善良性100%の社会貢献活動をしていたのに職質されて世界の真理にたどり着いたときの話


世の中は見た目で8割決まる。


通説では人間が受け取る情報の8、9割が視覚からという話を一度は聞いたことがあるだろう。いくつか文献を漁っても根拠にはとうとう辿りつかなかったし何なら盲目協会から異議を申し立てられているまであった通説だが、特に第一印象に関しては

「良い見た目」をして相手に「良い印象」を植え付けるべき

というのはもはや常識だ。


そう、常識なのだ。
だが、この常識を本当にみんなが理解しているなら、世界はもっと見目麗しい人で溢れかえりはしないだろうか?

現状はどうか。



昨今のSNSではあまりにも「怪しいアカウント」が闊歩しまくっていないだろうか?ことビジネス界隈においては右を見ても左を見ても正気を疑うような怪しいアカウントが多く、それらのアカウントは口を開けば”月収7桁”だの”知ってるか知らないだけ”だの、手垢がつきまくって常套句のようになった言葉を壊れたスピーカーのように繰り返す。


誰もが「見た目って大事だよね」と言いながらも息を吸って吐くように
胡散臭さを醸し出しているのは何故なのだろうか?

しかも、得てして”怪しさ”がテカリにテカって氾濫しそうになっているのは
”見た目”を気にして”見た目を整えた”つもりのアカウントだったりするから目も当てられない。

あなたのアカウントは大丈夫だろうか?



整えているつもりが全く整っていない。まっとうにビジネスをするつもりが端から見ると怪しく見えて仕方がなかったりしないだろうか?

もしあなたのアカウントが少しでも怪しいのであれば、あなたの努力の成果は言わずもがな半減する。頑張って認知を得ても「怪しいから近づかんとこ」などと、「認知を得たからこそ避けられる」事態にもなりかねない。


あなたに一抹の怪しさでもある場合、あなたがどれだけ崇高な目的を持って有益でとっておきの発信をしても「コイツ怪しいからイマイチ信じられないんだよなぁ」などと”流される”可能性すら普通にある。

するとどうなるか?

・いいね周り、リプ周りを頑張っても”ほとんと無意味に”
・渾身のツイートをしても”なんか反応してもらえない”
・SNS運用が思うようにいかず、全然伸びずに思い悩む結果に。


そんな事態を歓迎する人間などSNS上には存在しないように思う。
だからこそ、今日は私が”警官も思わず職質してしまうくらい怪しかった時”を例に出して、SNS上での”怪しさ”について徹底的に言及していこうと思う。






暦の上では夏が終わっているはずの9月の昼下がり。私は就職活動のためにうだるような残暑の中、なんとかスーツを着込んで面接会場へと向かっていた。

私が受けたその会社は誰も知らない零細企業というわけでもなかったが、面接会場は工場地帯なのか住宅街なのか判別がつかないような町の片隅にひっそりとある事務所を指定されていた。


スマホの地図を頼りに歩きながら滴る汗をうっとうしく思っていた時だ。
キキィ、という自転車のブレーキ音とともに、私は青い制服の中年男性に呼び止められた。

「そこのキミ、ちょっといいかな?」


はっきり言おう。ちょっといいかな、なんて軽い言葉を使ってこそいるものの、自転車で颯爽と現れた汗だくの中年警官は私の進路をしっかり塞いでいた。あれは絶対に逃がすつもりがなかったように思う。


それを私にわからせるかのように、後ろからはまた別の自転車の止まる音がした。ガチャン、というスタンドを立てる音が何故かやたらと生々しく聞こえたのを覚えている。

ゴクリと生唾を飲み込み、私はなんとか声を絞り出す。

「な、なんかあったんすか……?」

当時、私はまだピカピカした学生であった。社会の波にもまれてもいなければ人生経験に厚みもない。国家権力にたった一人で立ち向かうには時期尚早だったと言えよう。警官との突然のエンカウントにしどろもどろになってしまうのは致し方がないに違いない。

「いやぁ、そういうわけじゃないんだけどね」

しどろもどろな私がどう見えたのかはわからないが、中年警官はさりげなく半歩ほど距離を詰めてくる。挙動はさりげなかったが、漂う加齢臭の主張が強かったので私もまたさりげなく半歩下がると別の中年まで私の視界に入ってきた。

