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【短編】『アレだよ!小倉くん』

「この前、家のバスルーム開けたら、いきなり【アレ】が飛び出してきてさぁ..」
そう言って篠田さんは顔を顰めた。
【アレ】って何だろうか?
僕は彼女に聞いた。
「あの、篠田さん、【アレ】って何ですか?」

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今から半年前の話。
当時、高校2年生の僕は、それまでアルバイトというものをした事が無かった。
だが、服だの、ゲームだの、何だのと欲しい物が次々と出てきて、親から貰う月1万円の小遣いでは、とてもじゃないが足りなくなっていた。
そこで自分でお金を稼ごうと、ネットでアルバイト情報を調べてみると、家から徒歩15分位の所にある工場で、18時から始まる芳香剤の製造という仕事が出てきた。
【単純な作業です。どなたでも出来ます】と書いてある。
普通の高校生が好んでやるような仕事では無い感じがしたが、家から近いし、人見知りの僕には向いてる気がした。
そして、その仕事に応募した僕は、学校が終わった後、ラインに入り、流れてくる芳香剤の蓋を延々と締め続けるという、よく判らない仕事を始めた。
..なんかコレ、機械でやった方がいいと思うんだけど...
そう思いながら働き出して数週間、僕はようやく仕事に慣れてきたのだが、 ハッキリ言ってこの工場で働いている人は変な人が多かった。

ブツブツと独り言を呟いている人。
昔、ヤクザだったと自慢気に何度も話すオジサン。
明らかな虚言癖の中年女性。

どこの工場でもこうなのだろうか?
僕はこのまま仕事を続けるか否か考え始めていた。
働いている30人程の従業員の中に高校生はおらず、若い人も、篠田さんという20歳の女性の他、数名しかいなかった。
ラインで僕の後ろのポジションに入る事が多かった篠田さんは、先輩ぶる事も無く、とても気さくな人だった。
休憩中に篠田さん本人に聞いたところ、高校卒業後、2年近く、このバイトをしていると言っていた。
どこからか聞こえてきた噂好きな女性達の話では、篠田さんは以前、岡本さんという30過ぎの社員の人と付き合っていたらしく、別れてから、その岡本さんが彼女に付きまとっているらしい。
あくまで噂話なので、事の真相は判らないのだけど...

ある金曜日、仕事が終わり、帰ろうと自転車置き場にいた僕は、後ろから篠田さんに声をかけられた。
「ねえ、今日、ファミレスで話さない?」
特に予定が無かった僕は
「あ、はい、いいですよ」
と答えて、二人で最寄りのファミレスに向かった。
何故、僕を誘ったのか解らなかったが、多分、篠田さんじゃなかったら、誘われて戸惑っていたと思う。
彼女は、少し天然っぽい感じだったが、愛嬌があって可愛い女性だった。
女子と話すのが苦手な僕でも、気取りのない篠田さんとは緊張する事無く話すことが出来た。

歩きの篠田さんに合わせて、自転車を押しながらファミレスに向かう途中、突然、彼女が少し上を向き、思い出すような感じで言った。
「あのね、この前、家のバスルーム開けたら、いきなり【アレ】が飛び出してきてさぁ...ビックリして部屋から飛び出しちゃったんだ」
【アレ】?
..【アレ】が何か判らなかった僕は、彼女に聞いた。
「あの、篠田さん、【アレ】って何ですか?」
僕の質問に、篠田さんは自分を抱くように両手で両腕を擦りながら答えた。
「えっ...いや、名前で呼びたくないわ...鳥肌が立つ」
僕の頭に【黒い光沢の小さくすばしっこい生き物】が浮かんできた。
「ああ、【アレ】ですか」
【アレ】かあ..それは怖いわ..
「それは災難でしたね。ははっ」
「小倉君、笑い事じゃないよ!ホント」
篠田さんは、少し怒った様にそう言ってから続けた。
「後、この前の日曜日の夜、遊んで帰って来たら【アレ】がアパートの壁に張り付いてたんだよ!キモかったなあ」

ん?張り付いてた?..【アレ】って【アレ】の事じゃないのかな?
もしかして、もう少し大きくて、アメコミのキャラクターにもなっている夜行性の【アレ】の事か?
僕は、再び、彼女に聞いてみた。
「篠田さん。【アレ】って、【アレ】ですよね?」
篠田さんは頷いた。
「うん。多分、それ」
本当に僕の頭の中の【アレ】で合っているのだろうか..
「そうですか..それは、それは」

