自分不要論
はじめに
どうも初記事です。
くだらない長文だらだら流すよりこんな風に纏めた方が本当に困ってるみたいに見えるから書きます、私が病む事なんて無いから大丈夫案外軽いノートにするつもりなので気楽にね💛画像は関係ないよ!
自分不要論とはなんぞ?
自分が要らなくても世界ってまわりますよね?例えば自分がいなくても人の歩みは止まらない、自分がいなくても新しい命はゴキブリの様に増えていくし、自分がいなくても楽しい空間は楽しい・・・あってもなくても"入る余地のない"そんな空間を自分不要論として今回纏めるつもりです。
結局あなたの心が弱いだけですよね?
はい、その通りでございます!正に心の弱さやストレス耐性の無さにも起因しています👏
もちろん人間はじめからストレス耐性が無いのですが少しずつ社会性を学び尊重し獲得する所謂個の確立の一種であると私は考えております。
しかしながら頭で理解していても噛み砕き切れない、そして煮え切らないそんな悶々とした状況に貴方達は幾重にも体験した筈です・・・。
白にも黒にも判断出来ないそんな思いを発散出来ずにその様な出来事が何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返した結果
ある日突然水滴の様な考えが脳裏に波紋を起こします。それは全てに怨みを持つ事も無くなり、興味を完全に失う事です。今こうして記事を書いているのも人間のフリをして生きることに決めたからです。
結局自分不要論関係ないじゃん!
お待たせしましたここからが本題です。
心が無くなった人は自分の存在がよくわからなくなります、感情を意図的に作り出すその行為が苦になってくるのです。
そして空っぽの自分を見つめて"存在理由"を自分で問います。「自分が居なくてもきっと楽しいのだろう」と・・・・。
多くはそこに至り首を吊るかで自己を消失させます。然し自殺が逃げだと教え込まれた人はその道に行けません、私は臆病で意気地なしなので自分の命を断つことを何度も挑戦しますが成功せず、結果的に逃げずに辛い現実を見続けたその果てに感情が消えました。
ですが"私"としての性格が死体の"私"をまだ突き動かし、他者に優しくを心がけ、自分の二の舞にしない様に守る事に決めたのです。
以上の事から自分不要論とは
諦めたその時に全ての人に流れ着く冥府の門です。
決してその門を叩き、覗いたり、中に入る事は絶対しないでください。
自分を大切にしたいのなら。
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