若葉マークの彼女の恐怖体験
その若葉マークが彼女の運転歴を本当に表しているものであれば、ひょっとすると初めての恐怖体験だったかもしれない。
月の明かりもない闇夜、車はバス通りから交差点を右折すると遊歩道に沿った暗い道に入った。
街路樹はこれでもかと茂り、街路灯も木々の隙間からほんの少しを照らす程度でほとんど用を為さない暗闇である。彼女はそんな中、家路を急いでいた。
しばらくして後方から一瞬フラッシュのような光を受けた。
初めは気にすることなく走っていたが、そのうちそのフラッシュが何度も繰り返されるようになった。どうやら後ろの車からのパッシングのようだ。
「ひょっとしたら私煽られてる?」
彼女はそう感じたが、光を放つその車とは100メートルほど離れている。しかし執拗にパッシングを繰り返してくる。
彼女は漆黒の中、先を急いだ。
途中には横断歩道もあった。しかし必死さもあり、横断しようとする歩行者がいるかどうかも確認することはできず、もちろん減速することなく走り抜けた。
そのうち信号のある交差点が見えてきたが、運悪くたどり着く寸でのところで信号は赤に変わってしまった。
彼女は後ろを気にしながら停車すると、暗黒の中で赤い光が差し込む車内でハンドルをグッど握りしめた。
しばらくすると、パッシングを繰り返していた車は彼女の車に追いつき、二台分ほど間を開けたところでゆっくり止まった。
間髪入れずヘッドライトを消灯すると運転席から一人の影が降りると、彼女の車に向かって歩いてきた。
彼女は恐怖心を抱きつつ、とくかく早く信号が青に変わらないかと願ったが、残念ながら叶うことはなかった。
ドアを挟んで彼女の横に立った影は窓ガラスを軽く叩いた。彼女の恐怖心は頂点に達していただろう。
本来であればロックして身の安全を確保した上で110番通報するところだが、彼女にそこまでの余裕はなかった。
ウィンドを下げてしまうと震えた声で「何でしょうか」と答えた。
影は優しい声で言った。
「無灯火、ライトがついてないよ」
「あ!!ごめんなさい」
彼女は慌ててライトを点けた。
影はそれだけ言い残すと、さっさと車に戻って行き、後方でドアの閉まる音と同じくして、信号の照らす光は惨事を予感させる赤から、安堵の青に変わった。
彼女はアクセルを踏み込んだ。直に後ろのヘッドライトは小さな点となり、そのうちにどこかで曲がったのだろうか、彼女が気がつくといなくなっていた。
あの暗闇の中、ヘッドライトも点けないで走れるとは、よほど視力が良いのだろうかと逆に感心してしまう。
この体験がトラウマとなり、今後は無灯火のまま走ることがなくなれば幸いだ。