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幸せとは何か
あなたの幸せはなんですか?
そう問われたときに、私は言葉が詰まってしまった。
何気なく聞いたことかもしれないが、なかなか返ってこない私の答えに戸惑うこともなく「さあ、他の人も考えてみてください」と全体にシフトするその感じにこなれを思い、私はその場を後にした。
まわりから見たら、私の姿はどんなふうに映るのだろう。さみしい? 哀愁が漂う? 幸せもわからない女……。自分の幸せも考えられない、哀れな人……。
哀れ。
その言葉が自然と出てくるのは、どんな心理からだろう。私は、私を哀れだとは思わない。そんな人が、哀れだとも思わない。のに……。なぜ、そんな言葉が、自然とこぼれてしまったのだろう。
私も結局、俗物な思考回路を持ち合わせた中途半端な存在なのだろう、か。
幸せなんて。幸せ、なんて。そんなものは余裕のある人にしか訪れない。それはお金かもしれない、人とのつながりかもしれない、心のあり方かもしれない、脳の構造かもしれない。
なんでも、なんでも、いい。
満ち足りる、満ち足りていなくても、物質的、精神的、なんでも、なんでも、いい。
そこに、余裕がある人。
そうでなければ、幸せなんて、訪れない。思えない。
あぁ、考えれば、考えるほど、幸せとはなんですか? と、わからなくなる。
私は、恵まれていると思う。家もある、仕事もある、生活もできる、ごくたまにであれば飲みに行くこともできる。
それでも、私には余裕があるとは思えない。これで、精一杯。そこから、動けない。
それでも、おんなじでも、幸せを感じる人もいる、と思う。そんな人も、いると、思う。
私だって、生きていること、生きていけることに感謝をし、何気ないことに喜びを覚え、満ち足りているとは思う。
けれど、幸せ、となると、とたんにわからなくなる。
幸せ、幸せとは、幸せとはなんであろう。
もしかしたら、余裕、とか、そんなことではなく、そもそも幸せということそのものが、存在しないようなものなのではないだろうか?
それなら、訪れることもない。
それとも、ただたんに、幸せ、というものがわからないだけであろうか。わからなければ、例えば今、幸せでも、そうは感じないであろう。
先ほど、そう問われた他の方たちは、いったいなんて答えたのだろう。
「 」
何かに呼ばれた気がして振り向くと、一陣の風が私の体を通り抜けた。そうして、流れてくる風に聞こえてくる何かの声が、そのまま空へのぼっていき、宇宙の先まで旅立っていくのを感じた。
その声が、なんて伝えていたのか気になってそのまま空を眺めてみたけれど、どれだけ待ってもそこには、何もない時間だけが過ぎ去っていくだけだった。
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