フェミが学ぶべきこと、オタクが学ぶべきこと。

終わらないフェミとオタクの戦い

アツギの件、Vtuber戸定梨香さんの件、温泉娘の件…。日々フェミとオタクは戦いを続けている。

それらに一貫しているものは、お互いに0か100かの価値観であり、お互いの主義主張を一切合切許さないという過激な人間であるほど、声がでかく、また声がでかいゆえにファンネルを引き連れて攻撃力も大きいということではなかろうか。

私はこれらの闘争をずっと眺めていて思うことがある。お互いに学ばないし、学ぶ気もない。そしてそれはお互いがお互いを学ばないし学ぶ気もない事がお互いの憎悪をより激しいものにしていると。

フェミが学んだ方がよいこと

フェミたちは、「自分たちがされて嫌な事を、男性がされたら嫌だろう」という考えがどうしても抜けない。そのような考えでカウンターパンチを放ったつもりで行動するが、オタクや男性側には全くのノーダメージだ。

これは逆にオタクからの攻撃、「まんさんは現実と空想の区別がついてないんでしゅかー?」が女性側に何のダメージも与えない事と見事に対になっている構図である。

そもそも、両陣営ともに現実と空想の区別がついているし、両陣営ともに、創作物を見て、様々な感情を揺さぶられている。現実に意識を根差したま、ま、創作物からの影響を受けているのだ。

良くあるのが、ポスターなどにゲイの画像や、欲情した感じの男性のイラストなどを当てはめているものや、男女が逆になった世界でセクハラをされているような漫画などである。

カウンターのつもりで放ったそれは、「別になんとも思わない」「むしろかわいい」「このキャラに欲情した」などと予想外の反応しか返ってこず、むしろ相手の精神力を回復させているしまつである。

その最たるものが、玉袋ゆたかちゃんであろう。

温泉娘騒動にイラだったある作家の「こんなことされて嫌だろ?」というミラーリングという負の力によって生み出されたゆたかちゃんは、陰嚢水腫等が心配になるほどの睾丸のデカさだが、そこが一番のチャームポイント。イケメンに夜這いされることを想像し夜ごとに睾丸をキュンキュンさせているそうだ。顔もほほを赤らめてうれしそうな表情が可愛らしく衣装のデザインもざっと描かれたわりには温泉娘の世界観に合わせられた良いデザインで素敵だった。

玉袋ゆたかちゃんはその秀逸なネーミングや設定なども含め一瞬でTwitterでブレイク。トレンドには一万件を超える玉袋ゆたかのツイートが乱れ飛び、多くの人たちに温かく(あるいは興味を持って面白おかしく)迎え入れられた。

生みの親である書き手さんが様々にとびかうリプにいら立っていたのは明白で、二次創作や転用を禁止するとともに、自らを母と呼ぶな、創造神であると発言し、輝かしくも切ない玉袋創造神が爆誕した。

この創造神様は以前睾丸をフェティッシュかつファッショナブルにした可愛い男の子たちのイラストを量産している作家さんだったのが、韓国のエロ絵や漫画を規制する法律によりそれらが描けなくなってしまったというかわいそうな過去を持つお方らしい。

ならば玉袋ゆたかちゃんというのは、久々に彼女が本来持っている才能が花ひらいて生まれた珠玉の一品だったのではなかろうか。法律施行後何があったのかわからないがフェミに転身し、男性やエロを激しく憎むようになった。

簡単に国を超えて日本へ来いなどとは言ってはならないだろうが、彼女にはむしろ日本に来て、そのようなバカげた法律などないここで、思い切りのびのびと、可愛らしい金玉少年たちを描きまくってほしいと切に思うのだ。

と、書いたのだがどうやらこれは間違いで、新潟県在住の女性らしい。韓国系かどうかは不明だ。そしてさらに神格が上がり、越後玉袋大明神として人々に崇め奉られているそうだ。

さて、これらのことからわかるのは冒頭の「自分たちがされて嫌な事を、男性がされたら嫌だろう」という言葉になる。

フェミニストが考える「性的」なことを逆に男性にしても男性は何も思わないどころか、「さわやかなそよ風がほほをなでた」くらいの感想しかなく、逆に楽しんでしまうのだ。

これが本当に理解できないらしく、フェミたちは延々とそれを繰り返す。

なぜ繰り返すのか?

