誤解されても弁明するな

何かで誤解されると辛いと感じる時ってありますよね?

でもね、そんな時こそ、それを乗り越えた時に更に信頼を勝ち取るチャンスでもあるので変に弁明しなくて良い。

本当の友達を知るチャンスでもあるから。

そもそも誤解で事実でも無いんだから、変に動く必要は無い。まぁ、人は勝手な時があるから信じたいことを信じたいように信じるけど、誤解の部分を信じる人は置いておけば良い。

言いたい人に言わせておけば良い。

その瞬間は辛いけど、弁明は自分のことを良くも悪くも全部含めて良く知っていてちゃんと傍に居てくれる人に(自分からは何も頼まずに彼らの判断に任せて)委ねるか、彼らも何もしなくても、何も騒がないで普通に過ごしていれば良い。

騒ぐと悪意を持った人たちが喜んでここぞとばかりに「火のない所に煙は立たぬ」とか言いながら更に盛った話で噂を広めるし、彼らの思うつぼなので自分は何を言われているか全部知って居ても知らない体(てい)である意味で空気を読めない体で常に居て、笑顔でいれば良い。

この時に変に顔色を伺うと更に誤解が深まるのでね。

知っているのに黙っているのは最初は辛いけど、時期に慣れるし、黙っている方が楽になるから。変に騒ぐと噂の信憑性が増してしまい立場が余計に悪くなる。

自分は悪く無いのに自分が悪くなる。

そして、噂を信じて離れて行く人は追わなくて良い。何かの対応で誤解されて去る人も追わなくても良い。最後まで残る人があなたの今後の大事な仲間、残る人が来世でもおそらく同じ場所にいるあなたの天国での永遠に消えない宝物。

何かある度に、起きてしまった時に去る人を追うよりも、何があっても傍に居るよという人があなたの本当の友達や異性なら伴侶候補に将来の伴侶。他の人のことで必要以上に思い煩う必要は無い。*ただし、去る人の今後の幸せを心底祈ること。

嫌な事をされても、赦して、忘れて、お互いの幸せを祈り、願うこと。見下されても、嫌われても、何をされても関係無い、人のせいにしないで自分らしく居ること。そして、仲間や好きな人の個性も大事にして、守ること。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?