成人式、一人前の大人とは
成人式、だいぶ前のことに感じる。
私は成人式の日に、大人になった、という実感はあまりなかった。成人式というか、20歳になって大きく変化したことといえば、ビールとか、アルコールが飲めるようになったことが、印象には残っている。
「大人になった」あるいは「大人にならなくちゃ」とよく感じるようになったのは、大学を卒業して、社会人として生きるようになってからだと思う。
大学生の頃にも、アルバイトなどは経験したので、働くことの責任というのは少しは分かっていたけれど、大人としての責任をより感じるようになったのは学生でなく社会人になってからだと思う。
ただ、今でもまだ、自分が「一人前の大人」になれたという感覚は持てないでいる。せいぜいよくて半人前、あるいは四分の1人前ぐらいの人間だと思う。ご飯は二人前ぐらい食べれるけど。
そもそも「一人前の大人」がどんな大人なのか、自分の中で答えは出ていない。ちょっと前に思ってたのは、「責任から逃げないこと」が大人だと思っていた。
これは私の好きなアニメに「メダロット」というアニメがあるんだけど、その中のセリフで責任を果たさない大人のことを『それは大人じゃねぇ。ムダに年齢重ねただけの糞ガキさ!』というセリフがある。
子どもの頃は特に覚えてなかったんだけど、大人になってから「メダロット」のアニメを見返した時に、印象に残る言葉だった。この言葉を聞いて、小さい子どもとか、まわりの人間のために、責任を果たすことが一人前の大人ではないだろうか、と感じるようになった。
ただ、時と場合によっては「責任から逃げてもいいんじゃないか」と今は思っている。世の中には、いろいろ大変なことがあふれている。責任に押しつぶされて、自分を傷つけてしまったり、死を選んでしまうぐらいだったら、「逃げることも悪いことじゃない」とも思うようになった。自分を守るため、あるいは大切なものを守るために、責任から逃げるという選択肢は悪いことではないと個人的には思う。
じゃあ、結局、一人前の大人って、どんな大人なのか。
これもありきたりではあると思うんだけど、「一人前の大人」がどんな大人なのか考え続けること、模索することに意味があるんじゃないかな、とか最近は考えている。すぱっと答えを出せたから偉いという訳ではなく、悩むことって大事なんじゃないかなって、そう思いながら生きてます。