自民党における世襲議員の夫婦別姓の意義の考察する
総裁選2024はちょっとしたイベントのような、エンターテイメント性を含んだ盛り上がりを見せていた。
私が見ていたYouTube動画で、各議員が、経済対策などの公約を訴える中で、何故、小泉進次郎は、夫婦別姓について真っ先に語ったのだろうか?
コメント欄は、小泉進次郎をこけおろすコメントで溢れかえっていた。
世襲議員は世論を受け止められないのだろうか?
不思議でならないのだが、一つの理路を見つけたので、メモ程度に残しておこうと思う。
世襲議員における夫婦別姓を公約に掲げる意義は、大いにあるのだろう。
夫婦同姓制度は、明治31年に採用された制度から発する。
実際には、戦後の民法では、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」と記載されているものの、9割以上が夫の氏を選んでいるのが現状だ。
自民党が推し進めてきたのは、夫婦同姓制度であり、それを覆す夫婦別姓制度を推し進めることで、世襲議員は、親世代議員への反発的意識を掲げることになるのではないだろうか?
しいては、自民党の構造的改革の意思表示とも象徴できるかもしれない。
ここまで読んでも、世襲議員の夫婦別姓制度を推し進める姿勢は、理解に苦しむ人がほとんどであろう。
それでどうしたという感想すら持たれかねない。
だが、それでいいのだ。
世襲議員といえど、個人の人間なのだ。
親の七光りを揶揄される環境下で、自らの個の輪郭を明示するためには、過去縛られてきた構造を壊す必要がある。
それが夫婦別姓制度の導入なのではないだろうか。
「自民党なのに、反自民思想だね」と、身内の中ではカッコ良さそうに振る舞えるのではないだろうか。
もしくは、そういう形で、身内の中ではもてはやされてきたのではないだろうか。
そうであれば、私は小泉進次郎という人に、仄かに暗い憐憫の情を抱かざるを得ない。
私に憐れまれるまでもなく、彼の人生はこのあとも順風満帆であろう。
選択的夫婦別姓制度の真の目的と、自民党内で語られる夫婦別姓制度とでは、色合いが違うんだろう。
前者は、女性の社会進出の意味合いで語られるが、後者は、伝統的保守的自民の構造への反骨心として語られるのではないだろうか。
世襲議員というのは、そういう狭い箱の中で弁論に身を投じている存在なのではないだろうか。
あくまで個人的な考察である。
妄想ですらある。