弱者男性について思うこと
「女性になりたい、女の方がいい」と考える男性たちに共通しているのは強烈な「社会から保護されたい」という気持ちだ。
女性がそれを享受していると一度だって考えるどころか感じたことすらないその「社会的地位と保護」を切望してやまない。
それほどまでに彼らは皮を剥かれたむき出しの体と心で、冷たくて痛い風にさらされて生きているのだろうと思う。
そして残念なことに、世間ではそのような男性たちを「みっともない」「情けない」「男失格」などと唐辛子ペーストを塗りたくるようなさげすみの言葉を投げ続ける。
うつ病患者を励ましてはいけないと言う。
私は弱者男性もそれに近いと思っている。
なぜならうつや悲しみの深い彼らは、もう立ち上がる力がほんの一滴も残ってはいないのだ。絞り切りだした体をもう一度、二度、三度ねじり、なお絞り出せと言う。それは死ねと言うのともはや変わりない。
弱者男性に対し世間はあまりにも冷酷が過ぎる。彼がが彼らへと成り果ててしまったのは、本当にただ、自己の努力不足だけなのだろうか。
裕福な家に生まれ、ごく普通の親に育成され、壁と屋根のある家で母が用意した清潔な衣服を着、食事を食べ、当然のように大学を出るような人生を送った人にはわかるまい。考えをめぐらすこともあるまい。
この世に生を受けた瞬間から、人間の一生はそのほとんどが決定されてしまっていることを。
自分が努力でなんでもできたから、他者も努力でなんでもできると信じている。
だから、言うのだ。自業自得だと。
自らの力でどうやっても抜け出せない毒の沼地で生を受けた赤子が、その呪われた地を養分としていかように育つことができようか。
フェミニストの女性やエリートの成功者を観察していてわかるのは、とかく他者を蔑み、自分より格下と見ているということだ。そして自分が格下と認識した相手は、それが男だろうが女だろうが容赦がない。
自分と同等、もしくは格上と付き合うにあたってのメリットを、目の皿のようにして探し出しゲットしようと自分を磨く努力する。自分のためだけに生きる他者への思いやりが欠如した向上心の化け物だ。
そうでなければ成功者にもエリートにもなれないのだろう。
なんとまっすぐで、まぶしく、ただしい化け物だろう。
彼と彼女らは決して格下の存在を助けない。存在も許さない。
社会から保護されたいと思う、いわゆる弱者男性が、「生得している社会からの保護」を体感として考える事も感じる事もなく生きている女性を憎むようになってしまう背景を、どうにかして変えていくことはできないものか。
しかし女性とは元来そういうものなのだ。己に与えられためぐみを感じることなく、ただ当然のものとしむさぼり強欲に享受して、苛烈に美しく咲いて繊細な感情をまきちらかし、ひたすらに愛される存在なのだ。元からそういうものなのだ。
そういうものを、憎んでもしょうがないことがわからない。
彼らを救うものは何だ?正規雇用と性のパートナーなのか。自らを必要としてくれる他者と社会か。
どうすればいいのだろう。
女性は女性ならではの保護があるかもしれない。しかし、彼らが熱望する女性というものも、それはそれで様々なことがある。それでもなお、今の自分たちよりもましと思うだろうか。
女性を羨望したり憎んだりすることなく、その人がその人のまま生きていけるようになるにはどうしてあげたらよいのだ。
優しいフェミニストは言う。「女性にケアを求めるのをやめなさい。趣味や楽しいことをみつけなさい。男性をやめなさい」
まるでわかっていない。そんな浅層に起因しているものではない。そんなやり方で癒されるものではない。
もっと深い、深い、暗い、普段なら手を伸ばすことも思考を飛ばすこともない、深い深い意識の最下層で、人としての尊厳そのものがめちゃめちゃに砕かれているのだ。他人の手で砕かれ、そして自らの手で砕き続けている。
そうしていつか、砕かれた残骸を養分に芽吹いた憎悪が、人を殺す。
ナイフで、ガソリンで、自動車で、無関係の女と子供を殺していく。
決して男性を狙わない、卑怯者!となじられる。
当然だ。自分より弱く美しく、幸せなものをめちゃめちゃにしてやりたいのだから。
殺人はいけない。犯罪はいけない。幸せな人の一生を壊していいはずがない。犯罪も犯罪者も擁護などしない。
しかし「その時」彼らはこう思っているだろう。
なぜ、自分以外の人はみな許されて、自分だけが許されないのだ。
なぜ、自分以外の人はみな庇われるのに、自分だけが庇われないのか。
なぜ、あの人は愛されて、自分だけが愛されないのか。
と。
それは認知のゆがみなのか。ならばなぜゆがんだのだ。
「犯罪者の過去や何を考えていたかなんて知りたくもない!」と声高に叫ぶ人たちがいる。どこまでも、どこまでも、自分の快楽にしか興味がない、すべてが他人事の人たちだ。
だが深淵を除いても見えるのは闇ばかりで、答えはない。
なじってばかりいないで、その存在を踏みにじってばかりいないで、直視しないとならない。どうすればその憎悪が止むのか、どうすればその人達の悲しみが止まるのか。
みんなで考えなくてはならない時が、もうとっくの昔に始まっている。
どうすれば。