相手のことを知ろうとも学ぼうともせず、共存するためにどうすればよいのかも考えないからだ。

「男性がされて嫌だと思う表現」だが、フェミのみなさんには想像もつかないことだろうがそれを私は知っている。

フェミの皆さんが敵の言葉に耳を傾け、その生態を研究しなければ、知りえることはないだろう。

しかしそれはフェミにとって「絶対にあってはならないこと」なので、無意識に女性としてその考えを避けようとするだろう。だから彼女らがその境地へたどり着くことはたぶんこれからも無い。

オタクが学んだ方がよいこと

次はオタクである。

彼らも、つきない。

スカートを股間に吸い込ませることを。ほほを赤らめうっとりした表情の女性を描くことを。男性にとって都合の良い設定のキャラクターを作り続けることを。別にそれは悪くない。

ただそれらを、深い考えもなく世に放ってしまうことが良くない。

もちろん、私はそれらの表現や表現者を傷つけ、コンテンツをつぶそうなどと思ってはいない。その逆だ。

自分たちの大切なものを守るために、賢く立ち回ってほしいのだ。

もういい加減、あの絵を見たから気持ち悪くなった!謝って!という奴を私は聞きたくない。彼女らは変わらない。世界の中に自分があるという思考ではなく、自分があって、その周りに世界があるという考え方だからあんなにプリンセスプリンセスしているのだ。

そのプリンセスになぜ世界が付き合わねばならんのだと呆れるが、放っておいたらコンテンツが潰される。対プリンセスの策を練らねばなるまい。

その策、賢さの最たるものは、京都駅の「地下鉄に乗るっ!」や、「Fateの丸井やココスとのコラボ」などであろう。

あれらの表現こそが、誰がどう噛みついても「それってあんたが「まんがの絵」が嫌いなだけでしょwwwww」と跳ね返すことができる究極のもの、鉄壁の城壁である。

実際に地下鉄に乗るっ!に因縁をつけたある女性は、全くこてんぱんにされ、醜態をさらし、自分の顔に自ら泥をぬるような結末を迎えた。

Fateはどれだけ本来のコンテンツ内でまん肉ギリギリおっぱいモリモリのどすけべキャラを量産していようとも、「お外に出かける時」は、きちんと服を着る。

地下鉄にのるっ!は、あっさりとした絵柄で、制服を着た女性の胸を実在のものよりも強調して描いたりもしてないし、男性キャラも同じようにいる。

絵柄のTPOをしっかりと考えているのだ。

逆に最近だと梅田ロフトの個展は危険だった。件の絵は裸リボンであった。それがあってもよいのだが、展示位置をなぜそこにしたのだと疑問に思う。

またこれに対して公園にある裸婦像はなぜいいんですかー?と頭の温かいリプをしているものが散見されたが、下着の広告で抜けても公園の裸婦像で抜けるやつがいるのか疑問である。

葛飾北斎の春画と一緒で、時代にあったエロと言うものがあり、公園の裸婦像や北斎の春画で抜ける人はいまやほぼいない。(いや、俺はいけるね!という方もいらっしゃるとは思うが、大多数の人々ではないのではなかろうか)

また、さかのぼれば春画はもちろん、裸婦画裸婦像は「昔のおかず」としての役割を担っていた事も追記しておく。

そして作家は女性なのに!という毎度のリプも多々あったが、作家が男性か女性かは全く関係がない。だってフェミのみなさんは自分たち以外全員名誉男性認定だし、オタク女性ももちろんその中に含まれるだろう。

他には入り口すぐじゃなかった!フェミの嘘つき!という揚げ足取り的な反抗があったりしたが、展示会場に入ってすぐの場所に件の絵はあったではないか。

これらのような頭のおかしいリプをすること自体が、オタク界隈の害毒になってしまっていることを自覚してもらいたい。

もちろん作家さんは全く悪くない。問題があるとすれば、展示スペースのレイアウトを考えた人たちである。

私がレイアウト担当者であったなら、健全な着衣のものを前の方に展示し、エロいものは奥にさらに別コーナーを設けて展示した。そう、昔のビデオ屋ののれんの奥のようにな。

このようにフェミさんは自分たちでどういうものが嫌いかを自ら教えてくれている。それを避けつつ、数多くの人が「それって単なるいちゃもんでしょ?」と考えざるを得ないラインのものを、賢く出して行く。

