楽しさが義務感を超える話
最近は人物の絵を描き始めた。
描きたくなって、本も買って、描き始めた。
女児向けのじゆうちょうを買って2ヶ月、全ページが絵で埋まった。
小さい頃から絵を描くのが好きだった。
家にあるコピー用紙を何枚も使っていろんな絵を描いていた。アニメや漫画のキャラクターの絵だ。
父親から「こんなに早くコピー用紙がなくなることなんてあるんだな」と言われたくらいだった。
周りに絵を描いている子も多く、描いた絵の交換などもしていた。
中学生がもうすぐ終わり高校生になるとき、ふと、描いた絵を誰かに見てもらうことに対して恥ずかしく思うようになった。
絵自体もそうだが、そうやって「見てもらう」という行為が恥ずかしくなったのだ。
自己顕示欲の塊……
新しく覚えた自己顕示欲という言葉を使って恥ずかしさを言葉にした。
当時、顔も知らない人から反応が欲しいなと思って、Twitterの絵アカを作っていた。
もちろん上手くもない、何を伝えたいかもわからない絵に反応する人なんておらず、当たり前のことなのに、とてもがっかりした。
そんなことも含めて、自分が自己顕示欲の塊だということに羞恥を抱くようになったのだ。
Twitterから離れ、絵からも離れ、部活と勉強に追われた高校時代。
Twitterを時々覗いて、いろんな人の素敵な絵を見ては、プロフィールに書かれた自分より年下の数字を見て、嫉妬で狂いそうになった。
もちろん狂ったところで絵は描いていないのだが。
それでも、自分の表現したい何かを形にすること、作ること、描くことはまだ好きだったみたいで、今では恩師の美術の先生に背中を押されて美大に入った。
美大の受験のために画塾に通い、デッサンを始めたのは、3年前の高校3年生の話。
それまでに真剣に絵と向き合う経験のなかった私には、それはそれは辛く、地味で地道な作業が待っていた。
部活が夏休みまであったこともあり、中途半端な時期に入った画塾では、何故か基礎を教えてもらえず、経験者がわんさかいる教室に放り込まれた。
鉛筆が画用紙を擦る音しかない静かな教室で、私だけが「先生、これはなんですか、どうしてそんなに鉛筆が尖っているんですか、どうやるんですか」とその場に合わない質問をしていた。
最初は「描かなきゃいけない」と思いながら描いていたデッサン。
課題文もよくわからない。
何?手と開くを想定して描くって
講評で経験者の絵と並ぶ自分の絵なんてもちろん見たくなかった。
しかしある時、よくわからんが募ってきて、義務だからと手を動かしていたら、何故か楽しくなってきた。
自分でもよくわからないが、描くことに対して楽しくなってきたのだ。
楽しさが義務を超えた。
(人間なので楽しくない課題もあった。そんな課題はちゃんと最後まで上手くいかなかった。)
それからというもの、講評でビシバシされながらも描き続け、
描きたくないモチーフからは徹底的に逃げ続けて最後には追い込まれ描き、
上手い人の絵を真似し、覗き込みつつ自分の絵に落とし込みながらも描き続け、
塾内コンクールではあたふたしながらも描き続けたら、経験者の絵の間に挟まれるくらいの成績は取れるようになった。
(お気に入りの絵。たしか、コンクールでもなんでもない普通の授業に3時間くらいで描いたデッサンだ。今見ると下手だし、写真撮るのも下手すぎる。でもお気に入り。)
今の自分から見て、あの頃の自分は無双していたなと感じる。
楽しい!やりたい!と思う気持ちはなによりも強いパワーなのだと、今更になって気づく。
今はもう、就活で悩むような年になってしまった。
あの頃の自分を超えられないまま過ぎ去る大学生活。
(なんて言葉はn番煎じの自分語りの常套句だと思うが、本当にそう)
就活をするために遊んでいる場合ではないという時に、私はまたお絵描きにハマってしまった。あるコンテンツのおかげ(せい?)だ。
お絵かきにハマるのは中学生ぶり。
デッサンはしていても、お絵描き自体は中学生で辞めてしまったので、中学生の描く絵のままで止まってしまっているがそんなことはどうでもよく、お絵描きにまたハマれる喜びでいっぱいになった。
(まず手を描けるようになりたくてひたすら手を描いていた。1番近くにある1番身近で1番難しいモチーフだと思う。)
あの頃感じた、自己顕示欲の塊である自分は今の自分の中にも存在しているし、それを恥ずかしいと思う自分も存在している。
それでも年月(今までの経験)というものが、その存在達を理解する力をくれたから、そんな存在とも共存できている。
成長するってこういうことなのかも。
このお絵描きと同じように、就活のための制作もしてほしいんだけどな〜なんて自分を他人事のように見て呆れながらも、それを上回るお絵かきに対する嬉しさと楽しさに心を躍らせている日々。
制作やポートフォリオ作りも、デッサンやお絵描きのように楽しさが義務を超えるときが来るのだろうか。
それに対して、楽しさが義務を超えた時、私はどんなふうに成長しているのだろうか。
卒業まで1年半、卒制まで1年を切った今、焦りと不安の中に少しでも芽生えた未来へのワクワクを忘れずにいたい。
まだ時間はあるぞ。
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