外から見ると違和感に思う当たり前
それは、本当に、ちょっとした、ささいな、疑問だった。
はたとそれを感じてから、何ということもなくそれを意識してしまい、気がついたら通り過ぎてゆくほどの気配から確かな輪郭を持ってそこに佇んでいた。
その成長ぶりは凄まじいもので、種を蒔いて水をやろうと一瞬目を切って、振り返るとすでに実がなっているような、そんな映像が頭をよぎった。
私は、けれどそれを口にすることは憚られた。
ひとつに、それはたしかにすばらしい成長を遂げたものであったけれど、よくよく考えると大したことではないこと。
ふたつに、それを口にしたからと言って、何が変わるわけではないこと。
みっつに、それをあえて私から切り出す必要性が感じられない(しいていうなら面倒な)ことだった。
それを意識してから、もうどれだけの月日が経ったことだろう。
相変わらず、絶妙な距離感を保って佇んでおり、気にする必要もないけれど目の端にちらついてうっとうしさも感じていた。
それでも、私は何もしなかった。
日々の生活に精一杯であったし、何より、それを崩してまで解決する必要はなかった。
それが楽だった。
答えはただ、それだけだ。
らくはだらく、とも言うけれど。
そんなある日、その疑問は突然向こうから脅威としてやってきた。
いや、脅威としてやってきたのではない。
その疑問に疑問として問われてしまった。
新しく入ってきた、新人さんに(まさしく「しんにゅう」だ)。
私は困った。
周りからも、何となくその答えを聞きたそうな、どう答えるのか、という好奇な目、手は動かしながらも耳敏く聞き逃さないように意識をしているのがわかる。
さて、困った。
新人さんはメモを片手に待っている。
私にはいくつかの選択肢があった。
ひとつに、正直にわからない、と答える。
ふたつに、私も疑問だったけれどそんなものかな、って。だから気にしないで、と答える。
みっつに、もっともらしいことをそれらしく、応える。
さてはて、どうしたものか。
改めて聞かれると、答えにくいものは、これだけではない。他にもきっと、聞いてくるだろう。
それを踏まえた上で、どんなふうにこたえたらいいのだろう。
当たり前にしてしまった現状のツケが、回ってきてしまったような、そんな心境だった。
しかし、それは本当に私のせいなのだろうか?
それを解決してこられなかったのは、私だけではないのに。
たまたま私が聞かれただけで、傍観している人に罪はないのだろうか?
それでも、今この状況をどうにかしないといけないのは紛れもなく私だった。
その疑問は輪郭を持って、形をなし、まさしく目の前に立っていた。
初めから、あのときに、口にしていたらこんなことにはなっていなかったのだろうか。
私は震える気持ちを落ちつけながら、どの選択肢を選ぶのか決めかねて、何も言えずに佇んでいた。