言葉が最近いらない。をどぅあーーって書いた。
突然ですが、
私、私の子ども、夫のおばあちゃん
この3人の話をさせてください。
30代、わたし。
人生100年で考えるとまだまだピヨピヨ世代。
でも相手に対して、なんの障壁なく自分の言葉を伝えることが出来ます。
それが自分の声であっても、文字であっても難なく伝える事が今の私には出来ます。
1歳、私の子ども。
最近、意味をともなう言葉が増えてきました。
「マンマ」
「ナイナイ」
そして、意味を理解しているような動作も。
パチパチ
バイバイ
キラキラ
とても、嬉しそうに。
どれも、嬉しそうに。
そして一緒にやろうよ、と誘ってくれるかのように。
ほどよく楽しく生きるために
言葉を理解したり、話したりするのはまだまだこれから。
90代、おばあちゃん。
夫のおばあちゃん。
最近、前より耳が遠くなってきました。
聞こえづらさにともなって、物忘れも多くなってきたみたい。
数年前、私が嫁いだ頃は
家の周りのみんながおばあちゃんの家に集まって、お茶したり話をしたり賑やかで。
でも、老いとともにいつの間にかみんないなくなっちゃって。
おばあちゃん1人の時間が多くなってしまいました。
仕方ないけれど、少し寂しそうにしていて
「もうここ(頭)も(ここ)耳もダメだ」なんて言っている。
でも遠方から私たちが来ると、とっても嬉しそうに迎えてくれます。
私たちの声はなかなか届かなくて、もう聞いたよーっていう昔話を何回もおばあちゃんは話すけれど
「うんうん」
「へえ〜!!」
「そうなんだ!」
そんな"表情"をすると、さらにおばあちゃんは昔話を続けてくれるのです。
それはそれは楽しそうに。
私は最近、文章を目にする事が辛いです。
それは、子育てをはじめて非言語的なコミュケーションが日々の軸になっている今だからかもしれません。
こんなに言葉にする事が難しかっただけ
こんなに心配したり、しんどいっけ
よく思います。
子どもといる時、おばあちゃんと会った時、
どちらも使いたいけれど使えないという状況なのかもしれないけれど。
言葉って実は大半いらないんじゃないかとひしひし感じました。
子どもは日々、表情やしぐさでいつも100以上のエネルギーをもって伝えてくれます。
聞こえづらいおばあちゃんにいくらながーーーーい言葉で話しても、それは逆にコミュニケーションの害になってしまうだけです。
何より、2人は言葉なんか無くたって通じなくたってすごく楽しそうなのです。
言葉は無ければ、不便かもしれません。
私だって今こうして使っているし、お世話になっているし、生業にしてるかたもいます。
でも、きっと私は便利に使えすぎている。
言葉に頼りすぎたり、生活の中心に置いちゃいけないものなんじゃないかって最近なんだか思うんですね。
言葉を使うから不安になり、悩み傷つき、誤解を生む事は
今の時代は嬉しいと思う事より多い気がします。
言葉を1つ1つ大切にする。
それももちろん大事なんです。でも、
言葉を敢えて手放す選択も大事だな。
そんな事を子どもから、おばあちゃんから学びました。
て、話でした。