アツギの件はとても微妙だったと思う。直接的に性的な絵は少なかったが、フェティッシュなエロスを感じ取った人は多かったようだ。また、タイツをはく人の目線ではなく、見て楽しむ側の視線になってしまったことは、マーケティングの大きな失敗であったと思う。

ただ、だからと言って取り下げろ謝罪しろは本当に自分を何様と思っているのかわからないが、大変に傲慢で身勝手なものであるし、男性が女性に対して可愛い、セクシー、好きだなと思う仕草や表情というものは確実にあって、それが気に食わないからそう思うのはやめろ、描くなというような主張も相当おかしいと思う。

アツギ関しては件の担当者はオタクではなく、最近「そういったもの」(よりによって究極タイツフェチのあの絵師がファーストインパクトだったのは恐ろしいことである)に触れ、それがスタンダードで、多くの皆が喜ぶ良いものなんだと思ってしまったが故の浅慮であり事故であったと思う。

もちろんただオタク絵なだけで嫌だという人もいたが、そんなものは当然「ただのいちゃもんにすぎなくさせる」ことができるし、またオタ絵をあんまり好きじゃないな、という薄い反応をする人は別段騒ぎ立てない。

さてこう書くと、「なぜ俺たちが引かねばならないんだ!漫画やアニメは世界的コンテンツで、ラッピングバスなど街中でも受け入れられている!少しでも引くと、それが呼び水となって規制が激しくなるだけだ!」と怒鳴りこんでくるオタクもいるだろう。

呼び水となって、の不安はわかる。だが呼び水となっているのは「現状のものの出し方」そのものであることもまたしっかりと目を向けてもらいたい。

私だって大好きなコンテンツを守りたい。だからもし彼女らが「お外」へお出かけすることがあれば、素敵にドレスアップして、とても可愛く着飾ってお披露目されてもらいたい。間違ってもセクシーがすぎる衣装で「お外」へ出ないで欲しいと願う。美しく優しい大好きな彼女たちが、こわいおばちゃんたちに叩かれるのを見たくない。

オタクが一歩も引かないのもわかる。コンテンツを守りたいのもわかる。フェミが男性のすべてを否定し、あらゆる娯楽をひっぺがそうとしているのだから、戦うのは当然なのもわかる。生きるか死ぬかの戦いだ。韓国のようなクソ法律を作ってはならない。多くの人の心が死ぬ。

だからこそ、肉を切らせて骨を断つような立ち回りが必要だと思うのだ。

そして、私たちオタクは、常にエロエロタプタプドピュドピュの、体液にまみれた爛れたレイヤーに頭の先まで浸かり切っていることを、知覚も自覚もしていない。

オタク以外の人が、そのレイヤーを垣間見ただけで、激しい嫌悪を持って当然のような世界にいることをあえて見ない。それどころか、これが普通なのだ、と言い切らんばかりの勢いである。

オタクの世界とはそれが全てではもちろんないが、アニメやゲームのキャラクターが裸になり、常にレイプされ続け、そのような画像が毎日何千何万と世にさらされている世界でもある。

どちらの感覚が正しいとかエロが正しくないではなく、ヒラコー風に言うところの「あっちは、こっちと違う」ことと、「その理由」をもっと正面から認めなくてはならない。

だからフェミの言うことに耳を傾けよう。自分たちのために。そしてそれらを避けつつ、こちらがカウンターを繰り出して、彼女たちが「いかに変わり者で、いつも怒っていて、あらゆるものに噛みつくやっかいもの」だと世間に知らしめてやればよいのだ。

それには、「お外」に出かけるときは、スカートを股間に巻き込まない、エロい表情をしない、過剰にエロさを醸し出す塗りをさける、などが有効だ。

前述fateマルイのタマモはセクシーな服を着ているが、エロくはない。逆に宇崎ちゃんはしっかり洋服を着こんでいるが、とってもエロかった。この違いが感じ取れるだろうか。(宇崎ちゃんの場合はいろんな事情がかさなって、あの絵を使わざるを得ない状況であったから仕方のない部分はある)

いや、各人それぞれの基準が違うから、こうだと断定できるものではない。この違いが、本当にわからない人がいるのも知っている。服を着ているか着ていないかだけを判断基準とすればそうだろう。なにしろ一部の男性は女性の下着の広告でもヌけるし、エロと下着モデルの違いもないのだ。ただ「そこにいるのは、半裸の女性である」これだけだ。

何が基準かもわからないそんなものに対して、なんでそんな我慢をしなければならないかって?