ファミレスに着き、僕達は店の端っこの禁煙席に座った。
篠田さんは
「私、オレンジジュースだけでいいからさ。何でも好きなの頼みなよ。お姉さんが奢ってあげるから」
と言ってくれた。だが、仕事前に菓子パンを3つも食べてしまった為、お腹が空いていなかった僕は
「あっ、なんか胃がもたれちゃって..僕も飲み物だけで大丈夫です」
と答えて、店員の女性に2人分のドリンクバーを頼み、自分と彼女の分のジュースを取りに行った。
そして、両手にジュースを持ってテーブルに戻った。

篠田さんは僕からオレンジジュースを受け取って、又、少し上を見てから思い出す様に言った。
「ありがとう。あのね、この前、夜中の1時にいきなり部屋のインターフォンが鳴ったんだ」
「えっ、それって、もしかして怖い話ですか?」
僕は怖い話が大の苦手だったが、彼女は平然と答えた。
「いや、そんなに怖くないよ。多分」
じゃあ、大丈夫かな..
「そうですか。で、どうしたんですか?」
「うん。で、なんか画面見たら誰も映ってないの」
「えっ..本当に怖い話じゃないんですよね?」
篠田さんは少し笑った。
「あ、ちょっと怖いかも」

えっ..

僕は、何となく『じゃあいいです』とは言えない感じになってしまい仕方なく聞いた。
「あぁ...で...どうしたんですか?」
彼女は頷いて続けた。
「うん、で、なんだろうと思って、ほんの少しだけドア開けたのね..そしたら..」
「...はい..そしたら?」

ここで、彼女は怯えた表情を作り、決め台詞の様に言った!

「【アレ】がいたの!」

???
僕の頭に?マークがいくつも浮かんできた..
「すいません、篠田さん。【アレ】って、さっきの【アレ】と同じですか?」
篠田さんは、怯えた表情を保ったまま答えた。
「そうだよお..」

???【アレ】がインターフォンを押した?

少し頭の中を整理しようと黙り込んだ僕は、突然、彼女の斜め後ろから強い視線の様なものを感じた。
顔を向けると、店の反対側の隅のテーブル席に一人で座っている岡本さんが、こっちを見ているのが判った。
篠田さんは気が付いていない様子だった。
僕は、彼女に岡本さんの存在を気付かせない様に、その後30分近く喋り続けた。
そして、気が付くと岡本さんの姿は消えていた。
「小倉君って、結構、話好きなんだね」
笑いながらそう言う篠田さんに、僕は少し真剣に言った。
「篠田さん。【アレ】の事、警察に言った方がいいんじゃないですか?」
すると彼女は、いきなり声をあげて笑い出した。
「アッハッハッ、なんで警察?そんな人いないでしょ!アッハッハッ」
「いや、だって【アレ】、ヤバそうですよ!」
真剣な表情の僕を見て、彼女は笑いを堪えながら答えた。
「ハハハッ..小倉君、大丈夫だよぉ!いざとなったら叩き潰してやるから、ハハハッ..」
【アレ】を叩き潰す?
「いや、それは無理じゃないですか?【アレ】ですよ?」
彼女は笑顔のまま、自信ありげに答えた。

「うん、わかってるよ、【アレ】でしょ?私、やるときはやるよ、小倉君」

「ああ...そうですか..じゃあ、【アレ】の事で何か困った事があったら言ってくださいね」

「わかった。ありがとう...フフフッ」

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それから1週間後、篠田さんは連絡も無しに急に工場に来なくなってしまった。
突然の事だったので、僕は篠田さんにメールを送ってみたが返事がくる事は無かった。

そして、何故か、岡本さんの姿も見かけなくなっていた..

結局、僕も篠田さんがいなくなった2週間後に工場を辞めた為、彼女が言っていた【アレ】とは何だったのか判らないままだ。

僕は、今でも最後に会った時の篠田さんの言葉をはっきり覚えている。


彼女はいつもの笑顔で嬉しそうに、僕にこう言った。

「小倉君!昨日、いきなり部屋に【アレ】が出たから、叩き潰してやったよ!」


【了】


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ミックジャギー(そよかぜフィリップ)
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