『手水の縁』批評
『手水の縁』について!
(2021年3月13日国立劇場おきなわで鑑賞)
コロナ禍で、厳重な予防体制が取られている。舞台も会場もどことなく沈んでいる雰囲気だった。瑞々しい恋も重い世界の空気の中で心が弾まないのは事実だった。かなたとこなたはつながっているゆえに~。そうした内外の空気の中で演じることは、立役にとっても地謡にとっても、重い異風な空気を払いのける精神力が試されている。地謡の声音は若い。もう少し太い声音で心に滲みてくる曲想があっても良かった。
『手水の縁』の主人公たちのお互いを恋忍ぶ思い、社会の掟なりしがらみを超えた自然な心の高まりを暖かく見守っていた志喜屋の大屋、山口の西掟、門番の存在はこの組踊を悲劇に終わらせなかった。何より、不運な状況に陥った玉津への命がけの山戸の愛が彼らの心を打った。共に一道ならんとする若者たちの愛を断ち切ることができなかったのも自然の情愛である。その結末へと導いた戯曲構成の秀逸さがあるのだと再確認。以前論稿に書いたことがあるが、1700~1734年まで34年の人生を歩んだ朝敏の生涯の色合い(思念)が込められていると、言えるだろうか。研究論文や著作はいろいろ出ている。まだまだこの作品については新しい研究発表(発見)が期待されている。
組踊伝承者の男性陣の舞台が続いているが、この「手水の縁」のメイン・キャストが女性舞踊家の初々しさで演じたらどうなるだろうか。中性的な魅力は女性芸能者でも十分演じることが可能~。山戸と「執心鐘入」の若松は中性的だ。
さて今回の舞台を観た印象だが、実はこの文面の冒頭に詳しく立役の演技や唱えを含めての印象を書いた。その後に上記の文章を付け加えたのだが、しかしそれがそっくり割愛されていた。この間自らすでに公開していた文章が消えるという事例がないので、不思議に思っている。ブログにハッキングがあるのだろうか。NOTEへの移行は批評に関してはそこに磁場を移して、ここには転載するようにしたい。実践ありきで~。
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