それにも理由がある。

オタクは下手したら規制されて息も絶え絶えにさせられる可能性が大いにあるが、「政治的に正しい」フェミは絶滅させられないからだ。

そして問おう。それは我慢か?屈することか?

これを我慢と感じ、一歩も引かない気持ちだけを爆走させているから、今、こんなことになっている。

安心してほしい。スカートを股間に巻き込んだり、ま〇この陰影をスカートの上から描きこんだり、恥丘に淫紋を浮かび上がらせなくても、そのキャラはとても魅力的だし、「おうち」に帰ってくれば、どれだけスカートを股間に食い込ませてもパンツが見えていても、シリアスの春節衣装のおっぱいたれ布をめくってみてもいいのだ。

今現在の話ではあるが…超過激なフェミ以外は、一般女性でもエロいキャラは「お外」に出てこなければ存在していいですよという感性でいるように見受けられる。

幸い、日本人の多くの人は漫画やアニメに対して広く受け入れてくれており、多くのコンテンツが大ヒットを飛ばしている。もしまた京都駅のようなことが起きても、味方になってくれるだろう。(梅田ロフトはアウトだ。この違いがわからないわけもないと信じたいが)

そしてその「お外」の判定が厳しいところだが、Twitterは自衛してねとまだ言えるが、外を歩いていて目にする看板などは注意した方がいい。「一般の多くの人が目にする場所」は確実に「お外」判定となるだろう。

絵のTPOを真剣に考える。相手のためではなく、自分たちのために。

こういったことは、本当にできないのだろうか。エッチな絵をそれを嫌だと思う人の目にとまる場所に置くことが、オタクの未来に光をもたらすのだろうか。

フェミ活動家に勝手にデリバリーをお届けしたり、周囲をうろついて嫌がらせをすることがオタクの未来を明るくするのか?

戸定梨香さん騒動のとき、いきなり警察に訴え話し合いの場すら持とうとしなかったフェミ団体を卑怯なやつらと思っただろう。なのに自分たちは嫌がらせをしてもいいのか?

今や格闘ゲームの公式紹介ムービーにすら、年齢制限がかけられる世の中なんである。そんな優しくポリってコレった令和の世界で、おっぱいぼよよんパイずりデカケツま〇こ影フルマラソンを、表現の自由戦士の名の元に、オタクの勃起力だけでいつまで押し通せるだろう。

フェミはこちらの話を聞かない。だからこちらは聞くのだ。そして、そのガバガバで自分勝手で特大ブーメラン理論の隙を、スプラッシュファーントのごとく賢く激しく貫くのだ。

じゃあ、どんな女ならいいのか?

温泉娘に対してフェミさんは男性につごうのよい設定ばかりと書き連ね、これはダメ、あれもダメ、と並べ立てていた。

あの人たちの思う理想の女性が本人たち以外にどこにいるだろうか。

自分の考えと少しでも違えば無知蒙昧で愚かな名誉男性とされる。

世の中には、男性の庇護下でなければ生きられない女性がいる。それは環境がそうさせたものであったり、女性の性格によるものであったり様々だ。

それらを一切合切無視して、全て男性が悪い悪いと騒ぎ立て、自分たちが認める女性以外の女性の場所を荒らし、はく奪し、居場所を無くし、よいことをしたと鼻息あらく次なる獲物をもとめて駆けずり回る。

オタクが当たり前のようにアニメキャラクターがセックスするレイヤーにつかり切っているように、フェミのみなさんは、男性が女性を食い物にするのが当たり前の世界に浸りきっているのだろうと思う。

それは例えば売春の最前線であり、様々なおぞましいものをたくさん見続けてきただろう。そしていくつも心に傷を負ってきたことだろうと思う。フェミニストの活動家のすべてがつねに悪なのではない。女性を救う尊い活動をなさっている方もたくさんいるし、それはとても素晴らしいことだと素直に思う。

だからこそ、オタクを叩いたってどうしようもないだろうと思うのだ。

男性の意識を根底から変えていかねばならない。そのために温泉街にこんな男性を癒すのが当然と考えているような設定の架空のキャラクターがいるという事からつぶしていかねばならない!…の、だろうか?ほんとうに?