半歩下がっただけで私の進路が汗だくの中年で埋め尽くされたのである。

一体私が何をしたというのか。

そこから先の状況は私の名誉と読み手の心の健康のために割愛させていただく。炎天下で中年二人ににじり寄られる描写など誰も得をしない。ただ一言いっておくならば、私は職務質問という憂き目に合いながらも心の中では徹頭徹尾、毅然とした態度であった。

幸い、私は無駄に面接より1時間も早く現場にいたおかげで時間に余裕はあったし、職務質問自体も私がとっても善良で素直だったため5分程度ですんだ。しかし転んでもただで起きてはならないと何故か思った私は警官が解放してくれそうな雰囲気を出した瞬間、問いかけた。


「あの、なんでオレ、職務質問されたんですか……?なんか怪しかったですか?」

そこで警官は笑いながら、衝撃の事実を私に告げた。


「君ね、スーツ着てるのに運動靴履いてるでしょ?

 それ、ドロボーが良くする恰好なんだよね」



聞くと、泥棒は下見に行く時も犯行に及ぶ時もよくスーツを使うという。スーツで住宅街をうろついていたところで何かの営業にしか見えないし、誰も警戒などしないからだ。おまけに犯行後に堂々と玄関から出てきたとて、もくげきしゃは何かの営業訪問を終わらせた後だと認識する可能性が高い。

スーツとは戦う企業戦士の戦闘装備というだけではなく、閑静な住宅街に溶け込むためのキーアイテムでもあったらしい。


ただし、泥棒という性質上、高いところによじ登ったり塀を乗り越えたりすることもあるため、泥棒はスーツで身を隠しながらも機動性を確保するために革靴ではなく運動靴を着用することが多いそうだ。


スーツに運動靴。この服装を住宅街で見かけたら職務質問というのは基本中の基本だったのだ。


その人物がどんなに善性を持ち、どんな崇高な目的をもってうろついていようと、これは曲がらない鉄則である。


あの日、例え私が警官の前でどんな善良性を見せていたとしても、職務質問を免れる方法はなかっただろう。なぜなら、私は職務質問をされるに値する外見をしていたからだ。



さて。つらつらと書いてきたが、言いたいことはたった一つである。

もちろん、見た目がほぼ全てというSNSで全く使えないようなナンセンスなことではない。ここでいう見た目とは一つのエッセンスに過ぎない。

あの日、クソまじめに就職活動という社会貢献にも等しい崇高で善良な活動を行っていたにも関わらず「泥棒と同じ格好」をしていたから職務質問の憂き目にあった。


これはただの事実ではなく、一つの教訓である。


人は「とある一面」があればその他の行いが全て「その一面」に支配されることがある。

あなたが嫌いなヤツがあなたに何をしても割と不快なように。

あなたが好きなヤツがあなたに何をしても割と嬉しいように。

【怪しい奴は何をしても怪しい】



つまりあなたが怪しく見える一面を持っていれば、あなたがどんな崇高な活動をしていようと他者には「怪しいから近づきたくないヤツ」に見られる可能性がある。

さて、改めて聞くが、

あなたは自分のアカウントから「怪しく見える」という要素を徹底的に排除できているだろうか?


ここでSNSの大前提について触れておく。
まず、SNSというのは不特定多数の”誰でもない誰か”が発信している。

これがどうことを意味するかというと、他者にとってはもちろん、あなたのペルソナやターゲットにとっても、あなたはまぎれもなく”誰でもない誰か”という認識から始まるわけだ。

そこに信用や信頼があるわけもなく、むしろこの界隈においては「騙されるかもしれない」という警戒心すら普通に存在する。


ここであなたにもあったはずの、超初心者だったあの頃を思い出して欲しい。


DMが一つくる度におびえてはいなかっただろうか?
無料コンテンツ一受け取ることにすら躊躇をしていなかっただろうか?
無料相談など清水の舞台から飛び降りるような覚悟ではなかっただろうか?

