友達が転勤になったのでまつエクをつけた
この春、友達が関西に転勤することになった。
毎週のように一緒に飲んでいたのに、それがもうすぐいなくなると聞かされたとき、私は本人を前にひたすら泣いてしまった。
ボロボロに泣く私に気を使いながら「関西にも遊びにきてね」なんて言われても、どう返したらいいのかわからず、ただただ泣いていた。
ここで私が「うん、遊びにいくね」と答えるのは簡単だと思う。だけど、お互いのタイミングだってあるし、実際は本当に行けるかどうかなんてわからない。これから気軽に会えなくなるのに、ウソになるかもしれない社交辞令で返すのはどうしても気が引けた。
それでも、「帰ってくるときは必ず連絡するね」と言ってくれたとき、その「必ず」という言葉がうれしかったりもしたのだけど、やっぱりそれにもなんて言っていいのかわからなかった。だって、さすがに毎回は絶対に連絡しないでしょ?そもそもいつ帰ってくるの?年に何回帰ってこられるかな?帰ってきたって、こっちで会いたい人はたくさんいるよね?私だけに時間を割くことなんてできないでしょう?
関西に行ってしまったら、もう会わなくなる気がする。だから私は涙が止まらなかったのだけど、「さみしい」と口に出すことは最後までできなかった。
友達なのに、まるで家族と離れ離れになるみたいに、まるで恋人と遠距離になるみたいに、その言葉を発するのは何かが違うと思った。
本当はさみしくてしょうがないけど、友達としてグッとこらえて見送りたいと思う。
ここ一週間ほど、たくさん泣いて目が腫れて、一重まぶたになった自分の顔を見ては泣いていた理由を思い出してまた泣いて、そして腫れが引かない、という悪循環に陥っていた。
「こんな顔じゃだめだ」と思って、最後に会う前に私は腫れた目を少しでもカバーするためにまつエクをつけた。
念のため、ふとした瞬間にちょっと泣いてしまってもバレないように、少し前髪を重めに切ってきた。
私はわかってる。悲しいのは今だけだということを。エクステが抜けて、前髪が伸びたころには、今の気持ちを忘れてしまうだろう。
もちろん、その子のことを忘れることはさすがにない。顔も名前も、一緒に飲みに行った場所も、話した内容も、おそらくずっと覚えている。だけど、今心の中いっぱいにあるさみしさは、きっとそう遠くない日に消えてしまう。
いつまでも悲しいままでいるのはしんどいから、それでいいのだけど、泣くほど離れたくないさみしさを忘れてしまうのはなんだかとてもあっけなくて、しょうもなくて、くだらない気がする。
でもやっぱり、人は記憶として残すことはできても、感情まで忘れないことはできないんだと思う。だから、今のさみしさをどうしても何かに残しておきたくて、たとえなくなっちゃうとしても今の気持ちはウソじゃないよっていうのを、忘れたくなくて書いてみた。
本当は一番さみしいのは、住み慣れた東京を離れる方なのに、なんかごめん…。
また会ったら、飲みにでも行きましょう。
でも無理やり飲ませようとするのはもうやめてください。むかつくから。
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