青空市で、陶器の珈琲ドリッパーを衝動買いをした話。
――当記事のハイライト――
いい買い物は嬉しさが長続きする。
2486文字の記事です。是非最後まで読んでいただけると嬉しいです。とりわけこの記事にいいねがつくと、筆者が普段より喜ぶタイプの内容なので、良かったらいいねだけでも押していってください。
春のおとずれを感じるあたたかな陽気の日比谷公園。
3月の日曜日、日比谷公園では「Peace On Earth 311未来へのつどい」というイベントが開催されていた。
3歳の息子と夫と私。家族3人で、特に目的もなく立ち寄った日比谷公園のイベント会場からは、ライブの楽器の音が漏れ聞こえている。こういうところが、都会はいいなと思う。ナマの楽器の音は、それだけで良い。上手い人の音ならなおのこと良い。イヤホンで聞く音楽とは違う圧を、こんなふうにタダでおこぼれをもらえるなんて、日比谷公園が近所の人はいいなぁと羨ましくなる。
イベントは入場無料だった。後から聞いたが夫は無料だとは思っていなかったらしく、なんだか入りたくなさそうなオーラを放っていたので、最初は私も気を遣って入場ゲートをスルーした。でも、やっぱり入りたい。私は百貨店の物産展が大好きだ。物産展を見ると、何も買う気はないのに立ち寄ってしまう、私はそういう女なのだ。公園をうろうろして、ちょっとずつ家族を入場ゲートのほうへ向かうルートに誘導し、「ねえねえ、入ってみようよ!」と無邪気な素振りを演出しつつ、家族でイベント会場に入った。
会場は落ち着いた雰囲気で、居心地が良かった。人が少ないという意味ではないのだが、別に盛況なイベントではない。それはこのイベントが3.11由来という、ある種のポーズでもある。なんとなく何かを偲んでいるような、優しくて、ちょっぴり物悲しい感じがあった。
飲食系、雑貨、被服など、いろいろなお店が並んでいる。音楽ライブのステージスペースもあった。それぞれが何かしら東北由来の出展だと思われるが、そのあたりはあまり気にしない。一店ずつ、チラチラと見ながら歩くのが楽しい。
フじイまさよさんの陶磁器のお店も、その並びにあった。
私ははっきりと意思を持って食器を買った経験が少ない。食器って、春のパン祭り的なものでゲットしたり、最近は百均でもそれなりのものが買えるし、30年ちょっとの人生で食器との出会いを大切にしてこなかったと、ちょうど思い始めていた頃合いだった。「年齢的にも、そろそろいい食器を持ちたい」と漠然と思うようになり、ここ最近、素敵な食器との出会いを欲していたところだった。
今年の年始、夫が急に珈琲ミルを買った。家で美味しいアイスコーヒーを飲むんだと、いろいろ道具を買い揃えていた。その流れで、私も家で珈琲豆を挽いてホットコーヒーを入れる文化を持つようになった。
とはいえ、私は珈琲にこだわる気はまったくない。もちろん、挽いて入れる珈琲は美味しい。美味しいのは当たり前だ! その違いが分からないわけではないのだが、別に追究していく気はない、というだけのことだ。だから、珈琲ドリッパーは百均で買ったプラスチック製でも気にならなかった。「使えればOK」だったのだ。
フじイさんの素朴な色合いの食器たちは、私の好みにガッチリフィットするものばかりだった。どれも可愛くて、重々しくなくて、重さそのものもちょうど良い(私は重い食器が好きじゃない)。その中で、ハッと目に入ったのが陶器の珈琲ドリッパーだった。
まずそもそも、陶器の珈琲ドリッパーというものがあることを意識したことがなかった。後からいろいろ調べてみると「あー、たしかに見たことあるねー」とは思うのだが、店頭で見て「陶器の珈琲ドリッパーなんて初めて見た!」と、まず一発目の感激があった。
素敵だなと思いつつ、一度お店を離れた。衝動買いとは書いたものの、ここで時間を置いたことはご愛敬としてほしい。さすがに、子どもにコアラのマーチを買うような感覚で出せる金額ではないので、やっぱり一回持ち帰って考えたかった。
これまた後から調べると、フじイさんの食器を取り扱っているお店が東京にいくつかあるらしい。でも、たぶんだけれど、綺麗な百貨店や屋根のある店舗に飾られていたら、同じ食器でもこんなにときめかなかったと思う。シチュエーションは大事だ。それは、このイベントにしてもそうだ。311と題しているから、買い物をすれば何か復興を応援した気になれる、それも免罪符のひとつになる。青空市という、高いものがなんだかお手頃に感じる効果も言わずもがなあった。何より、この出会い、ときめき、刺激がたまらなく嬉しかった。ときめきのドキドキは、歳を取るごとに減っていく。
この買い物に対する言い訳がたくさんたくさんあることを確認できた私は、お店に戻り、珈琲ドリッパーとホルダーのセット、それから珈琲カップ2つ、計3点をお買い上げした。珈琲ドリッパーだけじゃないのよ、というところがミソである。安い買い物ではないと言いながらこういうことをしちゃう自分を楽しむ。勢いがあった。
noteを多く書くほうではない。買い物をした夜、さっそく珈琲を淹れた。味の変化を語る気はない、というか私の珈琲歴ではとても語れないが、心の変化をいくらでも語りたい。嬉しくてたまらなかった。プラスチックにはない陶器ならではの重みに嬉しくなり、唇にあたる新しい感触に嬉しくなる。生活にたしかな刺激があった。この瞬間のためにお金を出したと言っても、過言ではないのだ。
さっそくツイートした。いいねがつくたびに、また嬉しくなる。みんなに見て欲しかった。
次の日まで嬉しさは続いて、珍しくnoteまで書いた。つまり、この記事である。
いい買い物は、嬉しさが長続きする。ウキウキしていられる時間が長いほど、本当にいい買い物をしたなぁとキラキラ思っている。
これを書いている今も、noteにいいねがつくたびに嬉しさが持続するんだとウキウキしている。……逆にいいねがつかないといつもよりしょんぼりしてしまいそうので、是非ひとつ、いいねを押していってほしい(笑)。
陶芸家・フじイまさよさんのサイト