ここまで思い出していただければわかるはずだ。


はっきり言う。SNSの、特にこの界隈においては

基本的に「自分以外は全員”怪しい」



当たり前だ。目の前にいるのは顔も見えない、どこの誰で、どんな人間かもわからない上に、こちらを騙してお金を奪っていく可能性を多分に秘めた
”誰でもない誰か”
なのだ。

この人物に対して警戒心を0にして近づいていく人間がいるのだとしたら、そいつはもはやただの阿呆か相当な傑物以外の何者でもない。

にも関わらず、”月収〇〇万円””年商〇〇億円経営者””初月〇〇万円収益化”みたいなパワーワードのみで誰かの興味を惹こうとしたらどうなるだろうか?

「中卒→起業→挫折→SNSビジネス→豪遊中」みたいな体温が全く感じられないような生い立ちストーリー、「〇〇スキルで自分でもできた!収益化できるかどうかの差は”知ってるか知らないかだけ”」みたいなモブキャラ感満載の量産型アカウント感をだしてしまったらどうなるだろうか?


断言する。それは、”怪しさ”を強調し、より強く印象付ける結果にしかならない。それらの要素はたしかに強烈な憧れを抱くかぬ製がある一方で、すんなり信じてもらえないというジレンマを持つからだ。


特に少数フォロワー段階でそこを際立たせた場合、怪しさが突き抜けるばかりだ。

いや待てと。


それでまかり通っているインフルエンサーは確かにいるぞ、と言う御仁がいらっしゃるかもしれないので追記をしておく。


たいしておいしくないラーメン屋でも行列ができていたら並んでみたくなるだろう?そういうことだ。

どれだけ怪しくても”すでに人が集まっている”という状態が”一瞬にして信頼の裏付け”になることが往々にしてある。

「怪しい。でも他にも人がいるから大丈夫だよね」という”錯覚”。


つまり私が言いたいのは「すでに集客をある程度成功させているなら何やっても許されるけど弱小フォロワー段階の我々はそういうとこ気を付けにゃならんだろ」ということだ。

話を戻そう。

目に見える権威性のない弱小フォロワーが実績や生い立ち大逆転ストーリー、ノウハウのすばらしさをいくら語っても怪しいだけ、という話だったか。

なぜそれが怪しいのか?


なぜなら、あなたにとっては純度100%の真実でも、情報の受け取り手にとってはその実績や生い立ち大逆転ストーリーを真実だと証明するモノが何一つとして見えてこないからだ。

むしろ、目に入るのは弱小フォロワー数という”否定材料”のみ。
これでは、あなたの実績や大逆転劇が”凄ければ凄いほど”疑り深くなってしまうというもの。

例え、いかに事実を語っていて、収益化の数字が並んでいる画像を添付したとしても焼け石に水である。画像など今やどこでも拾えるし、加筆修正も容易だ。疑り深くなった人を説得するには圧倒的に”弱い”。

その様はまさしく、運動靴ていどの土台の上に無理やり高級スーツを乗っけてしまったかのように見られてしまうのだ。一見マジメを気取ったところで、いちど運動靴を見られてしまえばもう”怪しくしか見えない”。

いや、気持ちはわかる。

「ならば貴様は我々にどうしろというのか?」

「実績のないド素人に人が集まるわけがないだろう」


それもまたごもっともな話だ。ただ、よく聞いてほしい。


私は”実績だけ”で語るから”怪しい”と言うのだ。


”体温のない生い立ちストーリー”だけ。
誰が言っても同じ”ノウハウの優位性”だけ。
私は、これらだけを強調するから”怪しくなる”と言っている。


超ウブだったあの頃、目の前のちょっとマトモなこと言ってる風のアカウントからあなたは何を必死に読み取ろうとしていただろうか?


「この人、ちょっと良いこと言ってるかも」なんて思った人を前にして、あなたは何を求めただろうか?

その人のノウハウがどれだけ素晴らしいかを知りたがっただろうか?
その人がどんな実績を持っているかが知りたかっただろうか?


違うはずだ。


もし仮にそう思っていたとしても、一次感情は必ず別にある。

あなたは、

”目の前の人が本当に信じられるか?”


このことを必死に考え、”この人なら信じられるという証拠”をこそ強く求めていたはずだ。

そう。
あなたのペルソナが知りたがっているのは”あなたがどれだけ優れているか”ではなく”あなたが信頼に値するかどうか?”だ。

そして、それを証明するためには「実績」や「ノウハウの優位性」などという”今すぐ確かめることができないもの”を並び立てても意味がないのだ。
なぜならそれは確かに文字列だけで伝わるには伝わるが、伝えられた側はホントかウソか全く判断できないからだ。

輝かしい実績があるのなら、その実績をどういう考えで目指し、どういう苦労や失敗を経て得たものなのか?

