あれから119日間の話
2月22日(土)
まだまだ寒い2月末の朝、ぼんやりと覚えているような覚えていないようなドン・キホーテの上、5階。
朝10時からの寄席に入る人間なんて、気合の入った観光客か、気が狂ったオタクしかいない(謝罪します)。
その寄席では確か吉田たちがMCをしていて、なにわスワンキーズが読み聞かせの漫才をしていて、アインシュタインは寿司屋のネタだったような気がする。
大好きな人たちを一度に見て満足し、1人でうどんを食べて、バイト先に向かったな。
そういえば雨が降っていた。
それ以来私はドン・キホーテの片隅、免税コーナーの前にあるエレベーターに乗って、5階に行くことなどしていない。
そしてそれが、漫才劇場所属のアインシュタインを見た最後の日となった。
6月14日(日)
ウォークマンに入っている3,000曲以上の大切な曲たちの中から、意図せずPENTAGONのGorillaが流れてくる。
私の意思とは裏腹に心臓がギュッと縮み、おぼろげな高揚感に包まれる。
なにわスワンキーズの出囃子。
劇場に行けなくなってからと言うものの、なんとなく聞くのを控えていた出囃子を今日は聞こうと思ったのは、劇場に再び行く日が見えてきたからである。
6月20日(土)
劇場再開1週間前の6月12日、お客さんを入れた公演のスケジュールが発表された。
チケット発売までの時間、およそ3時間。
私たちが今まで1週間かけてしてきたことがものの3時間で済まされた。
当然私も仕事のため降って湧いたチケット戦争に参加はできなかったが、戦友である母がなにわスワンキーズ単独のチケットを勝ち取ってくれたことに関しては、感謝してもしきれない。
そんなこんなで6月20日、電撃的に119日ぶりの劇場が決まった。
未曾有の4ヶ月
正直、自分でも驚くところがあった。
すぐに劇場に行くことを決めたことに。
公演のスケジュールを「ふーん、寄席が多いんかね」とどこか他人事のように眺めていたときに飛び込んできた「なにわスワンキーズ単独」の文字。
ドキドキして、変な汗が出て、チケット取らないと、行かないと、どうしよう?取れる?と焦っているうちに5駅は進んでいたと思う。
私にもこんな、脊髄反射みたいな情熱が残っていたのかと、呼び起こされたオタク心に苦笑いしてしまった。
それもそのはず。
今までの日常を考えれば、この4ヶ月の間に40公演は見ていただろう。
失われた40公演。
奪われた40公演。
普段どんなペースで劇場行ってるの?というツッコミはさておき、こんなことはもちろん前代未聞。
生活が変わるし、意識も変わった。
つくづく「贅沢な日々だったな」と思う。
授業やバイトの後に難波に向かって、1公演ないしは2公演見て、母親と飲みながら見たものについて語らい、帰宅する。
今となってはそんな生活、何のボーナスタイム?って感じ。
3月は公演がなくなることそのものへのショックが大きく、あまり例のウイルスの脅威をわかっていなかったことで、劇場が再開されることにまだ期待を抱いていた。
4月はそんな期待もなくなって、失われた日常と向き合うのが辛くて逃避していた。
4月末、私生活でのストレスも相まって、磁石単独中止のお知らせを見たときが鬱のピーク。
寝る前自然と涙が流れてきたのは、まだ記憶に新しい。
5月になると、そんな日常に慣れてきた。
人間良くも悪くも「慣れる」ことができる。
劇場に行かなくても特に何も思わなくなる。
ZOOMや配信など流れてくる情報を惰性的にキャッチして参加してみたりもしたが、劇場に行きたいという気持ちに繋がることはなかった。
そんな自分を客観的に見て、少し寂しいなと思うこともあった。
だから、なにわスワンキーズ単独に必死になっている自分は少し意外で、安心もした。
ただ、吉本の感染症対策には色々思うことがあり、配信で見ていてもかなり笑えなくなっているので、実際自分がすっからかんの劇場でマスクをつけてネタを見てどんな感覚になるのかは未知である。
今の状態が30%元通りだとすると「100%元通りになるまで行かない!」などと言い出しかねない。
自分の求める日常はまだまだ遠いし、異常なことだったと今は思う。
贅沢であればあるほど、異常であればあるほど元の日常を取り戻すのに時間がかかる。
でも、この期間を経てそのことに気づけてよかったよね、なんてことは一切思わない。
贅沢な日々を過ごしてるということに、気づかずに生きるのが1番幸せなのだから。
そして、幸せであるに越したことないのだから。
思ったことを書くだけの、支離滅裂な文章ではあるけれども、この前代未聞の4ヶ月のことは何かしらで残したいと思った。
自分の好きなものが、自分のかつての日常が、ぼやけて見えなくなることもあった。
新たなスタンダードに慣れてしまった。
劇場が決まってもなお、不安は拭えない。
それでも「好きなものがある人生って素晴らしい」ということは、これまでの自分の人生が物語っているし、私は小さくても消えかけていても、その気持ちを大切にしたい。
胸張って好きだと言えるものが、人がいる。
お金も時間もかけられる。
実は、それってみんながみんなできることではないって、知ってましたか。
6月20日、ちゃんと難波なんなんの果ての階段を上がれるだろうか。
なにわスワンキーズはきっとふわふわしているだろうな。
アクリル板が2枚あってシュールなんだろうな。