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たどりついた
先日、機会があり、ひとり旅に出かけた。
駅に着いてから、目的地まではタクシーで向かう。調べても、徒歩何分、ではなく、駅から車で何分、と書かれた距離であったし、何より、方向音痴であるからだ。
喧騒とは無縁の、人もほとんどいない、広がる山々に、緑と葡萄畑がまぶしい。
タクシーに乗りこみ、目的地まで向かう道中、あちらへこちらへ視線をやりながら、風景を見ては、それほど複雑ではない道のりに時間もそれほどかかりはしなかった。
降り際に、帰りもよければ呼んでください、と気さくな声をかけながら、タクシーの運転手はティッシュを手渡してくれた。
「飛んでいきますよ!」
という、頼もしい声に、ありがとうございます、と返して、頭を下げた。
目的地で用事を済ませた後、先ほどいただいたティッシュを取り出そうとしてーーこれは、本当に何となくではあるのだけれど、歩いて駅まで向かうことにした。
それほど複雑な道ではない、と、記憶を頼りに歩いてみる。
すると、いつもはすぐに道に迷う私であるけれど、不思議と、この道だ、と確信を得ながら歩くことができたーーいや、いつも、この道だ、とは思っているのだけれど。
そうして、別れ道に出たときでも、たぶんこっち、という「かん」を信じて、歩いていく。
しかし、歩いても歩いても駅にはつかない。
あぁ、やっぱり間違えたかな、と思ったものの、もっと山の上ほうであったことを感じ、そのまま歩いてみる。
タクシーで行くとあっという間に思えた道も、やはり歩くとなると違う。
ずいぶん、時間はかかったが、道は合っていた。駅に、たどり着くことができたのだ。
私にしては、珍しくたどり着いた、と思ったときに、たぶん、私は瞬間記憶は人並みにあるのかもしれない、と考えた。けれども、記憶が継続しないゆえに、道が覚えられず、時間が経つとわからなくなってしまうのかしら、なんてことを思ったけれど。
なんて、そんなことではないだろう。
たぶん、たまたまだったのかも、しれない。
それでも、迷わずに目的地まで辿り着けたこと。それだけは、自信を持って、できた、と言ってもいいだろう。
それは、ちょっと、いや、それなりに、うれしい気持ちが、あった。
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