あなたにどういうバックグラウンドがあり、どういう体験を経てその考え方、信念、矜持に至ったのか?

あなたの内側のさらに内側の部分、本来ならば誰にも見せないようなところを”おもしろおかしく”曝け出せた時、人はあなたに共感を持ち、興味を持ち、初めて警戒心を捨て、あなたのことを信じてくれるようになる。


なぜこんなことが言えるのか?

これは我々がすでに体験してきたことだからだ。

あなたにもあったはずの就活の日々を思い出して欲しい。
本当に見た目やぱっと見でわかることが全てであるのであれば、面接など一回で事足りるはずだし、何なら書類選考だけで十分なはずだ。

にも関わらず、何が面白いのか第二選考、第三選考などといって幾度となく会いたくもないおっさんに会いに行かされた日々があったではないか。


なぜ、こんなことがまかり通っているのか?


それは、あのおっさんたちが知りたかったのはまさに

・あなたがどんな外見をしているか?
・あなたがどんな実績を持っているか?
・あなたがこれまでどう生きてきたか?


などという、文字を並べてもらえればわかる表層部分ではなかったからだ。


あのおっさんたちが求めたのは、
エントリーシートや履歴書などでは見えてこない、

・あなたが何を考え、何を中心として生きているのか?
・あなたがどういう風に話し、どういう風に聞くのか?
・あなたを信用しても大丈夫そうか?


などという、ガワだけではわからない残りの1、2割の部分をなんとかして見極めることだったのだ。


私はその1、2割の部分を、「人間性」と呼んでいる。



そしてこの面接日の多さこそ、総じて日本人はガワではない、残りの1、2割の”人間性”の部分を「引き出すのもヘタクソ」だし「曝け出すのもヘタクソ」という証明に他ならない。

さて、これを読み終わった後に自分のアカウントを一度見直してみてほしい。この本質に触れた今なら、あなたは少なくとも自分から”怪しさ”を排除することは容易なはずだ。

そう、まさに職質直後に「この辺で革靴売ってるところありますか!?」などと警官に逆尋問し、すぐさま革靴に履き替えられたあの日の私のように。


最後にもう一度だけ言おう。


あなたがプロフィールに書くべきは、あなたが発信すべきは、
決して履歴書に書くような文字列のみで容易に伝わるようなことではない。
それらは、伝わるには伝わるが”信じてもらえない”が故に怪しくなるだけだ。

あなたがどんな矜持を持ち、どんな信念の元、どういう行動をしているか。熱量を持って、あなたの人間性を相手に伝えることこそ大事なのだ。

実績を疑う人間はいても、あなたがその実績を得るために持った気持ち、行動理念、矜持まで疑う人間はいないからだ。

そこを知ってもらえれば、信じてもらえれば、少なくともあなたの人間としての魅力は必ず伝わる。断言しよう。あなたは魅力的な人だ。この文章を最後まで読んでくれたことがあなたの優しさを証明している。集中力を証明している。

そんなあなたが、つまらない人間なわけがないと私は心の底から思う。そもそも私は何一つつまらない人間など見たことがない。大抵、何かしら腹にイチモツ以上を抱えているのが人間というものだ。

そこで生まれる葛藤が、感情が、信念が、矜持が、おもしろくないわけがない。魅力的に映らないわけがない。

そして気付いて欲しい。
その葛藤を、感情を、信念を、矜持を以てして語られる情報にこそ、

【あなたしか語り得ない、あなただけの唯一無二の価値がある】



安心してほしい。
あなたしか持っていない、あなただけの価値は、

間違いなくあなたが持っている。



それを発露するためには、自分のアカウントからまず”怪しさ”を排除し、
”人間性”を持って発信することだ。そうすれば、あなたのアカウントは必ず”数多いる量産型アカウント”から一歩抜け出すことができる。

私はその時のあなたの発信を、おもしろくて魅力に溢れたあなたの発信を、腹の底から楽しみに思う。ちなみに面接は私が崇高すぎてお祈りを捧げられるほどの結果になったということをここに明記しておく。

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