漫画に、アニメに、誰かに。癒しを求めるのはダメなのか?

男性が女性に癒しを求めるのはいけないことなのか?

現実の女が恐ろしく怖いから、空想の女性に癒しを求めるのもダメなのか?

また、男性を癒したいと思う女性はいてはいけないのか?現実世界でなくとも?

そんなキャラクターがいることすら、少女の売春につながり、男性が女性を食い物にするのが当然と思うようになる原因になるのだろうか。

自分の分身だけで、世界が満たされば満足なのだろうか。

極度に狭い世界にいきる女性のクローンだけで、世界の全てを満たすことはできないのだ。

こういう女なら良い、ではないらしい

どうも、アニメの絵やイラストに癒しを求めたり、素敵だと思ったり、その絵を描く事そのものが、すでにいけない事らしい。

幼少期に母親から愛情がもらえなかったために、その飢餓感や恨みをアニメキャラクターに投影し、そして現実の世界の女性にも犯罪行為を犯すようになる、という前提がまずあって、そうだから「汚らわしい!気持ち悪い!」となるらしい。

あらゆる事が、汚らわしい性行為への想起へと繋がるのだ。

推し活動やキャラクターの絵を描きたいという欲求そのものが愛情不足によって引き起こされるという考え方なのだが、(もちろん女性がアイドルを推したりする事は良いらしい)これが全く当てはまってない事はこれを読んでいる皆さんならご存知の事であろう。

人は知らないものに触れた時、何としても解明しようとし、自分の理解が及ぶ範囲内の思考に物事を落とし込もうとする脳の働きがある。上記のような決めつけがあるという事は、それは他者ではなく自分の中にあるトラウマであると見直した方が良い。

確かにフェミニスト活動家や、過激な発言をする人たちはプロフィール欄などを見ると実際の性被害者であると書かれており、それがきっかけで現在のような活動をしている事が多いようだ。

申し訳ない?が私も同様の被害者だ。しかし世の中には良い人も悪い人もいる事を学んだし、加害者そのものは憎いが、男性全体を憎いとは思わない。しかも私に酷いことをしたりやったりした連中は全て全くオタクでは無かった。

むしろそいったものとは縁遠い、いわゆる一軍のような人達だった事を述べておく。

変態も犯罪者もレイピストも買春するやつも痴漢もセクハラも性的虐待も全部実在する。そしてたぶん人類が存在し続ける限り、なくならない。噛みやすいオタクやアニメに自らのトラウマを透かし見て、それを無くせと騒いでもだ。

噛みつきたいなら、どうか実際の犯罪者を噛んでもらえないだろうか?その上で、アニメキャラに欲情したり、母親への愛憎を空想のキャラクターにぶつけているのかどうか、取材でもなんでもしてみたらいい。

トラウマの憎しみの飛沫を浴びせているのはどっちだ?

自分たちのために、敵を知る。

HUNTER×HUNTERでも、メイドインアビスでも、情報がとても大事と描かれる。それは敵を知ることで、対策を立てられるからだ。そして時には敵の能力そのものを利用する。

フェミは絶対に折れない。私は怒っていい、救われた!の名の元に、自分が認めた女性以外を踏み荒らそうとする。

それでもいい。折れないなら折れないままに、オタク側からフェミの周りの外堀を埋めていけばいいのだ。



などと書いているうちに、暇空氏が金と司法の力でコラボをやっつけた。ヘイトは溜まれどこれでしばらくはわけのわからん事を喚き散らすのを控えるだろう。(笑えるのは「沖縄で座り込みしちゃだめ」という言葉がはっきりと形になった事だ)

暇空氏の「ネット上での言葉のやり取りは何の意味もなく、ただ対立を激しくするだけ」というのは誠に、まことにド正論であった。もちろん自分の書いているようなテキストも含まれるであろう。

実際効果があったのは彼のやった事だけだ。