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amazarashiについて語りたい〜カシオピア係留所〜

今回取り上げるのはアルバム『永遠市』に収録されている1曲。

漫画『チ。-地球の運動について-』に向けた楽曲。

秋田さんは漫画の熱量にかなりあてられたらしい。わかる。


何かを生み出す。発信する。

偉大な前身がいれば、それをどうしても意識してしまう。

何とかかたちにした時、出来上がったものがどんなものであれ、そこに至るまでの苦悩は、痛みは、偉大な彼らとの共通点であり、それを誇ることを承認してくれる歌。


生後間もない歌を引き連れ 桑の枝に旋律を括り付け
制服の丈に似合わない 言葉らを鞄に忍ばせて
カシオピア係留所の灯りの下
逃れられない君の影の 常に逆に進むべき光
生まれながらに記されてた 足元にある宇宙の影絵
カシオピア係留所の灯りの下

何かに駆られて言葉を紡いだことはあるだろうか。
自分自身の焦燥や、罪悪感や、目の前にある大きな壁や。
使命のような、責任のような、呪いのような、人生のような。
自傷行為にも似たそれは、流行りの歌手の投影ではなく、自分自身の証明のためだったと思う。


秘めた意志 急かす未知 受け取って手渡すこと
身を焦がした この好奇心が身を滅ぼすと 知ったとしても
消えたりしなくて どうせ灰になるなら いっそ書き留めて
深く沈める 冷たくなる 胸の奥の方 胸の奥の方
この世にある ほとんどのものが 成し遂げたやつらの血の跡としたら
この痛みだけは彼らと似ている
躊躇せず それを書き足せ その痛みは共通言語だ

この痛みを通ってきた人がいるのだとしたら、それを共通言語と仮定できたら。
大それたかたちにできなくても、彼らの偉業をみて、自分自身の痛みも肯定されたように錯覚する。
それが共感で、その対象が音楽や絵画などの芸術や、スポーツやドラマなどに感動する根幹なのかもしれない。

夜空を塞ぐ星座に睨まれて 大きなものの一部だと悟った
だけど迷い選ぶ意志は 自分の中にあると知って
カシオピア係留所の灯りの下
届かない ならそれでいい 果たせないことが辛いよ
願うこともかき消した時 訪れた闇
でも本当は

何か大きなものの中にあったとしても、この気持ちを基に進まない理由にはならない。
進んだ先に何も生み出せなくても、残せなくてもいい。進まない、進むことを諦めてしまう決断が悲しい。
その感情をきれいごとだと笑って、背伸びをして、実際に大人になって、でもふとした時に、胸の奥で冷たい塊が訴えてくる。

それはまだ空が語る以前の 願いたちが残した書置き
痛みの堆積が歴史だ それが僕らの最初の武器
カシオピア係留所の灯りの下
息を止めないで どうせ灰になるなら いっそ燃やして
駆動する鼓動 残さず遺す 胸の奥の方 胸の奥の方
この世にあるほとんどのものが 成し遂げ奴らの血の跡としたら
それに立つこの言葉は 過去の誰とも違う
自惚れて それを書き足せ その痛みは共通言語だ

どうせ灰になるなら、いっそ燃やして、一瞬でもいいから、胸の奥に残るのではなく、この世のどこかに、誰かの胸に遺していきたい。
大なり小なりが積みあがった先の今に生きる自分が生み出すものは、過去にあった何かと同じように見えても、何週目かのそれだから、きっと同一のものではない。
やりきって得た痛みは誇らしい。彼らとその痛みについて話をしよう。

「不正解は無意味を意味しない」
『チ。-地球の運動について-』の作中、異端者であるフベルトさんが主人公ラファウに向けた言葉です。
フベルトさんは作中では死罪となるほどの異端にあたる「地動説」をラファウに説きます。ラファウは地動説に対して確信を持つフベルトさんに対して、「でもそれが間違っていたら」と問いかけ、この言葉を返されます。
作中を通してこの言葉のエッセンスが散りばめられていて、私の心にも鋭く入ってくる言葉でした。

この曲にも、燃え尽きた先で何も生まれなかったとしても、燃え尽きるまでに得た痛みにこそ意味がある、と言われているようで勇気づけられています。

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