
私は幼少期に色々あったものの、この両親以外の両親が良かったなぁと一度も思ったことはありません。
色々あったけど、大変ななかでも親として頑張ってくれていたのはわかっています。親も人間だなと小学校の頃思ってから、私は親のふるまいの意味がわかるようになれた気がします。
こんな時に駆けつけてくれる両親がいるのは幸せです。
そして私は、幼少期のアトピーで苦労させたことを思い出し、心配させまいと元気なふりをし始めました。
もうすっかり看護師2人のせいで痛みが戻っていますが、
「痛いでしょ?」と尋ねる親に「いや、アドレナリンが出てるってやつなのか痛くないよ!」
と答えたり、
両親と一緒に入った耳鼻科の診察室で、
先生が「左眼は見えそうかな?腫れてるけど、違和感はないかな?」と聞いてきた時も、「違和感はないです。腫れてる感じはしますが。」
と平然と答えました。
そうです。幼少期病気だった子あるあるの、
“ 気丈にふるまっちゃう、本当は結構つらいけど気兼ねして言えない ”
のスキルが発動してしまったわけです。
そこにこっそりと来ていた加害者の車の保険会社の人は遠目に私を見て、
『元気そう。事故の規模の割にうまく当たったみたいだし、当たり屋かな?』
と思ったに違いありません。
そんなことを知らない診察中の私に耳鼻科の先生は、
「鼻が曲がってる気がする。微妙だからそのままでもいいかも。鼻を戻すの痛いよー?」
と言っていました。
先生もやりたくなさそうだったので、元気なふり中の私は「大丈夫そうならそのままでいいです」と答えていました。
そして、耳鼻科の診察が終わりました。
えぇ、終わりました。
つまり、あとは整形の先生の指示通り「帰る」だけ。
え、帰るだけって、、
どうやって家に帰る、もといどうやって生活するの?問題の勃発です。
私の暮らすアパートは階段オンリーの3階。足も手も動かない私はまず自力で部屋にたどり着けません。
・・・いや、痛い痛いと言いながら30分くらいかけて階段を這いあがったら多分たどりつけますが。
そんな人はこれまでの人生で一度も見たことないので、多分一般的ではないはず。
ここに通院するにしても、どうやって階段上り下りするの?どうやって病院まで行くの?タクシーを使ってもいいけど誰が乗せたり降ろしたりするの?って話です。
両親と病院の玄関で途方にくれました。
そこに、さっき後ろから見ていたらしい保険会社の人が来ました。
「入院ではないと。さっき見ていましたがお元気そうで安心しました。事故の件で何かございましたらこちらにご連絡ください。」
と嫌味っぽく言いながら、
特になんの詫びもやさしさも発揮せずに名刺を置いて去っていきました。
この塩対応は、多分私が当たり屋だと思ったからでしょう。
とにかくせめて車いすを、そう思った両親は、病院の玄関の受付の方に尋ねました。
「今仮に乗せてもらっている車いすを、次の通院までお借りすることはできますか?」
すると受付女性は答えました。
「大変申し訳ございません。本日レンタル車いすはすべて出払っております。そちらはレンタル用ではないのでこの場で返してもらうことになりますし、車いすはどこかで調達いただくしか。うちでは無理です。」
またです。また塩対応!
すっごい迷惑そうな顔で言われましたし。
せめて何か代案を提案してくれないのだろうか、医療関係者として。
この市民のための総合病院では、私を整形外科に運んでくれた看護師さんしかいい人に出会っていません。
『私もイチ市民で勤労学生なりに税金も払っているのに!!運営費は私からきっと0.00001%くらいは出てるんだから!』
と脳内お怒りモードになりました。
再び途方に暮れた両親は、さっきの保険会社の人に電話しました。
「近くの車いすのレンタル会社を教えてくれませんか」と。
塩対応ではありましたがレンタル会社を教えてくれ、
「今後決まる双方の過失割合によるので保険金が出るかどうかはわからないが、今お金がないなら、一旦うちの会社で建て替えておくこともできる。その場合はその名刺を支払い時に見せてください。」
的な、
とにかく今はそれでも助かる提案をしてくださったわけです。
嫌味な人でしたが、手持ちもない貧乏な我々はどうにか助かりました。
車いすをレンタルしたころ、この地に疲れ果てた両親は二人で話し合って決めていました。
「よし、3時間かかるけど自宅に一緒に帰ろう。新学期が始まるけど、こんな体で学校にはしばらくいけないだろうから。折角頑張って通っていたし、どうにか卒業できないか、自宅でみんなで考えながら頑張ろう。」
そうして、私は思いがけず唐突に、隣県の田舎の自宅に帰省することになりました。
今回はここまで、
怒涛の病院での出来事をお届けしました。
長文でしたが、
もしここまで読んでくださった方がいれば、本当にありがとうございます。
二次搬送あたりで一旦次にまわそうかな、とも思ったのですが、
「くたびれた医師ネタ」が続くのでそのまま行かせていただきました。あの女医さんはいい人でした。
次の舞台は隣の県に移動しまして、
初めての入院と楽しい病室編をお送りしたいと思います。
次はいい人に恵まれてほっこりしたりもしますので。
ではでは。
よい夜をお過ごしくださいませ。