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美しい というものに

 美しい

 という感情は いったい どこから湧いてくるものだろうか。

 いや、そもそも、何をもって 美しい とし、その言葉を伝えるのだろう。

 ……そこに、何か、理由がいるのか?

 僕は今、目の前のそれを 美しい と思い、心が感動に震え、自然に何か 何かが湧き上がってくるのを、感じている。

 それはたしかなことだ。疑いようもない。

 ではそれは、どこに、なにを、どうして、感じていることであろう。それを、言葉に表すことが、できるのだろうか? 言葉に表す必要が、あるのだろうか?

 美しい と きれい が違うように、作品における 好み と 質 が違うように、それは明確にわかれているわけではない。

 しかし、厳密には、主観が大部分を占めてしまうように、大概に質を認められずに選り好みしてしまうのは、人の性なのだろう。

 同様に、この 美しい も、それぞれの感性でもって存在し、それを伝える術など、見栄えのよい技術でしかなく、僕が感じているこの感動の一部ですら、伝わらないに違いない。

 ……いや、それを伝えるのが、表現なのだろう。

 この感動をあまねく伝えるのに、ご立派な袈裟など必要ない。

 あぁ、僕は今、感動に打ちひしがれている……。それは感動に打ち震えている、というものではない。

 この先、僕は、この美しさを思い出しながら、自然に湧いてくる感情に頭を垂れ、動けないに違いない。手も、思考も止まり、何もできないに違いない。

 美しい

 ただただ、美しい……

 この感情が この感動が どこから産み出され 瞳も開かない無垢なる声で 誕生を謳歌するのか

 それは わからない

 その完璧な、その完璧さが、僕を捕らえて離さない。

 僕は、ただ……

 この目の前の 美しさにーー

 動くことさえ叶わずに、見惚れることしか、できなかった。

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ふみ
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。